無題「ジーザス」
ユダに名前を呼ばれても、ジーザスは子供のように泣きじゃくるのを止められなかった。床の上で、ユダの腕の中に抱き止められるようにして座り込んでいた。ユダの両手が、痛いくらいにしっかりとジーザスの肩を抱えている。必死に顔を覗き込もうとされるが、ジーザスはいやいやと顔を横に振り続けていた。床の上に落ちたユダのスカーフを見つめることしかできなかった。ユダの首を、そこに残る跡を、直視できなかった。
「ジーザス」
ユダが、苦しそうにもう一度ジーザスの名を呼んだ。髪を何度も撫でられ、あやすように体を揺らされる。
「泣かないでくれ」
掠れた小さな声で、懇願するように囁かれた。
「頼む」
ユダが絞り出すようにそう言ったかと思うと、こめかみに、温かく柔らかい何かが触れた。唇を落とされたのだ、と気が付くと同時に、髪に、額に、頬にと立て続けに口付けられた。泣いているジーザスを見るのが堪らないのだという気持ちが伝わってきて、ジーザスは胸が掻きむしられたように切なくなる。思わず、目を閉じて顔を上に向ける。目尻にキスをされて、唇で涙を拭われているような気持ちになる。ユダの湿った、温かい息がジーザスの顔を掠める。その温もりを、ジーザスは咄嗟に追いかける。
そうしてユダの吐息がジーザスの唇にかかったかと思うと、次の瞬間には口を塞がれていた。
ユダの指が頭皮を引っ掻くように触れると同時に、ジーザスも咄嗟にユダの頭を引き寄せていた。ユダの胸に触れる手を、きつく握りしめられる。唇に熱い何かが滑り込んで来ると同時に、自分たちがキスをしているのだとジーザスはやっと理解した。
ジーザスは不思議と驚かなかった。
寧ろ、これで良いのだ、と思った。
ユダの口の中は、ジーザスの涙の味がした。
だが彼の舌に夢中で応えたのも束の間、ユダは弾かれたようにジーザスから顔を離してしまった。驚愕の表情を浮かべて、ジーザスを見つめている。ジーザスは彼の顔を真っ直ぐに見つめると、ユダ、と彼の名を囁いた。もう、泣いてはいなかった。
「す、き」
途切れる声でそう告げた瞬間、あらゆる感情がユダの顔を過ぎるのをジーザスは目撃した。そこに怯えを認めた瞬間、ジーザスはユダのTシャツを、よりきつく握りしめた。
「お前…」
ユダが唖然としてそう呟くと同時に、ジーザスは必死に自分からユダに口付けた。ぶつける様に唇を重ねると、びくりとユダの身体が逃れようとするかのように跳ねる。だがジーザスが思わず啜り泣くと、ユダはそれ以上は動かなかった。怖かった。ユダが、どこかに行ってしまうことが。もう何も、誰も失いたくなかった。必死に縋りつきながら、顔中に繰り返しキスをする。ユダの腕が、おそるおそるといった様子でジーザスの身体を抱く。その感触に、ジーザスは切なくなった。もっともっと、強く抱きしめて欲しかった。
「何処にも行かないで」
また涙を流しながらそう告げると、ユダはやっとジーザスを抱く腕に力を込めてくれた。
「分かった」
その言葉に、ジーザスは漸く安心した。泣き疲れて腕の中に抱かれていると、愛している、とユダの声が悲しげに言った気がした。