第二ボタン3月ともなれば服装も少しは薄着になるかと思いきや、まだまだ冷たい風から身を守る重装備が必要なのが現状だ。今日も今日とて冬の装いで、俺と龍之介は道を歩いている。
少し先に学生服を着た男子が数名、黒い筒を手に歩いているのが見えた。
「卒業式かな」
龍之介が呟き、俺も頷く。卒業証書が入っているであろう筒を、ヤンチャな彼らは刀に見立てて軽く振り回していた。
「もうそんな時期か」
「3月だもんね。桜、間に合えば良かったんだけど」
生憎まだ桜は咲いていない。それでも彼らの解放感や達成感溢れる笑顔を見ると、まるで満開の花のようだとも思えた。
ふとあることに思い至り、脳内で少しモヤモヤが生まれる。黙って視線を落とす俺に龍之介はすぐに気付いて、「虎於くん?」と心配そうに声をかけてきた。
「どうかした?」
「いや、大したことじゃないんだが」
一呼吸置き、努めて平静を装いながら続ける。
「龍之介は学生の頃、その、あげたのか?ボタン」
「ボタン?」
「第二ボタン」
ああ、と合点がいったように何度か頷く龍之介。それが肯定のように見えて心がヒュッと冷たくなる。
「あげたのか。その、か、彼女とか、告白されて、とか」
必死に詳細を聞き出そうと焦る俺に、龍之介もつられて慌て始める。
「あげてない!あげてないよ!誰にも!」
「そうなのか?」
「うん」
だから安心して?と付け加えられ、急に恥ずかしくなる。確かに冷静になってみれば、俺が慌てる必要なんか微塵もない。
「俺の制服、弟のお下がりになるかもしれなくてさ。何一つ誰にもあげないままだったよ」
「そうだったのか」
「虎於くんはきっと大人気だから、全部のボタン無くなったでしょ」
茶化したように笑う龍之介に、俺はムッと対抗の意思を見せる。龍之介は肯定も否定も求めていないようで、相変わらずの優しい笑顔を向けられた。余裕があって羨ましい。先ほどの自分の焦りっぷりがバカみたいだ。
「……うーん」
ふと龍之介が考える素振りを見せ、それからパッと表情を明るくさせるとポケットや鞄を漁り始めた。
「なんだ、探し物か?」
「うん、ちょっと。虎於くんハサミ持ってない?」
「ハサミ?」
持っているはずがない。龍之介が「そうだよね」と眉を下げ、ほんの少しだけ迷った挙句、自分のコートのボタンを力任せに引きちぎった。
「おい!何やってんだ!」
「はい、これ」
「え」
「第二ボタン」
開いた口が塞がらない俺をよそに、龍之介は俺の手を取ってボタンを握らせた。何を意図しているか考えて、想像して、おそらくそれだと気付いて、目を見開く。
「大丈夫、家に帰ったら予備のボタンあるからまた付けるよ」
「いや、でも」
「これで、俺の第二ボタンを貰ったのは虎於くんだけ。ね?」
放心状態の俺に、龍之介はしばらくして焦りを見せ始める。「ごめんね、欲しいって言われたわけじゃないのに」とか「こんなもの貰っても困るよね」とか言って見るからに元気を無くしていく。
俺は手の中のボタンを見つめ、龍之介のコートの糸がほつれた部分を見つめ、それから困り果てた龍之介の顔を見つめた。目が合った龍之介は驚いた表情をして、それから安心したように笑う。俺の頬が緩んでいることに気付いたからだろう。
手の中のボタンを大事に握りしめ、改めて笑って見せる。
「ありがとう。大切にする」
「うん!どういたしまして」
こんな仕方のないわがままにも付き合ってくれる。嬉しくてソワソワする。
青春みたいだ、なんて、気恥ずかしいことを本気で思った。