毛玉との触れ合いその日は柔らかな日差しが庭一面に降り注ぎ、木々の葉が風に揺れる音が心地よく響いていた。
庭の緑が風にさざめき、静かで平和な時間が流れている。
源家の中庭では、赤雪がくるくると走り回っていた。
鬼切の足元にまとわりついては楽しそうに尻尾を振る姿は、まるで跳ねる蹴鞠のようだ。
鬼切は穏やかな笑みを浮かべ、手を伸ばして赤雪のふわふわした背中を撫でてあげた。
赤雪は嬉しそうに草の上に転がり、真っ白な腹を見せた。
しかし、突然赤雪が立ち上がった。
鼻をひくひくと動かし、鬼切の背後に何かを感じ取っている。
鬼切が不思議に思って振り返ると、そこには頼光の姿があった。
頼光はこの時間、来客の相手をしているはずだったが、何か予定が狂ったのだろうか。
「ご主人さま?」
鬼切りは頼光の手元に気付いた。
赤雪がその黒い鼻を動かしているのは、頼光の手にある彼の大好物、干し肉の匂いを感じ取っているからだ。
食いしん坊の赤雪が、その匂いに気づかないはずがなかった。
そして鬼切は、それを持ってきた頼光の狙いにも気づかないはずがなかった。
頼光は鬼切に一瞬目配せをし、まっすぐに赤雪を見て歩き出した。
普段、頼光が赤雪を気にかけることはほとんどない。
赤雪も頼光に懐いているとは言えず、彼が近づくと少し距離を置くことが多い。
そんな二人の間には、いつもどこか距離感があった。
今日はその干し肉の魅力に抗えないのか、赤雪は頼光の動きをじっと見つめている。
鬼切はその様子を黙って見守っていた。
頼光は数歩近づくと、無言で赤雪に干し肉を差し出す。
赤雪はその動きに驚いて後ずさりしたものの、干し肉からは目を離さない。
頼光の顔、干し肉、そして鬼切の顔を交互に見つめながら、赤雪は状況を理解しようとしているかのようだ。
警戒心と食欲の間で揺れ動きながらも、赤雪は少しずつ頼光に歩み寄っていく。
頼光は表情ひとつ変えず、ただ手を差し出し続けている。
鬼切は、一触即発のような緊張感のあるやりとりをハラハラしながら見守った。
赤雪はついに頼光の手元にある干し肉を匂い始めたが、頼光が少しかがんだ瞬間、跳ねるように後ずさりしてしまう。
そして、素早く鬼切の元へと走り戻った。
まるで「あれは罠かもしれない!」とでも思ったかのように、頼光から距離を取ったのだ。
鬼切の足元に逃げ込んだ赤雪は、一瞬振り返り、もう一度干し肉をちらりと見つめた。
その視線にはまだ未練があり、美味しそうな匂いに心が引き寄せられているのは明らかだ。
しかし、頼光への警戒心がまだ完全に解けてはいない。
頼光は肩をすくめ、軽くため息をつきながら立ち上がった。
食べてもらえなかった干し肉を鬼切に向けて軽く振って、短く言った。
「嫌われているようだ。」
鬼切はその言葉に微笑み、頼光の傍に寄り添って彼の手を取った。
「それは、違います・・・。ご主人さま、お手をお借りします。」
頼光の手のひらを上に向けさせ、そっと干し肉を乗せる。
そして、軽くうなずいて頼光を促した。
「ゆっくり、しゃがんでいただけますか?」
頼光は、言われたとおりに腰を落とし、珍しく積極的に動く鬼切の様子を興味深そうに見守っていた。
鬼切は静かに口を開いた。
「そのまま、じっとしていてください。」
そう言うと、鬼切は少し離れた場所で様子を伺っている赤雪に優しく声をかけた。
「赤雪、赤雪。ご主人さまが、お前にご褒美をくださるそうだ。」
赤雪は耳をぴくぴく動かして、頼光の傍で微笑む鬼切の顔を見上げた。
鬼切の声に勇気づけられたかのように、少しずつ近づいてくる。
頼光の顔をちらちらと見上げながらも、やがて頼光の手に乗った干し肉をそっと咥えると、すぐに鬼切の側へと逃げ込んだ。
鬼切の影で、もらった干し肉を大事そうに噛み始めた。
鬼切はその姿に柔らかな笑みを浮かべ、「ちゃんと食べてくれました」と嬉しそうに頼光に声をかけた。
頼光は感心したように小さくうなずき、「ふむ・・・」と静かに声を漏らす。
赤雪はすぐに干し肉を食べ終え、尻尾を揺らしながら頼光を見上げた。
頼光と赤雪がじっと見つめ合うのを見て、鬼切は笑って助言することにした。
「ご主人さま、赤雪がもっと食べたいと言っています」
頼光は先ほど鬼切に教わった通り手のひらの上に干し肉を乗せて、何枚も赤雪に食べさせた。
赤雪は、最後の干し肉を食べ終わると、頼光の足元をうろうろし始めた。
頼光がゆっくりと手を伸ばし、赤雪の頭に触れると、目を細めてその手に身を任せた。
鬼切はその光景を見て、嬉しそうに口元を綻ばせた。
「ご主人さま、今度は一緒に赤雪の散歩に行きませんか?」
「・・・そうだな」
頼光は赤雪のふわふわした頭を撫で続け、庭に吹く風が優しく二人と一匹を取り巻いていた。