バレンタインつなとら「虎於くん!」
背後から声がして、俺はビクリと肩を揺らして振り返る。怯えたわけではないが、未だに咄嗟に緊張してしまう。
右手を振りながら駆けてくる龍之介を視界に捉え、俺はスタジオの廊下を立ち止まる。
前を歩いていた他メンバー3人も、遅れて気付いたようで足音が止まるのが分かった。
「龍之介」
「十さん、お疲れ様です!」
俺が名前を呼ぶのとほぼ同時にトウマが元気よく挨拶をする。龍之介もそれに答えながら、俺達4人を順に見てからニッコリと笑った。
「今日の収録一緒だって聞いて探してたんだ。楽屋に行ったらちょうど居なくて」
「そんな、挨拶ならこちらから出向く予定でしたのに」
巳波が恐縮した様子で返すと、龍之介が首を横に振る。そしてまた先ほどと同じ笑みを浮かべ、これまで背中に隠していた左手を前へ出してきた。
その手には紙袋。小さめのものが、4つ。
「これを渡したくて。ハッピーバレンタイン!」
「え!」
反射的に声を上げてしまい俺は咄嗟に息を止める。まずい、怪しまれる。
だが3人は俺のことなど少しも気に留めず、差し出された紙袋に釘付けだった。
「十さん、これもしかして」
「作ったんだ。良かったらどうぞ!」
「わー!」
本日は2月14日。紙袋の中身は不透明の袋に包まれており見えないが、それが何なのか説明されなくても全員が理解できた。
真っ先に声を上げ喜ぶ悠。行儀良く何度もお礼を言うトウマ。困惑と興奮を噛み殺す巳波。
そんな3人を横目に、俺はどんな顔をしているだろうか。分からない。どうか誰にも何も伝わらないでくれ。
龍之介は紙袋を一つ一つ右手に持ち替えて1人ずつに手渡してくれた。
「はい、これは虎於くんの分」
「あ、あぁ、ありがとう」
「口に合うといいんだけど」
その時廊下の先から龍之介を呼ぶ声が聞こえた。見れば手招きをする八乙女と九条の姿がある。
龍之介は「それじゃあまた後で。収録頑張ろうね!」と足早に去っていった。
「十さん、律儀だよなぁ。わざわざ俺たちの分まで用意してくれるなんて」
「ほんと優しい!お返し、何がいっかなー?」
「どうしましょう、私これどうやって食べたらいいか分かりません」
「ミナ、とりあえず落ち着こうな」
3人が龍之介の背を見送りながらそんなことを話している中で、俺は焦りと動揺に脳を支配されていた。
ああ、どうしよう。
楽屋に戻り、自身の鞄の中身を覗く。綺麗にラッピングされた箱。青いリボンを付けてもらったそれは、今日、龍之介に渡そうと思っていたものだ。
ああ、どうしよう。
収録が終わった帰り際に呼び止めて、想いを伝えることはないにしても、しっかり2人きりの場で渡すつもりだった。
龍之介からもらった紙袋を見る。手作りだと言っていた。他の3人と同じサイズの、あんなサラッと手渡す、つまりは、たくさんの中の一つ。
ああ、もうだめだ。
「義理チョコ」の文字が脳裏に張り付く。この後わざわざ呼び止めて、俺が用意した本命チョコなんか渡せるわけがない。せめて俺が先に渡せていたら。せめて2人きりで同じタイミングに交換できていたら。
「トラ、そろそろ収録始まるって」
トウマに名前を呼ばれハッとする。その瞬間、心の中から焦りが消えた。代わりに湧いた「諦め」を大事に携えて、鞄の中に二つのチョコを押し込み振り返る。
きっと小さい紙袋のほうが、何百倍も美味しいに決まってる。
帰宅して、もらった紙袋の中身を開ける。
そこに入っていたチョコはハート型。
みんな同じなのか、それとも、まさか。
また頭を悩ませることになるなんて思ってもみなかった。これなら、ホワイトデーにハートを返しても許されるだろうか。
*🐉*
虎於くんに「本命だよ」って明言して渡したら困らせてしまうだろうと思って、他の人たちと同じタイミングで自然に渡せるように頑張ったんだけど、出だしでとんでもないミスをした。
姿を見つけた瞬間、嬉しくてつい、4人のうちのたった1人だけを呼んでしまった。
気付かれなかったかな。渡した時も迷うような後ろめたいような表情だったけど、嫌だったかな。
ホワイトデーのお返し、用意してくれるかな。
ハート型のチョコ、君にだけ用意したんだ。意識してくれたら嬉しいな。