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    ラッコ

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    ラッコ

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    クトゥルフ神話TRPG
    「カクテルドレスを脱がさないで」
    (DAISUKE 著)

    参加者
    夜鷹
    香水都月

    #TRPG

    カクテルドレスを脱がさないで結婚したまえ、君は後悔するだろう。
    結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
    (キルケゴール デンマークの哲学者)

     マリカ・セイリムは多くの男を誘惑し、破滅へと導く魔女だ。その噂はファッション業界だけに留まらず、あらゆる場所で囁かれていた。
     汚職や破産、事故、自殺。実際にマリカに魅了された男の末路は、どれも悲惨なものだった。
     サバトが開かれていたという土曜日の夜、マリカが手がけたウェディングドレスの先行発表を兼ねて、夜会が催された。
     マリカの身元調査の依頼を受け、夜鷹は招待客に紛れて夜会に潜入していた。
     夜会は盛大だった。
     色とりどりのドレスの裾が、楽団の奏でる優雅な調べに合わせて花開くように広がる。光沢を帯びた絹とベルベットの波が、滑らかに足元を流れていた。
     振る舞われているカクテルの濃厚な甘い香りと、鮮やかなドレスが彩る会場は、招待客を陶酔の淵へ誘う。
     先ほどまで夜鷹と歓談していたピーターは、曲が終わるや否やマリカめがけて早足で近づき、強引に手を差し出した。
     二人のただならぬ雰囲気に、夜鷹も会場で知り合ったブランド鑑定士の香水の手を取り、ダンスの輪へと加わる。ステップを踏みながら、視線は常に二人を捉えていた。
     曲が終わる。夜鷹は香水の手を引いてダンスの輪から抜け出すと、ラウンジエリアの一角へと滑り込んだ。小柄な香水は人波に揉まれたのか、胸に手を当てて弱々しいため息をついた。髪を飾るリボンが小動物の耳のようにくったりとしているのを見て、夜鷹は目を細める。
    「はぁ…、圧倒されちゃいますね」
    「何もかもが桁違いの豪華さだからな」
     ホールの奥で、楽団員達が楽器の手入れを始めていた。招待客も各々のパートナーを送り届けると、ダンスは小休憩に入った。
    「クソ、あの魔女め!」
     マリカとのダンスを終えたピーターが、荒々しい足音を響かせて二人に近づいてきた。テーブルにずらりと並んだカクテルを手に取ると、一気に喉に流し込む。空になったグラスを乱暴にテーブルに叩きつけると、ウェイターが一瞬咎めるような目線を向け、無言でグラスを片付けた。
     ピーターの兄は、マリカに求婚した直後に投身自殺をした。突然の兄の死を疑問に思い、はるばるアメリカからマリカを追いかけて日本まで来たのだと、夜鷹はピーターから聞いていた。
    「ピーター、兄貴のことは聞けたか?」
     夜鷹が囁くとピーターは口元を拭い、甘い香りのする息を吐いた。
    「いや。あの女、はぐらかすばかりで何も喋らない」
     ピーターは酔いの滲んだ目で、招待客と歓談するマリカを睨む。
    「何も知らない訳がない!兄さんが飛び降りたのは、あの女が出て行った直後なんだ…!」
     三人の視線がマリカに注がれる。大胆に開いた胸元で、黒い宝石が怪しい光沢を放っていた。
    「あの宝石、何だっけ?」
    「黒曜石と黒真珠ですね。山羊座のドレスにも同じものが付いてました」
     二階に飾られたウェディングドレスを見上げ、香水が夜鷹にもわかるように控えめに目線で示した。
    「…悪い、酔ったみたいだ。ちょっと休ませてもらう…」
     制するように軽く手を上げて、ピーターがおぼつかない足取りで二人から離れる。壁に背を預けると、ネクタイを緩めて大きく息を吐いた。
    「ピーターさん、大丈夫でしょうか?」
    「一杯しか飲んでないから、すぐに元に戻るだろ」
