あなたともっと仲良くなりたい繊細な片想い、とでも言えば良いのだろうか。
決して自身の感情自体が繊細なのではない。この片思いは、決して手荒に扱ってはいけないのだ。一歩間違えれば二度と叶わなくなる。
俺が虎於くんのことを好きになって、でも想いを伝えることはしないと決意して、だけどどうしても何もしないわけにはいかなかった。そんな慎ましさと強欲の狭間で苦悩した結果、バレンタインデーにハート型のチョコを渡すという行動に至ったわけだ。
外装は他のみんなと同じ。中身だけ、こっそり形が違う。そんな小さな差異、気付かれない可能性も大いにある。それでも良かった。半分は自己満足だから。
ただ、たとえ本心が伝わらなかったとしても、ホワイトデーにお返しがあったら嬉しいなと、淡い期待を抱いてしまっていたのは事実だ。
そうして迎えたホワイトデー当日。今日は特に虎於くんと仕事が被るわけでもなく、会う約束をしているわけでもなく、このままいけば顔を合わせる機会もなく一日が終わってしまうだろうという状況だった。俺から連絡してみようかな。でも忙しいかもしれないし、もしかしたらバレンタインに女の子から貰った分のお返しを配るだけで予定がいっぱいかもしれない。マイナス思考に陥りそうになったその時、ラビチャの通知音が鳴る。見ると、まさに待ち望んだ相手からの連絡だった。
『今日会える時間はないか?』
その一言に胸が高鳴る。嬉しい。時間なんてなくても作る。返信の文面を考えていると、虎於くんからの連絡が続いて届く。
『うちのメンバーがホワイトデーのお返しを渡したいって言うんだ。良かったら皆でそっちに向かうけど』
一瞬落胆の気持ちが湧き、慌てて振り払う。そうか、二人きりじゃなくて、みんなと。
『ありがとう、嬉しいよ!終わる時間確認してすぐ連絡するね』
なんの気もないように装って返信をする。すぐに『分かった』と返事が来たので『よろしく』のスタンプを送った。
場所や時間を考慮した結果、虎於くん達が俺の仕事終わりに合わせて楽屋まで会いに来てくれることになった。そのことを楽と天に話すと、「それじゃあ俺達は席を外したほうがいいな」「お邪魔だろうからね」と何度も頷き楽屋から出て行ってしまった。その場に居てくれて一向に構わないのになぜだろう……。
一人ポツンと楽屋で待っていると、ノックの音が聞こえた。「はい」と返事をすると控えめな声がする。虎於くんだとすぐに分かった。
「はーい、今開けるよ」
そう声をかけながらドアに近付き、表情が緩みすぎないように気を引き締めてから開ける。
そこには虎於くん一人だけが立っていた。
「あれ?」
「あ、えっと、その」
目線をウロウロさせながらしどろもどろに話す虎於くん。他の三人が居ない理由を話したいのだということは分かる。
「もしかして一人?」
「そう、なんだ。なんでか知らないが、三人とも、その、代わりに渡しといてくれって」
見ると、彼の手には多様な複数の袋があった。
「直接渡せばいいのにって言ったんだ。でも三人とも聞かなくて」
「そっか。三人とも忙しかったのかな?」
「絶対違う……わけが分からない……」
「お返しを用意してくれただけで十分嬉しいよ。あとで三人に連絡入れておくから気にしないで」
「うん……」
せっかくだからと中へ招き入れドアを閉める。椅子に座るよう促すと虎於くんは素直に従ってくれたけれど、ずっと居心地悪そうに視線を下げたままだ。
「……これ」
目線がいまいち合わないまま、虎於くんが袋を差し出してくる。全部で四つ。四人分だ。
「わあ、虎於くんも用意してくれたんだ!ありがとう」
「いや、だって貰ったし、返すのが普通だろ」
「そんなことないよ。すごく嬉しい」
「……………」
感謝を伝えたつもりなのに、虎於くんは不安そうな、苦しそうな表情をしている。何か変なこと言っちゃったかな。もしかして本当は渡したくなかったとか。
それでも、好きな人からのプレゼントに喜び以外の感情を抱く余地などない。袋の中を覗きながら努めて明るく話しかける。
「虎於くんのはどれかな?みんなオシャレな袋で用意してくれて嬉しいな」
「………なあ、龍之介」
改まって名前を呼ばれ、緊張が走る。ああ、もしかしたら虎於くんはずっと何かを話したがっていたのかもしれない。
黙って続きを促すと、彼は意を決したように顔を上げた。
「本当は、俺もバレンタイン用意してたんだ」
「え?」
「それなのにあんたが先に渡すから、俺、渡すタイミングなくして、結局持って帰って」
「え、待って待って、虎於くん誰かにバレンタイン渡す予定だったの?俺が抜け駆けしちゃった?」
「なんでそうなるんだ!違う!」
てっきり「虎於くんの想い人に対して俺が先にチョコを渡してしまった」という地獄のような話かと思い絶望しかけたが、どうやら違うらしい。真っ直ぐに怒りを向けてくる彼の様子が少し珍しくて、思わずまじまじと見つめてしまう。
「俺が、龍之介に、渡すつもりだったんだ」
小さくなっていく声を一つも聞き逃さないように集中する。彼は顔を真っ赤にして、怒りと恥じらいを満タンに込めた口調で投げやりに続ける。
「今まで、バレンタインなんて別に、貰えるものを貰って不審なものを選り分けて無難なお返しを考えるだけの日だったはずだ。俺から渡そうなんて初めて考えたし、渡す物をあんなに悩むことになるとも思わなくて、しかも結局渡せずに持って帰って自分で食べたんだぞ。手作りなんて卑怯だ、他の奴らのついでみたいに渡すのも、」
