竜の■■に触れるふとした気配に目を覚ました。
まぁ寝ていても寝ていないようなものではあるのだがそれは気分もある。しかし此処で過ごすようになってからは「睡眠」というものがより一層心地良いものになったのは違いない。
そしてその睡眠を破ったのは、我が主が寝室を出ていく気配がしたからだ。
『………』
はて。気配の行き先はトイレではなさそうだ。
よもや外に出るだなんてことはあるまいが──何故か無性に気になってしまった。
よっこいしょ、と身体をゆっくりと起こす。スヤスヤと眠るスイとドラを起こさぬように。
『何処へ行く』
やっぱりな、と顔を向ければ横たわったままのフェルがこちらをじっと見ていた。めんどくさい若造め。
『少し顔を見に行くだけよ。すぐ戻るから気にするでない』
気になっているのならお前が後を追えば良かったろうに。主に散々「過保護」だのなんだのと言われたせいか近頃はおとなしくしているみたいだがここまでだと逆に心配になってくるのぅ…。
フェルはフンと鼻を鳴らしてまた頭を伏せた。行くならさっさと行けということか、そう受け取ることにして儂はそろそろと部屋を出る。
気配は……どうやらリビングみたいだの。
また何か神託でも受けたのか商人の仕事のやり忘れとかか。考えを巡らせながらなるべく足音を立てないようにリビングへと足を踏み入れた。
するとそこにはやはり主、ムコーダが居て。
「あれっ?どうしたのゴン爺」
小さなランタンを傍らに座り込み、我が主はビールを嗜んでいたようだ。儂はその近くに寄り『主殿こそ』と差し障りのない言葉を返す。
「俺はなんか、目が覚めちゃって。また寝ようとしても寝れなくってさ…ゴロゴロしてるとフェルが目ぇ覚ました挙句心配させちゃうから抜け出してきたんだ」
『成程』
ほれ見ろ、過保護が逆に主の心労になっとるではないか。一番長く居る従魔のクセに何をやっとるのだアイツは。
「ゴン爺も良かったら一緒に飲む?と言ってもたくさんはダメだけど」
『うむ、主殿がそういうならありがたく相伴に預かろう』
「じゃあロング缶にしよっか。…あった、はい」
そう言って主はアイテムボックスを弄りこちらにジョッキなる入れ物を手渡してきて。ビールの缶を開けてから「どうぞ」とそこへビールを手ずから注いでくれた。
『主殿、仮にも主人なのだからそんな事せんでも』
「いいのいいの。…俺がしたいんだからしたいようにさせてよ」
『うむ…』
…なんといっていいものか。今日のムコーダはどこかがいつもと違う。
こんな近くに居るのに遠くに居るような、自然とこちらの気持ちも不安になって。
『──主殿』
「ん?」
『悪い夢でも見たのか』
軽く冗談めいた口調でそう問うた。すると。
「えっ何でわかったの?」
『ほ?』
やっぱドラゴンって察しが良いのかな、なんて主は驚きと感心に満ちた顔でこちらを見ている。まさか図星だったとは…今さら当てずっぽうだとは言えなくなってきたな…。
『また眠れぬほどに嫌な夢だったのかの?』
「…………うん、まぁ」
『儂らにも言えぬ内容か』
「言えないっていうか……知ってる?夢って言ったら本当になっちゃうんだぜ?まぁ俺の世界での話だけど」
『何を、それなら関係ないじゃろ。ここは異世界じゃぞ』
こういう時ぐずくずするのが我が主の悪いところの一つでもあり良いところでもあると自分は思う。
しかしこのままではモヤモヤするし何よりムコーダの表情や気持ちを曇らせるような夢の内容に腹が立った。
それが現実になるのなら自分が全部ぶち壊してくれよう──そう思ってせっついたのだが。
彼はふっと微笑みをひとつ落として「じゃあ言うけど」、と静かな声で言った。
「みんなが、死ぬ夢だよ。…な?本当になったら嫌だろ?」
バツが悪そうに笑ってムコーダはビールをひと口煽る。
ゴン爺は早く言えと言った手前、なんだか急に座りが悪くなった気持ちになった。
