インフラピンク『示強性』
「うわっ、ありがとう」
いおって、どう考えてもMだよな。蹴られて礼を言うのとか、正直俺には全然理解できない。痛めつけられて、何が嬉しいんだ?俺は……、多分Sだと思う。喧嘩好きだし。喧嘩売ってきた奴のことボコボコにするのとか、スカッとするし。SMのこととか全然分かんねえけど、Mじゃないことは確かだ。まあでもSMってあれだろ、天彦とかがやるもんなんじゃね?知らねえけど。とにかく、俺には縁のない話だ。
「もう猿ちゃん、お尻蹴らないでよ」
なんでこんなこと考えていたかというと。いおが皿洗いにかける時間がいつもよりなんとなく長い気がしてムカついて、ケツを蹴ったら礼を言われたから。毎回、礼を言った後に、やめてって言ういお。よく分かんねえ奴。
「ふんっ」
「猿ちゃんありがとう……って、蹴らないでってば」
もう一回蹴ったら、やっぱり礼を言われた。今日、やっぱり皿洗う時間長くね?七人いるとは言え、そんなにいっぱい皿使ったか?せっかく……、せっかく夜二人でリビングにいるのに。いおがいつまでも皿を洗ってるから、全然俺を見てくれない。こういうこと考えてるとき、俺ばっかりいおを好きみたいじゃんって思うからムカつく。こんなこと考えさせるんじゃねえよ。なんで鼻歌なんて歌いながら皿洗ってんだよ。ムカつく。
「うっ……、ありがと……」
ムカつくからもう一回蹴ってやったら、また礼を言われて更にムカつく。
「間違えた。もう、蹴らないでよ……。あれ、猿ちゃん?」
ムカつく。いおなんて知らねえ。いつまでも皿洗いしてればいいんだ。俺の気持ちに気付かないのムカつくっていうか、こんな気持ちにさせてる時点でムカつく。もう寝てやる。一人で。あー、ムカつく。
「猿ちゃん?」
寝られないけど、なんだか頭の中がいおでいっぱいでムカついてたら、ノックの音と一緒にいおの声が聞こえてきた。無視するか悩む。
「猿ちゃーん」
「なんだよ……」
悩んでるうちに、もう一回俺を呼ぶ声がして、思わず返事をしてしまった。いおが部屋に入って来て、俺のベッドに腰掛ける。
「え」
いきなり手を優しく握られて、ちょっとびっくりした。
「猿ちゃん……」
「な、んだよ」
いおの長い指が、俺の手に沿って動く。なんだかくすぐったい。いおはベッドに腰掛けてるけど、俺は寝そべったままだから、抵抗とかそういうの、上手くできないというか。いおのペースに流される。指の付け根のあたりをそっと撫でられると、そわそわとした気分になってしまう。
「ん……」
「⁈」
キスされた。いきなり。なんなんだよ、今日のいお、どうしたんだよ。ついていけないけど、さっきいおに構ってもらえなかった分のイライラというかモヤモヤみたいなものが溶かされていくみたいで、悪くないとか思ったりして。
「猿ちゃん、寂しかった?」
「別に」
「ふふ。猿ちゃん、寂しんぼなのにね。さっき、ごめんね」
「別に、寂しくねえって……」
俺よりちょっとだけでかいいおの手が、甘やかすみたいに俺の髪を撫でる。なんなんだよ。こんなのに流されねえからな。さっき少しだけ流されそうになったけど。
「あーもー、やめろっ」
「ええ?猿ちゃん、嬉しそうな顔してたけど」
「してねえよ馬鹿。そもそも俺、寂しくなんかなかったし」
「そうなの?」
なんでいお、にやにやしてるんだよ。顔を上げると、いおと目が合う。本当はちょっとだけ、ちょっとだけ寂しかったこととか全部見透かされてるみたいで、すぐ目を逸らした。
「ん……っ」
いおの手が俺の頬を撫でる。
「猿ちゃん、可愛いね……。大好き……」
なんなんだよ。なんか、やっぱり俺、甘やかされてる?いおの考えてることがまるで分からない。でも、耳触りの良いいおの声とか、小さいときからずっと身近にあったいおの匂いとか、そういうのに包まれてるみたいな気持ちになって、だんだんふわふわとしてくる。
「ん……」
「っ、ん、う……」
再びキスされる。
「あ、う♥︎ぅ、っ♥︎はぁっ♥︎」
キスしながらねっとりと耳をなぞられて、甘ったるい声を漏らしてしまう。いおの指が動く。耳たぶを軽く引っ張られる。ピアスと皮膚の境い目をくすぐられる。耳の穴にそっと指が差し込まれる。
「ん、う♥︎ふ、ぅ、っ♥︎ぁ、あ♥︎」
キスしながら声が漏れてるのって、めちゃめちゃ至近距離で声聞かれてるってことだから恥ずかしい。恥ずかしい。でもいおは指を止めてくれない。むしろ、俺の声をもっと引き出そうとするみたいに意地の悪い触り方をしてくる。
「ん……っ♥︎は、ぁ♥︎いお……♥︎」
口が離れる。責めるつもりでいおの名前を呼んだのに、ねだるみたいな呼び方になってしまった気がする。
「猿ちゃん……」
いおの真っ黒い目の奥に、はっきりと欲が沸いているのが見えて腹の奥がぞくりとした。
「今日僕、猿ちゃんと試してみたいことがあって」
「なんだよ……」
いおの手に握られていたのは。アイマスクと、手錠?なんだこいつ。こんなの持って俺の部屋来たのかよ。寝転がったままの俺からは見えない位置に置いてたのか。気付かなかった。
