シュガーナイフとビターバレット②少女……ブラムはその日、不思議な夢を見た。
「……あ?なんだここ?」
気づけば、夜の街の中にいた。
それも、普段から慣れ親しんでいる街の姿じゃない。どことなく古いレンガ作りの建物の数々に、川や橋があり、遠くでは大きな時計塔が見える。そして、夜だからか白い霧がたちのぼってモヤがかかっている。
そこは、テレビでよく見るロンドンのような街並みと瓜二つだ。だが、自分が住んでいるのはアメリカのはずだ。まさか、一瞬でアメリカからイギリスまでテレポートしたなんて馬鹿げた話があるとでもいうのか。
それになんとも不気味なことに、自分以外に人の気配が全くしない。たとえ夜だとしても少しは人の気配があるものなのだが、どの建物にも街灯にも灯りはついておらず、人の声ひとつもせず、ただただ静寂と暗闇のみが支配している。
まるで、寂れて人っこいなくなったゴーストタウンにでも迷い込んだかのようだ。
「クソッ、なんなんだよここは……」
ブラムは苛立ちながらもキョロキョロと辺りを見回していると、たまたま一つの看板が目に入った。
その看板には、”ドルーリー通り”と書かれてあった。
「ドルーリー通り……?」
すると、突然背後にある街灯にパッと灯りがともる。何事かと思いブラムは振り返ると、その灯りはまるでスポットライトのように1人の男を照らしていた。
その男は、見るからに異様だった。
2メートルもある巨体、ピンク色のコックのような服装、クリーム色の巻き髪、そして、顔には愛らしくも子供っぽい白いウサギのお面。
口元に張り付けたような笑みを浮かべたその男は、パッと両腕を広げた。
「Hi kids come here!ようこそ!キミのことをず〜〜〜〜っと待っていたよ!」
その言葉と共に、男の背後にある建物にパッと灯りがともった。その建物全体はイルミネーションで飾られていてド派手で、ネオン看板には「candyshop SWEETHOME」という店名がギラギラと輝いている。しかも、さっきまでの静寂が嘘のように、どこからともなく遊園地のパレードのような軽快で楽しそうな音楽まで流れてきた。
突然現れた店と謎の男に、ブラムは「なんだこりゃ」と眉を顰める。
そんなブラムに構わず、謎の男は道化師のように仰々しくお辞儀をして見せる。
「ボクはマフィンマン!キミはマフィンマンを知ってるかい?知ってるかい?知ってるだろう?マフィンマンって言ったら、ドルーリー通りに住んでる有名なあの人さ!」
「どの人だよ、知らねぇよ」
ピシャリと跳ね除けるように、ブラムは拒絶の言葉を放つ。と同時に、マフィンマンと名乗る男の片目からポンッと目玉が飛び出す。ブラムはそれに対しうわぁ……とドン引いた声を出し、マフィンマンは慌てて落ちた目玉を拾い眼窩にギュムッと押し付けて元に戻す。まるでカートゥーンのワンシーンのようだ。
「え、えっと……聞き間違いかな?いや、きっと耳間違いだよね!そうだよ!さあ!もう一度そのカナリアのような可愛らしい声を聞かせ」
「だから、カナリアってなんだよ勝手に決めつけんな」
その声は聞き間違えようのないぐらい、低かった。少女……少年ブラムはそう言って腕組みをすると、今度はマフィンマンの顎が地面につくぐらいガクッと落ちた。わなわなと震えながら、マフィンマンは聞く。
「お、お、お、お、お………男の子なの!?キミ!?」
「男だからってなんだよ」
可愛らしい顔に似合わず険しい表情で、ギロリと睨みつける少年。マフィンマンは落ちた顎を片手でグイッと押し戻すと「ちょっと思ってたのと違うけど……ま、まあ性別なんてどうでもいっか」と小声でブツブツ何やら呟く。だが、しばらくしてようやく気を取り直したのか「まあそんなことより!」と両腕をバッと広げる。
「ここは、ボクの自慢のお店!『SWEETHOME』さ!味、見た目、品揃え……どれを取っても一級品!匂いを嗅ぐだけで子供達はニコニコ!長年顧客満足度第1位!断言するよ……『SWEETHOME』こそが世界一のお菓子屋さ!」
そう言って、バチコーン☆と陽気にウインクするマフィンマン。だが、対照的にブラムの表情は冷め切っていた。「だからなんだ?」と言いたげな顔だ。