この人間はたまに毒づくこともあるが根は善良で気遣い屋なのだと知ってしばらく経つというのにそれを失念してしまっていたのだ。
『…………確かにそれはちょっとアレじゃの』
「わかってるんだよ、フェルもスイもドラちゃんもゴン爺もめちゃくちゃ強くって並大抵のことじゃどうにもならないってことくらいは。でも夢の中で、映像で見せられちゃうとさ……意識はしちゃうよな」
どんな風に、とまでは言わないということは彼にとっては辛いものだったのだろう。
しかし夢になど何を恐れているのか?もし現実になったのならば自分達がただ弱かっただけだと、少し前の自分ならきっと思っていたはずた。
矮小な人間が余計な心配を──などと口先をついて出たのかもしれない。でも。
『主殿。少なくとも儂はそうそう死なぬよ』
「…うん、わかってるよ」
強さも寿命もこの世界で一番だという自負、事実。強さはフェルと同等かもしれないがおそらく自分のが永く生きるのであろう。
「でもさ」
カランとビールの空き缶が転がる。主の、ムコーダの手がこちらへと伸びてきて。
「もし俺が生きてる間にフェルもスイもドラちゃんも居なくなっちゃってこの世界が嫌だってなったら……ゴン爺、俺ごとこの世界滅ぼしてくれない?」
皮膚の柔い手が自身に触れた。手を握られたのだと理解するまでに少し。主は夢心地のような笑みでこちらを見つめている。
『…嫌だとは』
「言わないでしょ。ゴン爺ってば頼んだことはきちんとしてくれるタイプだって俺わかってるから。付き合いがまだ短くても、それぐらいわかるよ」
硬く冷たい皮膚を突き破るように伝わるその温もりはじわじわと身体中を巡っていくようだ。毒に侵されるのはこんな気持ちなのかもしれない、なんて馬鹿げたことを頭の片隅で思いながら深く息を吐く。
『約束はできんが念頭には置こうかの』
「あは、やっぱり優しいねゴン爺」
『主にだけじゃよ』
そう、こんなに心を砕くのはこの主にだけだ。
孤高の存在だった自分に対して怒り、笑い、褒めそやし当たり前のように隣に居てくれる。こんな人間がここまで自分の感情も行動も塗り変えてしまうとは夢にも思わなかった。
ダンジョンの最下層でただただ惰眠を貪っていた自分の方がよほど矮小な存在であったな、などと自嘲すらしてしまうほど。
「ゴン爺、ありがと」
『例には及ばんよ……瞼が少し重たそうじゃが寝てしまったらどうじゃ?寝室まで運んでやろう』
「んん…じゃあお願いしようかな。あ、さっき言ったことは酔っ払いの戯言だとでも思って…」
『わかったわかった。寝て起きたら忘れて良いぞ、儂も忘れよう』
「………ん…」
そのまま我が主はぽて、と軽い音を立てて儂の膝に身を預けて寝てしまった。それは酔いなのか安心からなのか…後者だと少し…いやかなり嬉しかったりもするが。
たかが1500年。されど1500年。
その間に何があるかはわからんが、もしこの主ムコーダが絶望し何もかも壊したいと思うことがあるならばこの儂『古竜』が全て引き受けよう。
そしてその破壊はあえて悪意をもって行うのだ。さすればこの主にかけられた〈完全防御〉がその身を守り、壊れた世界には儂とこの人間の二人だけになる。
──さすれば、全部は自分のものに。
『…儂も酔ってるのかの』
そんな馬鹿げた絵空事を描きながら残っていたビールを仰ぐ。
すっかり温くなってしまったソレはまるで自分の頭の中のようだなとゴン爺は自嘲した。
薄暗い部屋にかすかに響く、自分以外の寝息にゆっくり耳を傾けながら。
『何を話しておるのだ…クソ、あの爺め結界を張りおったな…?まったく帰ってこんではないか…』
『フェル、小声のつもりなんだろうがうるせえよ〜』
『スヤスヤ……』
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