晩夏の金木犀 香水が嫌いだ。
どうも俺には刺激が強すぎるようで、鼻腔を突き抜けていく香りに痛みすら感じる。
「おまたせ」
待ち合わせていた女が、強烈な金木犀の香りと共にやってきた。
ただでさえ残暑にうんざりしていたのに、更に気が沈む。鼻の奥がつんとしたから軽く啜っただけなのに、女は嬉しそうな顔を見せた。
「気づいた? ちょっと早いんだけど、大好きな香りなの」
女というものは皆、香りにうるさく香水が好きなようだ。
俺は安い石鹸の香りで十分だった。
そして、香水以上に金木犀が嫌いだった。
そこらで雑に茂っているだけでも強く香り、鼻腔どころか服にも、部屋の中にまで纏わりついてくる。草木にさほど関心のない俺でさえ名を知る程に、香りだけで人の記憶に刻まれる不快な植物。
「もうすぐ秋か」
自分で呟いておいて、絶望した。
あのひとがいたのは、向日葵や朝顔など香りのない夏の花が咲き乱れる時期だった。
一年ぶりに訪れる独りきりの盛夏を乗り越えていける自信がなく、俺は夏の花に縋りついた。向日葵や朝顔ならどれだけ爛々と咲いても、あのひととの記憶を静かに彩ってくれるだけだった。
それももう、限界を感じていたが。
街の至る所に植えられた黄金色の向日葵は、とうに黒くなり下を向いている。雑な手入れでも辛うじて育ってくれた色とりどりの朝顔たちも、次第に萎れた花びらが目立っていき、青い実が膨らみ始めている。じきに茶色く色づき、爆ぜるだろう。
それでも、夏の花に縋って良かったと今でも思う。
あのひとだけは、香水をつけなかった。
だから、いつも俺の部屋にある安い石鹸の香りがした。
花々を見つめながら自分の汗ばんだ前髪をかきあげれば、あのひとが俺を呼ぶ姿を、花火に喜ぶ姿を、寝息もたてずに眠る姿を思い出せた。
そのお陰で、この夏を乗り越えられた。
あの人から香るのが、いつまでも、どこまでも、だれからでも香って纏わりつくような金木犀だったら、俺はどうなっていただろう。
秋を感じる涼風が、街を吹き抜ける。
夏の花は役目を終えた。
種を吐いたらあとは枯れていくだけだから、もう目を逸らすことにする。
有難う、お疲れ様。
これからの季節、きっと今以上には辛くならないだろう。
……来年の夏は、あなたにまた会いたい。
崩れた前髪をかきあげても、時期尚早の金木犀ばかりが香った。
鼻の奥が、つんとする。
「俺ん家寄って良いかな。シャワー浴びたくて……」
おそらくだが、俺は女以上に香りにうるさい人間なんだ。
「ああ、一緒に浴びない?」
安い石鹸の香りだけを嗅いでいたい。