46kcal 玄関を開けた途端、バタバタバタと騒々しい音が聞こえてくる。
「あれ、大瀬さんか」
「……なに」
「まあいいや」
なんだろう。いおくんが考えてることはいつもよく分からない。
「ねえねえ、今飲みたいものとか、食べたいものとかある?」
「え?うーん……、カルピス……?」
「カルピスね、任せて!今すぐ作るからリビングで待ってて」
「いや、クソ吉にそんなことしなくていいから」
「作らせて!今やること何もなくておかしくなりそうなの!」
「ええ……」
いおくんが必死な顔をして迫ってくる。
「夕ご飯の準備も洗濯も掃除も、全部終わっちゃったんだ……。誰かに命令してもらおうと思ったらみんな出かけてるし!そこに大瀬さんが帰ってきたからさ。大瀬さんとは奴隷契約結んでないけど……、今だけお願い!絶対おいしいカルピス作るから!」
なんかもう、断る方が面倒くさい気がしてきた。カルピス作ってもらうくらいなら、まあいいか……。
「一杯だけなら……」
「やったー!」
再び、バタバタバタと騒々しい音を立てながら、いおくんがキッチンへと走って行く。脱いだサンダルを隅に寄せて、自分もリビングへ向かった。
「はい、どうぞ」
「ありがと……」
「どう?おいしい?」
「まだ飲んでないって……」
頬杖をついたいおくんが、至近距離で見つめてくる。
「いおくん近い、飲みづらい……」
「早く飲んでよ〜」
「うーん……」
一口飲む。おいしい。ペットボトルのカルピスはたまに飲むけど、作ったカルピスってこんなにおいしいんだ。なんか、懐かしい感覚。最後に飲んだの、いつだっただろう。
「おいしい?」
「うん……」
「よかったー!」
いおくんは鼻歌を歌っている。ご機嫌だ。
「前にも訊いたけど……」
「なに?」
「いおくんって、何もすることない時間、本当に何もしてないの?」
「え?そうだよ」
「ふーん」
変なの、と言おうとした口に、カルピスを含ませて言葉を飲み込んだ。
「そういう時間って、嫌でも自分に向き合わなきゃいけないでしょ?いかに僕が空っぽな人間なのかってことを思い知らされる。だから苦手なんだ」
「そうなんだ……、あ」
「なに?どうしたの?」
トートバッグから、ビニール袋を取り出す。
「これ……、今買ってきたんだけど。なんか作ろうと思って。何もすることない時間が苦手だったら、いおくんもやるのはどう」
「毛糸?」
「うん。編み棒は持ってるから貸してあげる。コースターとか、頑張ってテーブルクロス作るのとか……。多分楽しいと思う」
「編み物かぁ……」
「ちょっと待ってて」
「え、なになに?」
早歩きで自室に向かう。編み棒……、あった。サイズは七号くらいでいいかな。自分が使うやつは八号でいいか。二本手に持ち、リビングへ急ぐ。座ったままのいおくんに、七号の編み棒を差し出した。
「これ、一緒にやろう」
いおくんが編み棒を受け取る。
「毛糸、どの色がいい?」
「大瀬さんは何色使うの」
「白にする。いおくん、好きなの使っていいよ」
いおくんは、黒い毛糸を選んだ。予想どおり編み物の経験はあるらしく、何かを黙々と編んでいく。自分も、網目が均一になるように。できるだけかわいく、見ていて心地がよくなるようなものが完成するように、丁寧に編み棒を動かしていく。
「こういう時間ってさ」
「どうしたの」
「自分と向き合わないといけないよね」
「え?」
手を止めていおくんの顔を見ると、なんだか居心地が悪そうな表情を浮かべていた。
「僕、何が好きとか嫌いとかよく分からなくて。誰かの命令以外でこういう作業しようとすると、どういうの作ればいいか分からなくて。余計に自分が空っぽだってこと実感しちゃうかも」
「そっか、ごめん……」
「いや、大瀬さんが悪いわけじゃないんだけど……。こっちこそごめんね」
余計なことをしてしまった。お節介だった。ちょっとでもいおくんの役に立てるかもだなんて思った自分が馬鹿だった。沈黙が気まずい。
「でもさ、大瀬さんって普段自分のこと嫌いってよく言ってるじゃん」
「うん」
「こういう作業してて、うーん……、自分と向き合うみたいな時間過ごすの、きつくないの?」
「え」
考えたこともなかった。自分にとってものを作る時間は、自分と向き合うというより、自分から逃げるような意味合いが強い気がしていたから。創作をしている時間……、自分から逃げているつもりで、自分と向き合っていたのだろうか。
「あんまり……、きつくないかも。と言うか……、何か作っていない時間のほうが、自分のこと考えちゃって嫌になるし……」
「え?!そうなの?へー……。やっぱり、僕たちって……」
「分かり合えないよね」
「ほんとに!」
いおくんが笑って、自分も少し笑った。半分程まで減ったカルピスに口をつける。いおくんが作ってくれたカルピスは、氷で少し薄くなっても、やっぱりすごくおいしかった。