     会場を見渡すと、ほとんどの招待客が同じカクテルを口にしていた。提供されているカクテルは、一種類だけのようだった。
     視界の端で、マリカがカーテンの奥へ身を滑り込ませるのが見えた。カーテンは彼女の動きに合わせて軽く揺れ、やがて元の形に戻る。
    「そういえば、ここってマリカさんの屋敷と繋がってるんだよな?」
     香水がこくりと頷くと、夜鷹はにぃっと目を細めて笑った。指でマリカが向かった先を示す。
    「行ってみようぜ」
    「え!?そんな泥棒みたいなことしちゃダメですよ!見つかったらどうするんですか?」
     目を丸くして反対する香水に、夜鷹は片目をつむってみせる。
    「大丈夫だって。あんたが可愛く謝れば、大体のことは丸く収まるって」
    「えぇ〜」
     乗り気でない香水をどう説得するか考えていると、再びダンスが始まる時間になった。男性は女性を迎えに行き、ダンスフロアへと流れていく。
     男女が向かい合い、演奏が始まる前の僅かな緊張の後、舞踏が始まった。
     しばらくダンスを眺めていると、オーケストラの演奏に高い笛の音が無作法に混ざりだした。耳聡い者から、訝しげに楽団に目線を遣る。指揮者もタクトを振りながら、困惑した表情を隠せないでいた。
     笛の音は誰の耳にも聞こえるほど大きくなる。恋人を呼ぶような、いじらしい旋律だったが、この場には不釣り合いな音だった。
     人々は不安を浮かべた顔を見合わせ、笛の奏者を探しだした。楽団の演奏は止み、笛の音と、小さい囁きが会場に響く。言いようのない閉塞感が漂いだした。
     シャンデリアの光がちらりと揺れる。その直後、ダンスフロアの床から紅蓮と漆黒の光が溢れた。光は会場を取り囲むように山羊座の星座マークを描くと、やがて消えた。
     夜鷹が香水を下がらせる。直感だった。これで終わるはずがないと、夜鷹は会場に鋭い視線を向ける。
     直感は当たった。
     一人の男が胸を押さえ、低く呻いた。パートナーの女性が心配して背中に手を置いた瞬間、男は床にどす黒い液体を吐き出す。悲鳴があがり、人の波が一斉に引いた。
     シャンデリアの光を受けて、吐瀉物は黒曜石のような艶やかさを放ち、波打つように蠢く。人々の恐怖の視線を一身に受け、それは膨れ、捻じ曲がり、やがて山羊の頭を持つ奇怪な生き物となって、ひび割れた鳴き声をあげた。
     鳴き声に呼応するように、招待客達が次々と口元を抑える。指の隙間から漆黒の粘液が滴り、床に落ちた。床に落ちた吐瀉物はぶるぶると肉を震わせ、思い思いの形に変じ、産声をあげる。そのどれもが山羊を思わせる形をしていた。
     会場が悲鳴で埋め尽くされた。先ほどまで優雅なステップを踏んでいた足が、逃げ惑う乱雑な足音へと変わる。
     黒い子山羊達は次々に体から触手を伸ばし、恐怖で立ち竦む子羊達を絡め取ると、床に押さえつける。触手から垂れる粘液が服に触れた瞬間、布が溶け落ちた。
     ついに正気を保てなくなったのか、中年の紳士が隣にいた相手に殴りかかる。その向こうで若い女性がテーブルに整列していたカトラリーを鷲掴みにし、己の白い手首へ何度も突き立て、ドレスに鮮血の花を咲かせた。
     出入り口には人々が殺到していたが、扉は押しても引いても開く気配がない。
     夜鷹は香水を背中に庇い、柱の陰に身を潜めて子山羊達をやり過ごしていた。
    「マズいな。ピーターはどこにいる?」
    「あっちです。ほら、あそこ」
     香水が指で示した方を見ると、ピーターは前屈みになり、胸を押さえて蹲っていた。夜鷹はすぐさま駆け寄り、軽く肩を揺らす。
    「おい、大丈夫か?」
    「…胸が、苦しい」
     額に脂汗を浮かべたピーターが、搾り出すように告げる。
    「吐いちゃいましょう!」
     香水がテーブルから水を取り、ピーターに飲ませる。しばらく香水が背中を摩ると、床に淡褐色の液体を吐いた。ピーターは何度か大きく息を吸うと、背中を摩る香水の腕をそっと押さえ、大丈夫だと首を軽く振った。
    「ありがとう、もう平気だ。しかし、何だこの騒ぎは…?」
     黒い子山羊と人間が悲鳴をあげて入り乱れる舞踏を、ピーターは呆然と見つめる。あれだけの煌びやかさを誇っていた夜会は、今や食器や楽器が床に散らばり、半裸の男女が倒れ伏しているというありさまだった。
