舞台の裏側ここ数ヶ月で、研究所は随分と静かになってしまった。人が急激に減ったからだろうか。
事の発端は一人の研究員の、身内の不幸だった。
流産だった。彼女は妊娠中、休暇を貰っていたのにも関わらず、無理に研究に没頭し続けたせいだろう。酷く落ち込み、研究室に籠るようになってから、ついには研究対象として使っていた人形を捨てに行こうとした。
ついにおかしな行動を取ったかと止めに入ったが、「これも研究のため」と言って聞かなかった。
人形を捨ててすぐに、その研究員が死んだ。捨てられた人形の祟りか、流産した子供の後追いか。そんなことを彷彿とさせた。人形を捨てた日の帰り道、不運な事故に遭ったそうだ。
現状、人間が二人も死んだ。それだけでも重い事実だったが、何より、流産した子供の父親、彼女の配偶者は、同僚の研究員だった。
研究施設内での恋愛。…とくに禁止されては居なかった。…寧ろ、私が彼女と知り合ったのも、そのとき既に彼女と交際していた研究員…キルケゴール経由からだ。
子を亡くし、配偶者も亡くし、キルケゴールも彼女と同様、研究室から出てこなくなった。彼女と同じ道を選ぶのかと気が気でなかったが、私には何も出来なかった。
実のところ、私は厳密に彼らと同じ研究員ではない。部外者なため、研究の補佐、私の扱う発声機能の提供は出来ても、彼らの研究の根本的なところは手助けできない。本部からもう一人配属されるそうだが、それでなんとかなるとは思えなかった。
後日、キルケゴールが久しぶりに研究室から出てきては、彼女の遺品整理の手伝いを頼まれた。私は部外者の人間だ。いくらキルケゴールとはそれなりに関わりがあるとはいえ、関わりが少なかった彼女の遺品整理は少し気が引けた。なにより、彼女は同年代くらいの、本部から来る他の女性研究員と親しくしているところを見たことがある。
何故、彼女たちにではなく、私に頼んだのか。
「…マイアは、研究所本部からたまに来る、シータやリシュリューという研究員とも仲が良かった…。彼女たちに遺品整理の手伝いをさせても良かったのだが、…まだ彼女らに訃報は伝えていない。」
「……だが、君を手伝わせた理由はそれだけではない。」
黙々と、思い出に浸ることもなく整理を続けていたキルケゴールが急に口を開いたかと思えば、急に立ち上がり、「ついてきてくれ」と部屋の奥にあるカーテンの方まで歩いていった。
足場もないくらい散らかった研究室。どれが遺品でどれが彼女の生前に散らかしたものなのか。踏まないように避けて歩くキルケゴールの姿は、今にも倒れそうなくらい、不幸の連続で疲弊してるようにも見えた。
キルケゴールがカーテンを開けると、中には一人の子ども…いや、一体の人形が置かれていた。彼女が捨てていった人形の少年とはまた違う。少女だった。
「…マイア…?」
似ていた。一瞬、生き返ってそこに座っていたのかと思ったくらいに。だが、よくよく見たら、座ってるわけではなく、ただ単に背丈が小さい、子供らしく二つに結んだ髪型。……おおよそ、「こどもが産まれて成長してたら、こんな見た目だっただろう」と、マイアが作った人形。亡くなる前研究室に籠もっていた理由はこれか。
「…見つけた時点では、殆どが完成していた。…あとは、声と心だけなんだ。」
「…発声機能を私に任せるつもりか。」
…本来ならば、研究対象に使う人形の私的利用は規約違反。…だが、こいつはもうこの人形を娘として見ている。心が既に壊れてしまっている。修復は不可能。キルケゴールの希望はもはやこれだけ。
「声のデータはマイアの声でも構わない。…録音もここにある。…マイアは、音声で記録したものを、日記としていた。どれも研究中の音声ばかりだったが、最後の記録は、休暇中のもので、話す量も多かった。参考にしてくれ。」