「そんな〜子供たちからの人気No. 1店である『SWEETHOME』が〜……ななななな〜んと!今日からリニューアルオープンすることになったよ!そして……ラッキーなことに!たまたま通りがかったキミが!そう!キミが!記念すべき1人目のお客さまさ!わーパチパチ!」
ブラムの頭上でくす玉が割れて、カラフルでキラキラとした紙吹雪が舞い散る。ブラムはますます怪訝そうな表情になるが、マフィンマンは気にも止めずクラッカーを鳴らし囃し立てる。
「なので、1人目の幸運なお客さまには〜……特別に、“お菓子食べ放題無料券”をプレゼント!お金なんていらない!何時間でもいていいし、無制限に好きなお菓子食べ放題だよ!ねっ!すごいでしょ?ねっねっ!」
胸元からキラキラと輝く黄金のチケットを取り出し、ブラムの手にグイグイと押しつける。
「本当にラッキーだね、キミ!こんなことってなかなかないよ!なんたって、『SWEETHOME』には世界中のありとあらゆるお菓子が揃ってるのさ!たとえば〜……アイスクリーム!」
すると、マフィンマンはポンッと紫の煙に包まれたかと思うとたちまちコックの衣装からピエロの衣装に早替わりする。
「ハハッ☆バニラにチョコにストロベリー!ブルーベリーにミントにピスタチオもあるYO☆トッピングも自由!ナッツでもチョコソースでもベリーソースでもなんでもかけ放題SA☆」
不自然に甲高い声で笑うと、両手いっぱいにいろんな種類のアイスクリームを見せつけてくる。
「それと〜……フルーツも!」
またポンッと紫色の煙に包まれ、今度はピエロの衣装からウエスタンの荒くれ者のような衣装に早替わりした。
両手いっぱいに果物を抱え、ニィッと歯茎が見えるようなワイルドな笑みを浮かべる。
「ヘーイ!りんごにいちごにプラム、そしてメロンにスイカにぶどうとなんでもあるぜ!ワイルドに齧りついてもいいし、絞ってジュースにしたっていい!どれもフレッシュでジューシーだぜ!」
そう言って、ふんっとブドウを握りつぶしグラスにジュースを注ぐ。そこはりんごとか硬い果物を握りつぶすんじゃねぇんだ……と、ブラムは冷静にそう考える。
そしてまたポンッと煙に包まれ、最初に着ていたピンク色のコック服に戻った。
「さ〜ら〜に〜!この店の目玉は……このスウィーツ達さ!ほぅ〜ら!見てごらんよ!チョコレートにクッキーにキャンディー!ゼリーにスコーンにケーキにマカロンにムース!そして!忘れちゃならないマフィン!ボクの一番得意料理さ!」
香ばしい匂いの焼き菓子を両手いっぱいに抱え、マフィンマンはグイグイと詰め寄る。
「さあ!キミはど〜んなお菓子が好きかなぁ〜!?ここにはなんでも揃ってる!メジャーなお菓子からマイナーなお菓子だって!きっとキミの好きなお菓子だって山ほど」
「いらねぇよ」
そう言って、ブラムはグイグイ詰め寄るマフィンマンの身体を押し除ける。
「てか、そもそも俺は菓子嫌いなんだよ。誘いたきゃ他を当たれ」
その時、騒々しかった音楽がピタリと止んだ。まるでリモコンの停止ボタンでも押したかのように、マフィンマンはフリーズする。
「……えっ?」
「それより、どこなんだよここは?さっさと帰りてぇんだけど、出口教えろよ」
一瞬、マフィンマンの口元に浮かべていた笑顔が消える。しかし、何か思い至ったのかまた口元に笑顔を貼り付け明るい声を絞り出す。
「あっ………そ、そーか!キミは甘いものが嫌いなんだね!なら、甘くないお菓子だっていっぱ〜いあるよ!ほら!ポップコーンとかポテトチップスとか!プレッツェルも!」
「いらねぇ」
「じゃ、じゃあビターな味の方が好きってことかな?ほら!ビターチョコレートとかコーヒー味のクッキーもあるよ!」
「いらねぇ」
「も、もしかしてキミはアレルギー持ちとか?それなら!アレルギーに配慮したケーキだって」
「いらねぇって言ってんだろ」
ブラムは相当頭に来たのか、渡された金のチケットをクシャクシャに丸めてポイっと捨てる。
マフィンマンはそれを、信じられないと言う目で呆然と眺めていた。
✳︎
「いらねぇって言ってんだろ」
