モンドの貴族や富豪などの有名人の縁談の申込みなどは護衛として騎士団を通して行われる。
惚れた腫れたなどの情報は交渉に打ってつけだし、事を先回りさせるにも都合がいい。
普段は受付から上部へ直通の連絡だが、ありがたいことに今は管理職が諸々の業務を掛け持ちして手がいっぱいだ。なので普段は戦闘員である騎兵隊の隊長が昔のよしみで庶務の様子を伺っても、感謝こそあれども職務違反だなんて誰も言わない。
開封禁止の手紙を手に取り蝋だけに強く霜を降らせればパキリと封が剥がれ落ちた。剥がしさえすればあとは簡単なもので中を確認してまた氷元素をうまく当てれば形を崩さず癒着させられる。少し手間だがまだ神の目を持っていない頃に封を切ったり貼ったりしていた時よりは隙がなくばれにくい。
相変わらずグンヒルド家にお目通りしたい人間は多い様だ。
モンド守護の要を担っている西風騎士団大団長不在の最中どうにか敬虔な代理団長につけ入りたいという下心は国内外で跋扈している。
ふと、何かが胸をよぎる。
自由化が進んでいても貴族への警備の緩和はおいそれと解けるものでもなくて、様々な階級の情報が騎士団に集まる。周りくどいがそれを記録するのも庶務の仕事の一つだ。
この家と縁談を持ちたい
そちらとの国際結婚をしたのでモンドの籍が欲しい
結婚相手を探している
つらつらと読んでいるうちにはたと気が付いた。
ディルック宛の手紙がひとつもない。
もちろんラグヴィンド家は貴族でありモンドきっての大商家である。商談を持ちたいなんて手紙はそれこそ焼いて肥料にしていると言われているくらい行き交っている。しかしまあそういった手紙は酒造組合が勝手に受け取ったりして(ディルックが帰国してからは特に)いるのだが、取り敢えずそういうことではない。
ディルックへの縁談の申し込みがひとつもないとはどういうことだろうか。
当時鮮烈を極めていた闇夜の英雄の陰に隠れながらもディルックが帰国した当初は彼に一目会いたいとそれなりに騎士団に連絡が来ていた。
それもそうだろう由緒正しき貴公子が表舞台にその清潭な顔を現したのだから。
それがいつから一通も来ないなんて有様になっただろうか。ガイア自身ディルックの凱旋に曲がりなりにも、一応、まあ闇夜の英雄の件も含め気を取られていたのでこの事態にまざまざと対面できたのが今日だった。
ここ一年ほどの資料を並べながら思案する。
綺麗に数字を減らしていく様にもしかして俺が工作したか?とすら疑ったが、そんな誰の得になるか分からない記憶があるわけもなく頓挫する。
例えば図書館司書に知らない金持ちから手紙が届く。
ディルックに手紙が届かない。
そう、何か理由があるはずだ。
大金持ちで顔が良くて素養もあって皆が知るところの元天才騎士。
モンドの抗争の歴史を象徴するような立ち姿は、これは決してガイアの考えではないが、実際彼が国民から愛されているのは今も昔も疑いようのない事実だ。
エンジェルズシェアに近づけばモンドの篝火のようにその灯りは一際輝いている。
その道すがらで届く賑わいを見るに、今日はディルックがカウンターに立っているらしい。その様子からしてもディルックがモテないなんてとても信じられない。
この店の火照るような熱は決して彼の炎元素の影響だけではないだろう。
自分は間違ってなかったと舌で溶けるような酒を味わいながら溜飲を下げた。
きちんと襟の整った首元と、緩やかにさらけ出された腕が高級なグラスを磨く。
その姿を肴にすれば多少空きっ腹を抱えていても良い心地でいられるような夜だった。
いや、違う。なぜこんな夜に、こいつはここにいるんだ!
飲んでいた酒を強めにカウンターに押し付け唖然とする。
モンドの平和な宵は暖かな風に包まれたロマンチストな者たちの憩いの時間だった。
その平和を作り上げているのがこの旦那様なのだが!