「これ、猿ちゃんにつけてもいい?」
「は?」
なに?俺がつける側なの?こういうのって、いおがつけるもんなんじゃね?だって、Mなのはいおだろ。
「これつけた猿ちゃんとエッチしたいなぁ……♥︎」
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『示量性』
毎日手入れをしていれば、汚れないものなんだなということをぼんやり思う。排水溝のカバーを取り外し、ゴミ受けを持ち上げる。昨日の夜も、一昨日の夜も歯ブラシを使って細かい目の部分まで丁寧に汚れを取り除いたから、大して汚れていない。ゴミ箱の上で、逆さにしてトントンと刺激を与えると人参の皮が落ちていった。スポンジを使って全体を軽く擦る。水で流す。いつもと同じ手順を丁寧に行う。もっと汚れていてくれた方が負荷になっていいのにな。
「いおー」
「なに、どうしたの」
二十三時のリビングにいるのは、僕と猿ちゃんの二人だけ。
「んー……」
なんとなく落ち着かない様子で、猿ちゃんが近づいてくる。
「もう、どうしたの?」
「ん……」
背中から抱きつかれた。甘えたいんだよね、猿ちゃん。名前を呼ばれた時点で、そんなこと気付いていたけど。気付かないふりしちゃお。
「まだ掃除終わってないからさあ」
「んん……」
僕の項に顔を埋めて、不満そうな、甘えるような声を漏らす。
「あと十分、我慢できる?」
「……やだ……」
そうだよねえ。このモードに入った猿ちゃんって、我慢なんてできないよね。
「いお……」
僕を抱きしめる腕に力が込められる。猿ちゃんの心臓、ドキドキしてるの可愛いな。密着してるからバレバレだよ。
「んー……、やだ、やだ……」
「しょうがないなあ、もう……」
コンロの掃除もやりたかったけど、まあいいか。ハンドソープで手を洗い、タオルで拭う。
「わっ」
猿ちゃんを抱きしめるために身体の向きを回転させると、いきなり口付けられた。
「ん、ん……」
猿ちゃんのあったかい舌が、ぼくの口の中をぬるぬると動き回る。
「ん、ふぅ……っ♥︎」
じゅ、と猿ちゃんの舌を吸うと気持ちよさそうな声が漏れて気分が良い。そのままゆっくり耳に触れる。やわらかい皮膚のところ。ちょっと硬い軟骨。つるつるしたシルバーピアス。感触の違いを楽しむみたいに指を動かしていると、猿ちゃんの声が高くなった。相変わらず耳弱いよね。僕以外になんて、絶対に触らせちゃだめだからね。人差し指をそっと耳の穴に差し込んで、ぐりぐりと刺激する。
「ふあ、ぁん、う……♥︎」
ゆっくり抜いて、また差し込んで。耳の奥を愛でるように指先を動かしたり、焦らすみたいに入り口だけをそっと撫でてみたり。
「あ、う♥︎ん、うっ、んあ……♥︎」
ねえ、耳だけでこんな、セックスのときみたいな声出しちゃうなんて、心配だよ。意地っ張りな猿ちゃんがこんなにえっちで可愛いなんてこと知ってるの、僕だけでいいから。というか、こんな猿ちゃん、僕以外に知られたくない。絶対。
「ぷは……っ」
口と耳を解放された猿ちゃんの顔は、もう真っ赤だ。続きがしたくて堪らないみたいな表情を浮かべてるけど、そんな自覚ないよね。無意識に僕を煽るようなことをする猿ちゃん。そういうところも可愛くてしょうがない。猿ちゃんのしてほしいことを汲み取って、このまま部屋まで行ってもいいけど、なんだか今日は猿ちゃんの口からおねだりしてほしい気分だ。してほしいことを素直に伝えることが苦手な猿ちゃんが、一生懸命僕におねだりするのを見る時間ってかなり興奮する。普段、強くてかっこよくて、一人でなんでもやろうとする猿ちゃんが、必死になっておねだりをする姿なんて、興奮するに決まってる。本当、そういうの、僕だけにしてね。
「いお……」
僕が無言のまま猿ちゃんを見つめ続けているのに痺れを切らしたのか、甘えるような声を漏らす。
「ん?どうしたの?」
「んん……♥︎」
分かるだろ、なんで察してくれないんだよって心の声が聞こえる。可愛いなあ。でも今日の僕はちょっと意地悪だから。猿ちゃんから言ってくれないと、続きはしてあげない。
「えっと……」
「うん」
「掃除、まだやる?」
「なんで?」
「う……」
「猿ちゃん」
少しだけ屈んで、下から顔を覗き込む。猿ちゃんは目を合わせてくれない。恥ずかしいんだよね。可愛い。
「もっと、したい……」
やっと言ってくれた!我慢できなくなっちゃったんだ。恥ずかしい気持ちに、僕とえっちなことしたい気持ちが勝ったんだね。頭を撫でてあげたい気持ちでいっぱいになったけど、それはまた後で。
「部屋行こっか♥︎」
「んん……♥︎」
手を差し出したらあっさり繋いでくれる。さっき散々焦らしたせいで、素直になるスイッチが入ったのかな。普段のツンツンしてる猿ちゃんも可愛いけど、僕だけにこういう態度をとってくれるの、本当に堪らない。
「どっちの部屋がいい?」
「いおの部屋がいい……」
「ふふ、了解」