何もかも拒絶するような冷たい声に、マフィンマンは動揺する。ありえない。お菓子が嫌いな子供なんてこの世にいるはずがない。マフィンマンはワケあって100年以上生きているが、今までお菓子をあげて喜ばない子供なんて見たことなかった。
それなのに、この子は
「ああ………おなかすいた」
「は?」
お腹がギュルリと鳴り、口から涎がとめどなく流れる。本当なら、子供はお菓子をたらふく食べさせて太らせてから食べるに限る。でも、お菓子が嫌いなら話は別だ。もうなんでもいいから、この可愛らしく甘そうな少年を口に含みたい。
「もうっ……我慢、できない」
マフィンマンは、懐から包丁を取り出した。よく研がれているその包丁は、ネオンの光を反射してギラリと光る。
「うひっ、うひひひひっ………いっただっきまァ〜す♪」
マフィンマンは包丁を、少年の心臓めがけて突いた。
いつも通り、一発で仕留めるつもりだった。
いつも通り、だったらだが。
次の瞬間、強い衝撃を受けてマフィンマンの視界がぐるりと逆さまになった。
「あ、れ……?」
見上げれば、そこに少年の顔があった。信じられないことに、少年が自分を見下ろしているのだ。
「オイ、なんだってんだよ?俺とやろうってのか?あぁん?」
そして、思い出した。ついさっき、この、愛らしい少年が、襲いかかってきた自分に強烈なカウンターを喰らわしたという事実を。
ーまさか……ありえない。こんなに小さくて細くて愛らしいのに、どこにそんな力があるっていうんだ?
マフィンマンはすぐに立ち上がり、包丁を拾い上げる。さっきのはまぐれだと言い聞かせ、少年を八つ裂きにすべく包丁を振り下ろす。
しかし、それは叶わなかった。腕を掴まれたからだ。それも、すごい力だ。かよわい少女のような細腕に、一回りも二回りも大きくて太い自分の腕が押さえつけられるなんて、マフィンマンには到底信じられなかった。
次の瞬間、マフィンマンの身体は宙を舞った。
自分が投げ飛ばされたんだと気づいた頃には、ネオンに全身が叩きつけられて全身に電流が走った。燃えるように、熱い。熱い。熱い。熱い。クッキーが焦げたような匂いが、鼻につく。
そして、視界が、世界が、ぐにゃりと歪む。
✳︎
「………はっ?」
気づけばマフィンマンは、闇の中にいた。いや、闇の中ではなく影の中か。
ホームタウンは自分の意志じゃないと消えないはずだ。それが消えたということは、つまり。
「ボク、もしかして………死んでた?」
ありえない。でも、確かボクはネオンに向かって投げ飛ばされて……感電死、したんだったか。
「そっか、ボク……死んだんだ」
こんなの、初めてだ。獲物に逃げられただけじゃなく、逆に殺されるなんて。
しかし、マフィンマンが抱いた感情は悔しさではなかった。むしろ、胸に込み上げてくるのはそれとは真逆の………嬉しさ、だ。
「は………アハハハハハッ!そっかそっか!ボク、”やっと”死ねたんだ!アハハハハハッ!傑作だね!アハッ!アハハハハハッ!」
マフィンマンは、笑っていた。今までこんなに笑えた日なんてあったかと思うぐらいに、笑っていた。そして、マフィンマンはクマのぬいぐるみを懐から出し、ギュッと抱きしめた。
「聞いてよ、グレーテル!ボク、もしかしたらあの子のこと、ずっと……ずっと、ずっと、待ってたかもしれない。ボクのこと、終わらせ……いや、楽しませてくれる、そんな存在を」
ーもしかしたら、あの子とはこの先長い付き合いになるのかもしれない。あれだけの強さだ、殺すのは今すぐには無理だろう。でも、お菓子作りというのは手間をかければかけるほど美味しくなるものだ。
どんだけ時間がかかろうが、構わない。ボクはいずれあの子を、バラバラに引き裂いて、目玉をくり抜いて、臓物を引き摺り出して、爪もベリベリに引き剥がして、舌をちょんぎって、脳味噌をほじくり出して、髪の毛も、歯も、血も、骨も、何もかも、ボウルに入れて砂糖と一緒にかき混ぜてやるんだ。そして焼き上がったそれを、ペロリと平らげてやる。ボクの大好物の、ふわっふわの甘いマフィンにして。
「ウヒヒヒヒッ!覚悟しといてよ、愛しい愛しい………ボクのマフィンちゃぁん♡」
マフィンマンはこの先長い付き合いになるだろう“宿敵”に改めて挨拶しようと、影の中を泳いだ。
END