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    Bungu_Aya_

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    TRPG「狂気山脈〜邪神の山嶺〜」の平岡みお視点のエピローグとなっております。拙い文章ですが何卒ご容赦ください。大変楽しかったです。

    #1 その後の話狂気山脈から下山後、私ははすぐさま病院へと運ばれることになった。あの中で1番軽傷であったとはいえ、体と精神はとうに限界を迎えていたのだろう。救助隊を見つけるや否や、糸が切れる様に気絶してしまったらしい。後に梓さんに
    「びっくりしたんだから!」
    と泣きながら言われてしまった。随分と心配をかけてしまった様である。申し訳ない気持ちになるのと同時に、なんてお人好しなんだとも思った。彼女らしいとも言う。
    そして最悪なことに、怪我の状態は思ったより酷かったらしい。数ヶ月は入院する羽目になった。おかげで退屈な病院生活である。元来私はバリバリのアウトドア派であり、この様に建物に引きこもるのは苦手なのである。しかし不幸中の幸いと言うべきか、梓さんとは同室に入院したので、話し相手に困ることはなかった。つくづく私は運が良いと言えるだろう。最も、あの狂気山脈から生還した一人なのだから。



    退院後、私は梓さんと別れ、学校に第一登山隊の悲惨な最期を報告した。証拠として日記を提出し、その事は瞬く間に学校中に広まった。それは学校にとどまらず、一体どこから嗅ぎつけたのだろうか。様々な放送局や新聞記者が取材をと押しかける様になってしまった。おかげで世間から「最年少の世界初の登山成功者」として知られる様になり、周りから好機の目線に晒される羽目になった。そんな生活がずっと続いたので、うんざりした平岡家はマスコミの目の届かない遠い田舎に引っ越すことにした。元々田舎に移住しようと話があったので、かなりスムーズに引越し作業は進んだ。明後日にはこの家を立つ予定である。



    下山してから直ぐに、亡くなったコージー・オスコー、ケヴィンキングストン、朝月ことりの葬式が執り行われた。壇上に横たわった真っ白な空の棺には、彼らが残した、かつて彼らが生きた痕跡が収まることになった。本来入る予定だったモノがそこに収まることは無い。未来永劫、彼らはあの山の一部となり続けるのだろう。救助隊に私達が運ばれた後、数日に渡り、ヘリで彼らの遺体が捜索されたが、山脈は猛吹雪の上、登山してきた経路で大規模な雪崩が起きたらしい。これでは遺体はどこかに吹き飛ばされてしまっているだろう、と捜索は断念されてしまった。
    …2週間余り共にすごした彼らに対して、何も情が湧かない訳では無い。特に、ことりさんと私は関わりがたくさんあった。しかしもう一度、あの山に入る勇気が私にはなかった。私があの山に入れたのは、部員の生存に強く望みをかけていた事、そしてあの山の存在を「理解」していなかったからだ。アレは人知の領域から大きく逸脱したものだ。山なんて言葉では収まらないナニカ。我々登山家を飲み込む、先の見えない深くて大きなバケモノ山。ハッキリ言って、私が生存できた理由が分からない。私よりも経験豊富で、年上で、博識な頭脳を持った人達がいた。彼らもまた、生存するのに相応しい人物であったと言えるだろう。しかし無念にも、帰らぬ人となってしまった。
    前髪を止めていた、ゼラニウムの花の髪飾りを手に取る。5年前、親友から誕生日プレゼントに貰ったものだ。鮮やかな赤は、経年劣化により所々白っぽく変色してしまっている。

    「―――――」

    親友の名前を呟く。目の前には、呟いた名前が刻まれた墓石が立っている。彼女は第1登山隊の中にいた。彼女も彼らと同じく、帰らぬ人となっていた。

    「遅れてごめん。もしかしたら顔も見たくないかもしれないけど、今日やっとここに来れた。君に、報告ができる時が来たんだ」

    彼女の1番好きな色である、桃色のゼラニウムを墓前に供える。親友とは2年前に絶交した。きっかけは些細な喧嘩だった。いつもだったら言える「ごめんね」を、その時私はどうしても言えなかった。なんでもオールマイティに出来る私は、私よりもっとなんでも出来る彼女に対して、酷い言葉を浴びせた。今思えば、子供じみた醜い嫉妬だ。しかしその言葉は彼女の心に深く突き刺さった。その結果、親友は「元親友」になってしまった。その時初めて後悔した。心の底から、過去に戻りたいと願った。何度願っても、どれほど懺悔しようとも、天は私を許さなかった。それから2年後、親友だった私達は、同じ登山部のエースとして、ほか数名の部員と共に狂気山脈の第1登山隊に入った。その頃には、彼女とは目も合わせなくなっていた。互いに居心地の悪いまま、登山隊が登山を開始しようとしたその時、携帯に母からの着信があった。母は電話を好まず、基本メールで連絡を取る。故に緊急事かと思い、急いで電話を取った。聞かされたのは祖母の訃報だった。突然の連絡でパニックになった私は、登山隊に家に返されることになった。今でも思う。世界一危険な登山だということが分かっていたのだから、ここで、この時、彼女の目を見てたった一言「ごめん」って言えてたらきっと。



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