    「俺にもわからない。急に笛の音がして、それからこの騒ぎだ」
    「マリカはどこに行った?」
    「あっちです、カーテンの向こう側に行きました!」
    「追うぞ!これ以上魔女の好きにさせてたまるか!」
     勢いよく立ち上がるピーターを、香水が支えた。子山羊の群れは会場内に閉じ込められた客を追いかけ、縦横無尽に飛び跳ねている。マリカを追いかけるには、この中を突っ切るしかない。
     軽く足首を回しながら、夜鷹はピーターを見る。吐いたせいか、顔色がだいぶ戻っていた。行ける。夜鷹はそう判断した。
    「俺が先に行くから、あんたは一番後ろでこの子を守ってくれ」
    「任せておけ」
     夜鷹は軽く頷き、目で合図をしてから先陣を切った。三人の動きに気付いた子山羊が威嚇するような声をあげ、行く手を遮る。夜鷹はテーブルを蹴飛ばし、子山羊にカクテルをグラスごと浴びせかけた。
     テーブルの下敷きになった子山羊を踏み潰し、新たな子山羊が二匹、三人に向かってくる。夜鷹はテーブルクロスを引くと、そのテーブルも蹴り飛ばした。乗っていた食器が派手な音を立てて散らばる。
     テーブルの一撃から逃れた子山羊にテーブルクロスを被せ、視界を奪う。頭に蹴りを入れながら、夜鷹は叫んだ。
    「走れ!」
     遅れがちな香水の手を夜鷹が引き、三人は会場を駆け抜ける。緞帳のように厚いカーテンの後ろに飛び込み、目立たぬように設置されている扉を抜けた。
     扉の先は、白を基調とした居住空間へと続いていた。廊下に置かれた調度品はどれも優雅な曲線を持ち、磨き上げられて艶を放っている。
     扉を閉めると、会場の喧騒は聞こえなくなった。いつの間にか笛の音も消えている。子山羊達もここまで追ってくる気配もない。
     屋敷の奥からほのかに甘い香りがする。パウダリーなムスクの中に、ミルクの香りが混ざっていた。どこかで嗅いだことがあるが、思い出せない。
    「この真鍮の燭台、イタリアのハイブランドですね。しかもこの刻印は職人さんの手作業で作られた一点物の証拠ですよ。あ、こっちの置き時計も…」
     香水が金色の目を輝かせ、シェルフに置かれた家具に顔を近づける。夜鷹とピーターは顔を見合わせて小さく笑った。
    「このお嬢さんはブランドに詳しいんだな」
    「ブランドの鑑定士なんだって。宝石やアンティークも鑑定してるみたいだ」
    「あぁ、通りで詳しい訳だ」
     ルーペを取り出して時計の細工を見始めた香水の目の前で、夜鷹はひらひらと手を振った。小さく飛び上がった拍子に落ちそうになった時計を、ピーターが受け止める。
    「鑑定はまた後でな」
     時計の隣、陶器の花瓶にアイビーが飾られていた。花より葉が多く、華やかとは言い難い植物が飾られているのが不思議だった。家主の趣味からして、ここに飾られるのはきっと大輪の薔薇だと、夜鷹は葉の表面を撫でながら思った。
     一際目を引く木製の扉を開けると、白い長テーブルにずらりと料理が並べられ、その中央にウェディングケーキがあった。
     結婚式。それは誰の目にもそう見えた。
     白い影が揺れる。それは数多くの男を破滅へと導いた魔女、マリカの姿を浮かび上がらせる。純潔を象徴する純白のウェディングドレスに身を包んだ魔女が、少女のように微笑んでいた。それは妙に純粋で、子どもじみた微笑みだった。
     自身が幸せになることを、少しも疑っていない無邪気な笑顔。
     マリカの幻が、夜鷹に向かって何かを放り投げた。左手で掴む。アイビーのブーケ。葉が多く、華やかさとは無縁の植物。
     ふと、アイビーの花言葉を思い出した。永遠の愛、結婚、誠実、死んでも離れない。
     魔女でも結婚に幸福の幻想を抱くのかと、夜鷹は静かに口元に嘲るような笑みを浮かべた。ブーケを床に投げ捨てる。
    「悪いな。俺はこういうのは信じていないんだ」
     花嫁の幻は微笑みを浮かべたまま、やがて消えていく。
     無意識に左手の薬指に触れていた。もう二度と、そこにアイビーの蔓が絡まることはない。何かを振り払うように、夜鷹は左手をコートで拭った。
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