夜といえば悪魔のような赤色を携えモンドの危害となる敵に鉄槌を下しているか、酒場で情報収集をしている所に出くわす。
そんなことばかりしていては逢瀬など望めないだろう。
彼がもう一つの夜のお遊びを手放すはずがない。
それならここでしている情報収集の時間を彼のプライベートな時間に当てるということか。
俺にとってただ美味い酒が飲めないという損な話だが、万が一ラグヴィンド家がモテないなんて不名誉な噂ができれば…それだって不利益だ。
彼にはまだ社交界のトップに鎮座してもらわないと。
しかし、どうやってそれを実現させようか。
この前のバーテンダー体験のような催しは結局夜中の持ち回りができないので、俺が無理やり入っていけば?いやそんなこと許さないか。
ではいっそのこと誰も無視できないくらいに仕立てて浮ついた雰囲気を纏わせれば自ずと人が寄ってくるだろうか。
現状、昔の可愛いディルックと比べて彼に上がる黄色い声は小さくない。
隙のない完成された紳士にこれ以上どう手を加えるのだろう。
西風騎士団主催のパートナー相談会というものがある。
自由化の風潮に伴った交際のあり方についてアドバイスが必要な人向けに開催されている。
無料に行われている活動なのでなかなかの参加率だという報告だ。
「ガイアさん!!!??」
陽気な天気を携えたモンド城内のホテルの会場の一室。白仕立てのスリーピーススーツに身を包んだ騎兵隊長が一様に並んだ簡素な椅子に頭ひとつ飛び抜けて座っている姿に誰もが驚いた。
「なんでここに!?」
「結婚考えているのですか!?」
「いやだ!」
思い想いに上がる驚嘆は心無しか否定的だ。
「俺だっていい年齢だろう?ここの抜き打ち視察も兼ねてちょっと参加させてくれよ」
「おや、報告書の内容は改ざんなく提出しているが」
「まあ担当がアルベドだったのは予想外だが」
澄んだ瞳はこちらを見ず手記を続けながら声をかけた。
「それではみんなまずは近場の人と礼節を守った対話を試みてほしい。日常的な話題でいい。この会は誰とでもコミュニケーションを取れることが重要なのでね」
ガイアの前には既に年配の男性達で列ができている。
「ガイアさん、ぜひうちの孫娘と会ってみてくれないか!」
「うちの孫とも!話だけでもきいてほしい!」
「おいおい旦那達。自分のことはいいのかい?」
ガイアがこういう事に興味があると思うや否や老若男女問わず皆が騎兵隊長の周りに募った。
「みんなはここにいるからにはいい人を探しているんだろ?」
「はい。竜災もさり、復興に手を焼いているので、もし誰かそばで支え合える人がいればと」
「タイプとかあるんじゃない?例えば…見た目とかとか」
「もちろん!できれば力強くて、頼もしい人がいいです!」
「地位のある方も理想的です!」
「それと知的で大人びていて!髪の長い人とか!」
「お酒に詳しい人は素敵だなと」
「そうか!じゃあやっぱりディルックとかが理想なのか」
ガイアがひとつ笑みを浮かべながら自然に転がした言葉に一同はシンと息を顰めた。
勿論モンドに住まう人々に取ってディルックラグヴィンドは憧憬の対象だ。しかし、だからこそこの場の主旨を違うことはなかった。
「…いえディルック様とお近づきになるなんて恐れ多いです‥」
「なんというかガイアさんのように気さくな方の方が安心するっていうか。」
互いに顔を合わせおずおずと申し出る。
ガイアは酒場を盛り上げる為の常套句がこの場を冷やした事に意表を突かれた。
「あいつは貴公子だぞ?願ったり叶ったりじゃないか...?」
「しかしディルック様はとても厳粛な方のようですから」
「その、お側にいるとなるとやはり...」
「わしらはもう貴族とか権威にこだわるのは辞めたんじゃ」
