本物の「どういうことか、説明してくれる?」
久しぶりに聞いたジーク戦士長の声は、親しみやすく、それでいて冷たかった。相変わらずだ。僕は無理矢理唾液を飲み込んで、緊張でからからの喉を潤してから、答えた。
「マルセルとアニとライナーは、戻れません」
今のところ、僕とライナーの正体はばれていないが、何度も危ない橋を渡った。
トロスト区防衛戦では、マルコに僕たちの会話を聞かれそうになった。偶然近くの建物が崩落して会話がかき消されなかったら、彼を始末しなければならなかっただろう。
アニが捕まったのは一番の痛手だった。しかし賢明な彼女は自らを結晶に封じ込めて口を噤み、一切の情報を漏らさなかった。さらに幸運なことに、『僕たちの出身の山奥の村』の役人はかなり仕事が雑だったようで、ほとんど散逸していた戸籍資料からアニと僕たちが繋がることもなかった。
ユミルがマルセルの《顎》を継承していたことを知った時は驚いた。ウトガルド城を脱出後、彼女はエレンの時と同様に兵団に尋問されたようだが、詳しいことは分からない。ただ、調査兵団が未だにエレンの生家の地下室を目指しているということは、彼女が島の外の話をしなかったということだ。勘の良い彼女はもしかしたら気付いているのかもしれないが、少なくとも今はまだ、僕たちの正体を告発する気はないらしい。
そして、一番危なかったのがライナーだった。
訓練兵の頃からライナーは少し壊れていた。数年かけて無数の小さなヒビが入っていた彼の精神に、大きな亀裂ができたきっかけは、トロスト区防衛戦で大勢の顔見知りが死んだことだった。その日からライナーは、どんどん《兵士》の時間が増えた。
ライナー自ら正体を明かそうとしたことすらあった。あのとき強風に煽られて壁面リフトが落下しなかったら、エレンがその音に気を取られなかったら、周りの他の誰かひとりでも僕たちの様子を気にしていたら……いくつもの幸運が重ならなかったら、ライナーはエレンに僕たちの正体を話していた。
あの頃は、兵士と戦士を行き来するライナーの隣を、片時も離れられなかった。
しかし今は違う。今の彼は一人にしても大丈夫だ。現に今、ジーク戦士長に報告しているこのときも、ライナーはいない。兵団宿舎に置いてきた。それでも彼が情報を漏らす恐れはない。
「マルセルは5年前に死亡しました。《顎》は調査兵団の女性に継承されています。アニは3ヶ月前に正体が露見し捕獲されました。自ら結晶に閉じこもったので、情報が漏れる心配はありません。ライナーは」
ライナーは、完全に兵士になってしまった。
壁の外の世界も、海の向こうの故郷や家族も、戦士の使命も、巨人の力も忘れて、その影響なのか、再生能力も発現しなくなった。
僕たちが過去にしたことも、僕たちが未来でするはずだったことも、すべて忘れてしまった。今のライナーの頭の中にあるのは、人類を守ることだけだ。島の……壁内の人類を。
一緒に犯した罪をすべて忘れてしまった今のライナーは、僕の知る中で一番幸せそうだった。当たり前だ、彼が《仲間》に向ける笑顔は本物なのだから。
彼は僕のことも《仲間》だと思っているから、僕にも本物の笑顔を向ける。この狭い壁の中で、僕だけがその笑顔を受け止められない。皮肉な話だ。僕だけが、彼の本物の仲間なのに。
「……ライナーは、島側につきました。記憶を失っていて、自分を島民だと思っています」
ジーク戦士長は片眉を吊り上げた。
「そりゃまた……」
想像よりだいぶ酷いね。そう続ける戦士長の表情を見たくなくて、僕は俯いた。