警察手帳紛失するとクビになるんだってさ 警視庁で用意してもらったロッカールームで、狐は呆然としながらひとり言のように呟いた。
「本当に許可証無くなっちゃったぁ…」
その声に応えるように、早乙女が自分のロッカーの扉を閉めながらため息混じりに呟いた。
「俺の方も見つからないな…」
「俺もだな…」
希乃も舌打ちしながらロッカーを閉める。そもそも警察手帳はそう落とすような所持の仕方はしない代物であり、狐も警視庁から発行された許可証は、パスケースに入れて首から下げていたはずだ。
それを紛失するとは。それも、紛失すれば懲戒免職モノとは、無くすまですっかり忘れていた。
「クビになっちゃったらどうしようね…」
のろのろと口元に片手を当て、少し上ずった声で狐が泣き言を漏らすと、早乙女が励ますように肩を叩いてきた。
「まだ時間はある。俺はギリギリまで粘るぞ」
「俺もだ」
希乃も短く断言する。狐の肩に手を置いたまま、早乙女がそっと顔を覗き込んできた。
「あんたも諦めるにはまだ早いんじゃないのか?」
早乙女の諭す様な励ましと笑顔に、狐は何度か瞬きをし、小さくうんとだけ返事をした。そして、思い出したように先程廊下で拾った警察手帳を取り出す。白金が落とした物だが、返そうにも白金は煙のようにその姿を消してしまった。
「ねぇ、これ返さないとあの人までクビになっちゃうよ」
さすがに警察手帳に悪戯をする気にはなれず、狐は一度裏を見たきりで中を確認していない。
早乙女が革手袋に包まれた手を差し出した。
「そうだな、少し見せてくれ」
はい、と警察手帳を渡すと早乙女は表紙をぱっと開き、名前を確認した。すぐにあぁ、と納得したような声を上げる。
「俺の知り合いだ。今から返しに行くか」
「警察手帳を落とすなんて、たるんでるな…」
「それに関しては俺達が何か言える立場じゃないですよ」
「チッ…」
希乃の舌打ちを合図に、三人はロッカールームを出た。
早乙女の先導で持ち主に警察手帳を返すと「ありがとう!寿命が縮まる気分だったぜ!」と彼は大げさに笑った。こっちはまさに寿命が縮んでいる最中だったが、黙っていた。
「お前たちも気をつけろよ。明後日は月頭の支給品点検日だからな。支給されている無線に手帳!それから拳銃とかもだな」
その言葉を聞いて、狐はすぐさま希乃と早乙女の上着の後身頃を掴み、ぐいっと引き寄せた。額と額を突き合わせて三人が円陣を組むと、真剣な顔を見合わせた。
狐が蒼白な顔を笑わせる。
「僕、お腹痛くなりそう…」
「俺もだ」
「チッ…」
〜どん兵衛奇譚〜
少し早い昼食として、三人は手近な公園のテーブルでどん兵衛のきつね蕎麦を啜っていた。
「そういえば、どうして希乃さんは稲荷田さんをどん兵衛って呼ぶんですか?」
早乙女が希乃の方を見る。希乃はほんの少し考える素振りを見せたが「何でだったかな」とぶっきらぼうに答え、蕎麦を啜る作業に戻る。代わりに狐が身を乗り出し、悪戯っ子めいた笑顔を見せた。
「希乃さんにね、僕の名前を覚えて欲しくて、どん兵衛のきつねを差し入れしてたんだけど、きつねじゃなくてどん兵衛の方で覚えちゃったみたい」
「稲荷田さんはその呼び方で良いのか?」
「良いよ。どん兵衛って響きが良いし」
良いのか。早乙女は言葉にせずに心の内にその思いを秘めた。
「そういえば、希乃さんと稲荷田さんはいつの間に知り合いになったんだ?」
「妙な事件に巻き込まれてな。そん時だ」
「そうそう。あの時も色々あったね」
相変わらずぶっきらぼうな希乃と対照的に、ふふっと狐が笑う。
「へぇ、俺達みたいな事をしていたのか?」
早乙女の言葉に一度うんと頷いた後、狐は素っ頓狂な声を上げた。
「あ、でもね、僕が結婚を申し込んだのは早乙女さんだけだからね!」
早乙女と希乃が一斉に噎せた。