暗にただ一緒にいても楽しくないと、ガイアはその萎縮した言葉に咄嗟に意義を唱えた。ディルックは仏頂面になる前より周囲から怖がられていた節があるが、そんな男ではないのだ。
「何をいってるんだ。あいつは髪が長くて顔もとびきり良い。教養も兼ね備えていて礼節を違わない優しいやつだし、当たり前だが酒にも詳しいな!貴族といっても商売で稼いでる上に皆知っての通り体力があって体も良い。パートナーにするなら理想的な男だろ」
ガイアは一通り捲し立てると長い足を窮屈な椅子にちょこんと収めた。
心無しか顔が赤らんでいる。
「ガイアさん...!わしが間違っておった。大事なのは気持ちなんだな。すまないあんたの気持ちも知らずお見合いを押し付けたりして...!」
「確かにディルック様はとても素敵な方だわ!とても声なんてかけれないと思ってたけどガイアさんならきっと上手くいきます」
「がんばってください!」
再び盛り上がりを見せた会場にガイアは別の方向へと舵が切られたことに気がついた。
「それじゃあディルック宛に面会の申し込みの手紙を出しておくよ」
「なんでだ」
「この会は縁談の機会を後押しするのも仕事だからね。ある程度気持ちが定まっている人には交際の橋渡しをしている」
「お前はこういう仕事しないと思っていたぜ。皆、誤解だ!」
夜
漸く挙がったディルックへの申し込みの記録はガイアが消した。
「君、結婚を考えているんだって?」
心底面白くない顔で酒を舐める。
少し空いたグラスを置くと、その上から新しい酒がなみなみと注がれた。
いつもなら嫌がらせに葡萄ジュースをだす店主が今日はずっとこの繰り返しだ。
こんなつまらない話題からさっさと退散したいのだが、残してしまうには惜しい程の出来栄えの美酒だった。
「根も葉もない噂にしては様子がおかしい。お前の悪癖が出てるなら正すべきだし...」
そうでなかったら...、ディルックはその続きを言い淀んだ。
この男はどうやら騎士団が行なっているパートナー相談会などという浮ついた催しに出席していたらしい。そこで彼は真剣に交際を考えている相手がいるだ何だとかが訳ありげに参加者たちが自分の周りで語ってきた。
嘘だと思ったが、もしかして立会人を求められているのかと。
彼と関係があるのは生憎自分だけだから。
そんな面倒な話、さっさと裏を漏らしてしまえと大好きな酒を飲ませてやる。
頑として黙秘を決めるガイアにジリジリと暗い炎が伸びた時だった。
コツコツとカウンターの窓が叩かれる音が聞こえた。
床下の棚から加工した生肉の入った袋をつかみ外に出る。大きな鷹が白い尾羽を月影に照し、手すりに立っていた。
「ご苦労、ヴァネッサ」
足に巻かれた手紙を外し、肉をひとつまみ与える。あまり間食を与えるのは憚れるが、聞き分けの悪い飲んだくれに酒を注いで、働き者の彼女に何も渡さないのはどうにも腑に落ちない気分だった。
手紙は質素な仕様だったが、騎士団の封が押されていた。見たことのない様式だったので大事を取って屋敷からヴァネッサを飛ばしたのだろう。
どの道騎士団からの連絡など履いて捨てるものだろう。店の裏口で人目につかないことをいいことに乱雑に封を切った。
バタン!と大きな音を立てて裏口が開いた。
ヴァネッサは一瞬肩を怒らせたが男に気づくとすっと居直る。
ガイアは足をもつれさせ壁に寄りかかりながらもディルックが手にしたものを見つけ蒼白な顔を晒した。
ディルックはどこか幼く目を丸くして手紙を掲げる。
「これによると...長いから要約するが、僕の見た目が好ましく、一緒にいて楽しいからデートをしてほしいと」
「.......」
ガイアの顔今度は一気に赤く染まり本当に具合が悪そうだった。
「...嘘なのか?」
「嘘じゃないだろ。皆そう思ってることを言っただけ、当たり前のお世辞だ」
「......知らないかもしれないが、そんなこと直接言ってくるのは今も昔もお前だけだよ」