…。彼女の、日課を知っている。彼女の、録音を全て聞いている。…そのくらい、彼女を愛し、それと同じくらい、子供のことも愛そうとしていた。仏頂面の彼からは想像もつかない父親らしい面だった。
そう思うと、私もいくら規約違反であろうと、私は手を貸すことしか出来なかった。
…そうしなければ、こいつは死ぬ。
「…別に構わないが、時間がかかる。…それから、心はどうするんだ。感情を付けられていても、人形に人工的に心を付けられた事例なんて…」
「今研究している。ただ結果を待っているだけだ。…消息不明だがな。」
一瞬、キルケゴールの言ったことが理解不能だった。…だが、消息不明という言葉で、彼女が捨てに行った人形のことが脳裏に浮かんだ。
「…まさか、“カイ”をまた使うのか。」
「そうだ。元はと言えば、カイは人形が心を得るのかという実験で使ってた人形だ。マイアが捨てたのもわざとということはわかってた。だから止めなかった。」
…この二人は、子どもが流産してから壊れ始めていた。…恐らく、今のキルケゴールと同様、彼女もこの子ども人形を動かすために、心のデータを得るために研究を無理に進めた。遅かれ早かれ、私はいずれこの二人から新しい人形の発声機能の開発を依頼されていただろう。…もっと、早く気付けていれば。
…気づけていたとして、私には何が出来た?
「マイアの最期の記録から、一度捨てた人形が、次に拾った人間や別の人形と関わることで執着心を元に心が成立出来るという仮説を立てていた。マイアが託した最期の実験は私が受け継ぐ。君にもまた、サポートを願いたい。エリック。」
実験がズレていってることを伝えるべきか迷った。当初、研究所全体の研究対象は「人間の心」だ。キルケゴールも、元はと言えば哲学・心理学者で、マイアも元はただの人形を作れる技術を持った人間、私と同じ部外者だった。マイアの介入から人形での実験を行うのが主流になり、シータのように、出張研究として一定の報酬を対価に、一般人が持つ人形から協力・実験を行っていたりもしていた。
だがこいつが今していることはただの「人形の獲得」。
規約違反を犯した研究員がどうなるかは、部外者の私には知れたことではなかった。
「…新しい音声合成の開発ですか?」
…と言っているその声もまた、合成音声のものだ。
研究所の地下にある空き室を勝手に私物化した研究室で、まともに寝れない日々を送っていると、持ち込んだ人形が話しかけてきた。部外者だが、研究員のフリをして研究対象と称して人形を持ち込んだら住み込みの許可が出たのは流石に驚いた。
「ああ。急ぎの件でな。」
私は発声機能…及び、ヒトの声を繋ぎ、調整、時には音楽に合わせて歌わせたり等が出来る合成音声の開発を専門としている。人形の構造はハッキリ言ってわからない。研究所の部外者で居続ける以上、まともに関わらないので、実のところ人形にタイプがあるとかないとかは理解が追いついていない。
「…いつも周りを任せてしまってすまない。……。」
「…いえ。」
…だが、マリオネットタイプだけはわかる。糸で動く単純構造。今まさに、そこで動くクリスティーヌ…の、音声合成の素体だからだ。…だが、素体だけであって、本物のクリスティーヌとは訳が違う。いつまで経ってもそれは別物で、未だ私はその子をクリスティーヌと呼べていない。
…クリスティーヌは、私の元教え子だった。私は声楽・演技講師をしていた。…今も講師を兼任していたかったため、ずっと正式に研究所には入らず、部外者を続けていた。…しかし、今は自身が講師の自覚が薄れてきている。研究所に出向くことが多くなったからか、彼女が引退してからか。クリスティーヌは、日に日に歌声を成長させ、いわゆる、世間に広まった。
歌手をしていた。長くは語らない。彼女は一般男性との婚約を機に、引退した。