卑怯だ、という最後の一言は、再び俯いたことで床へと向けられた。思うままに発されたその言葉達を繋いで飲み込んで反芻する。要するにそういうことだ、と分かると、絶対に抱いてはいけない期待感で頭がいっぱいになる。ダメだ、期待しちゃ。間違えたら壊れて終わってしまう。
それでも、思わず頬が緩む。
俺の返事がないことを怪訝に思ったようで、虎於くんは恐る恐る顔を上げる。絶対にニヤけてしまっているであろう俺の表情に気付いて彼はまた眉間に皺を寄せた。
「笑うな」
「ごめんごめん、違うよ、笑ってるんじゃなくて」
「笑ってるだろ!」
「ごめんってば!違うんだ、その、嬉しくて」
手元の紙袋を見る。虎於くんのは何となくこれかな、と思うものに目が止まる。
「虎於くんのやつ、これ?」
「え」
なんで分かったんだ、と顔に書いてある。可愛い。
「なんとなくそうかなと思って。開けていい?」
「いやだ」
「だめ?」
「家で見てくれ…」
自信がないんだ、と呟いて頼み込むように頭を下げる虎於くん。ああ、きっと分かってないな、俺の気持ち。それで良いんだけど。
「手作りに対するお返しなんて、どうしたらいいんだ。どれだけ高価なものを買ったって勝てない。自分で作るなんて絶対に無理だし、だからその、本当に大変で、」
「でも虎於くん、手作り貰ったの、初めてなわけじゃないよね…?そんなに困らせちゃうなんて思わなかったよ、ごめん」
すると虎於くんが目をパチパチさせて、小さく首を傾げた。「確かに」と呟き、それからまた顔を赤くして今度は後ろを向いてしまった。
「え!虎於くん、どうしたの?ごめんね、気に障ったかな」
「うるさい!顔見るな!勝手にそれ食ってろ!」
「あ、開けていいんだね!やった」
しまったと慌てる虎於くんを無視して袋の中身を取り出し、リボンのかかった箱を開ける。中には美味しそうなマドレーヌが並んでいた。いかにも高級です、と言わんばかりの佇まいに思わず息を呑む。
「すごい、美味しそう…!3倍返しされちゃった感じだよ、なんだか悪いな」
「なにが悪いもんか。こんなもの、全然足りてない」
「そんなことないのに。どうしてこれを選んでくれたの?」
「…………俺の、お気に入りのやつなんだ」
胸の奥がギュッと痛んだ。思わず抱きしめたくなって、どうにか堪える。
自分の好きなものを俺にプレゼントしてくれたなんて、そんなの、他の何よりも嬉しい。
一つ摘んで持ち上げ、口に入れる。甘くてふわふわしていて、とても美味しい。
虎於くんは居た堪れないといった様子でこちらを盗み見ていたが、俺が頬を緩ませたのを確認すると安心したように息を吐いて視線をちゃんとこちらへ向けてくれた。
「悪くないだろ、それ」
「うん、すごく美味しい。数もたくさん入ってて嬉しいな、ありがとう」
「気に入ったならまた買ってくる」
「それは申し訳ないよ!今度自分でも調べてみるよ。良いお店教えてくれてありがとう」
「うん」
虎於くんは俺の「ありがとう」を噛み締めるように頷きながら、どうも未だにソワソワしている。何か言いたそうに見える。何だろう。どうしよう、分からない…。
それはそれとして、俺にはどうしても確認したいことがあった。元々訊くつもりはなかったのだけど、こんなにも嬉しいお返しを貰ってしまったら確認せざるを得ない。
「虎於くん、あのさ」
虎於くんは不思議そうな、少し警戒すらしているような顔で首を傾げる。
「俺があげたの、ハート型だったんだけど、気付いた?」
途端にまた虎於くんの顔が真っ赤になり、目を逸らし、でもすぐにこちらを睨みつけてくる。今日は怒った顔ばかり見ている気がするな。
「馬鹿にしてるのか、気付くに決まってるだろ!」
「うん、そうだよね、ごめんね。馬鹿にしてるとかじゃなくて、あれ、ハート型なの虎於くんだけなんだよって言っておきたくて」
「………は?」
「他のみんなとは違って、特別なチョコだったんだ」
ああ、言ってしまった。どんな顔するかな。困るかな。軽蔑されるかも。いや、でも、今日の一連の様子を見るに、全く脈なしってわけでもなさそうだから、踏み込んでしまったことをどうか許してほしいな。
「……分かってる」
虎於くんが手を伸ばしてくる。
俺の服の袖を控えめにキュッと掴んで、上目遣いに潤んだ瞳を向けてくる。ああ、これは、いけない。
「俺の返事、ちゃんと受け取ってくれ」
え、と声を漏らす俺をよそに、虎於くんはパッと離れてそのままドアの方へ歩き出した。慌てて追いかけて手首を掴むと、彼は抵抗せず振り返ってくれる。
「虎於くん、それってどういうこと?」
「そのままの意味だ。知らないなら調べてみればいい。じゃあな」
さほど力を込めたわけではなかった俺の手は簡単に解かれて、虎於くんはそのままドアを開けて出ていく。
返事、って言ってた。俺のハートのチョコに対する返事。
ハッとして、自分のスマホを探す。どこに置いたかな。鞄に入れたっけ。
スマホを見つけて震える指で何度も誤タップをしながら検索ワードを入力する。知りたいことが画面に表示されるのと、ドアが開いて天と楽が戻ってきたのはほぼ同時だった。
「……あー、もう……」
なんで今ここに君がいないのか。
マドレーヌにそんな意味があったなんて、あの場で気付けていたら迷わず抱き締めたのに!