博士の目の色は緑色昔から、人の姿に「糸」が見えた。糸はその人の手からボクの体に結ばれていることが多くて、博士は、沢山あった。
博士の手から、手も足も糸で繋がれて、博士が動けばボクも動く。操り人形みたいに。
今は。
マスターからの糸は数本。直した箇所の右腕と左脚にしか結ばれていない。それも、操っていると言うよりかは、支えられてるみたいだった。
糸は、人形からも伸びた。
ゲルダの糸は一本だけ。左の小指だけに結ばれ、ゲルダも、小指に結ばれている。
博士からの「糸」を絶ったボクは、この少ない糸でも、十分生きられる。
目を揃えたあの日から、また数ヶ月の時が経ち、腕も外装も内部の部品も全て直して貰った現在、「直したら帰る」と言ったのにボクはまだここに居てしまっている。
最初の方こそ、外に出てからあの時機能を停止させられたときの場所までは、歩数や方向を記憶していた。…らしいが、まさかの、内部の部品を新調した時にも生じる記憶の喪失で、「帰り道」を忘れてしまった。帰ろうにも帰れない、そんな状態だったが、ゲルダもマスターもボクがここに居続けることを許可してくれた。なにより、ゲルダがボクを大層気に入ったようで。
博士からの「糸」を経つことが出来たのはゲルダのおかげでもあるが、何より、部品の新調で博士の記憶も薄れたようで、博士に対しての執着も薄れてしまったからだろう。
(…今更戻ったって、博士はボクのこと、もう要らないだろうし…)
そんな考え事をしながら、ボクは外に出て目的地を探している。直して貰った身、恩返し的なものとして日頃、マスターからちょくちょく家の手伝いをさせてもらってる。今日は部品の買い出しを頼まれた。
(マスターの言ってたゲルダのリボンが売ってる場所は―)
「カイ。」
…聞き覚えのある。声。
振り返ってみても博士は居ない。ふと目線を下げる。博士はいつもボクが少し目線を上げるくらいの高さ。…だった。
「……博、」
「久しぶり。迎えに来るのが遅くなってごめん。」
博士はチラッとボクの直された腕や脚、新しく新調された目を見て少し眉を下げた。
「…新しい家族が出来たんだね。少し寂しいな。」
…なんだよそれ。
「何を今更…」
「そうだね。今更すぎた。…でもお願いだ。また、“研究所”に戻ってきてくれないかな?」
「…!」
博士は、変わった。前より小柄になっていた。見下ろすくらいの。…それから、前より博士の感情が読めない。何か意図があるはずだ。…それなのに、博士の糸はボクを結んで来ない。
「無理にとは言わない。君の判断に任せる。…これ、研究所の地図。カイは外に出たことないから、正確な場所は知らないだろうと思って。君が、君自身で正しい選択を選べることを祈っている。」
小さく折りたたまれた紙を手に握らせると、博士はそのまま振り向いて立ち去る。博士は手袋をしていた。…そんな露出もするような人でもなかったが、厚着だった。
関節が見えない。
「…?」
博士の後ろに、糸は沢山見えていた。でも、博士の糸はボクの腕に一本だけ巻きついただけで、博士のそのたくさんの糸は、二つに結んだ髪と一緒に、長く、後ろに流れていた。博士は糸を辿るように岐路に戻り、人混みの中に消えた。
(どうしよう…)
糸が見える人形の少年は、まだ何も知らない。捨てられた本当の理由も、少年の知る博士はもう既に居ないことも、その糸を辿ると、黒い幻影が潜んでいることも。