彼女の歌声が好きだった。私の指導から離れ、遠くへ行ってしまっても、外を歩けば彼女の歌が聞こえるくらいには彼女に影響力があった。…引退し、もう新しい声が消えてしまうのに狂ったか、彼女の声のデータを使った音声を作った。
やってることはキルケゴールと同じだ。…だから、変に彼らに物申しは出来ず、同情し、
…見過ごしてやれなかった。
「…リシュリューからの外部捜索でカイの居場所がわかった。」
数ヶ月後、やっと捨てた人形の情報が降りてきた。なんでも、マイアは人形を捨てた後に帰らぬ人となったので、捨てた場所もわからぬまま。「次に拾った人間や別の人形に関わることで執着心を元に心が成立できる」仮説があったと聞いたが、もし誰も拾わなかったら。見つけてもらえなかったら。
…まぁ、話を聞いた限り、研究対象は計画の通り無事人間に拾われ、運が良いことに、その人間も一体、人形を所持していたらしいので、人間一人と関わるどころか、別の人形とも関わっている。「順調」だそうだ。
「声の方はどうだ?」
「少し修正したらもう時期完成する。…だが、まだ動かすには早い。」
「近頃動かす予定がある。…集中するように。」
キルケゴールとの会話は、淡々としたものになっていった。壊れる前の、研究に没頭するキルケゴールとなんら変わらないが、声に生気が宿っていない。キルケゴールが退室しようとしたところで、ふと疑問が浮かび、呼び止めた。
「…待て。カイを迎えに行くとして、誰が向かうんだ?」
カイは彼女を「博士」と呼び、慕っていた姿を見たことがある。研究にカイを使い始めた当初も、人形実験は彼女に任せ、キルケゴールは「人間の心」について没頭していた。誰も、彼女以外の研究員とカイは関わりがなかった。唐突に無関係の研究員が迎えに来ても、不審に思われるだろう。拾った人間に対し執着が宿っているなら、尚更だ。
「…だから、“パンドラ”を向かわせる。近頃使うと言っただろう。」
パンドラとは、彼女が残した子ども人形に、キルケゴールが付けた名前だ。
…とはいえ、いくら彼女に似せて作られていても、背丈の違い、髪型まで変わっている。カイは賢い子だ。それくらいの変化は気づく。
「不審に思われなければいい。そこで、パンドラの“役”を君に頼みたい。」
「…は?」
確かに、パンドラ…を動かすには現状難しい。発声機能もまだ付けてない状態、ましてやメカニックとは違い、知能も、まだ言葉を習う前の幼子同然だ。人形を遠隔で操作し、人形越しに声を送ることだって出来るとは聞いたことある。
…だからと言って、最近のこの人の言い分は異常だ。
「君は演技講師をしているだろう。パンドラと言ったが、カイが慕う「博士」はマイアだ。正確にはマイアの役。パンドラを操り、博士と称して迎えに行ってほしい。」
「君の持つ人形はマリオネットタイプだったな。パンドラはビスクタイプだが、マリオネットとほぼ操作が変わらないよう手を加えた。…これなら、操作がわかるだろう。」
「対象を捨てる時、眼球は取り外していた。声のデータもマイアそのものだ。君の演技力さえあれば、不審に思われん。」
…もし、拾った人間が新しく目を買い与えていたらどうする。と言う余力も残っていなかった。
…私は、元役者だ。いつも、その者が望む姿となって現れる。
天使を望む者には、天使として。
悪魔を望む者には、悪魔として。
博士・同僚・配偶者を望むものには……。
…今は、「博士」か。
「準備は」
「出来ている。」
「対象は今街にいる。リシュリューについていき、見つけ次第演技を始めてくれ。」
「…ああ。」
…私は醜き幻影だ。あなたを、完璧に演じることは出来ない。君を完全に欺くことも出来ない。…私は、そう信じている。少しの反抗だ。無理に連れて行くことはしない。君の判断で応じろ。
「…カイ。」