森の奥で想いを告げる「なあ。もう止めないか…?ゲルブさん…」
私、安久津めぐみは、まよいの森の沼に佇む蜂のような見た目の真面目な男性・ゲルブさんに恐る恐る声をかけた。
「いえ!噂ではここの沼に血を捧げれば、元の世界へ戻れると聞いたであります!」
近頃、ゲルブさんは思い詰めた表情をすることが多い。
それと、護衛の仕事の合間を縫って、色々な人からアリスと呼ばれる少女や女性が、元の世界に戻れたという噂を集めているようだった。
噂や、もしくは都市伝説のような方法を集めては実践している。
今回も、この闇のように暗い沼にまつわる噂話を聞いて二人で訪れたのだ。
ゲルブさんは取り出した小刀で躊躇わずに指を切った。
真っ青な血が指先を伝って沼の水と混ざり合う。しかし、いくら待っても何も起こらなかった。
「捧げる血の量が足りなかったのでありましょうか…?」
ぼそりと呟くと腕に小刀を走らせようとした。
私は思わず飛び出してゲルブさんの腕を押さえた。
「めぐみ殿!!あ、危ないであります!!」
ゲルブさんは慌てて持っていた小刀を放り出した。
私は静かに首を降りながらゆっくり言った。
「もういいんだ…!私は元の世界に帰れなくても」
「いいえ。めぐみ殿がよくお話になられるご家族の元へ、帰らなければなりませぬ…!」
だって、私の家族はもう居ないんだ。
その一言がどうしても言えなかった。
元の世界に未練など無いが、あんまりにも一生懸命な彼の姿を見ていて、今日まで言い出せなかった。
だから、今日こそ言おう。
「私には、元の世界に帰っても居場所がもう無いんだ。ずっとこの世界にいたら駄目か…?」
「ずっと、貴方の側で生きていたいよ……」
思わず、私は着ていた制服の裾を握り締める。
「でもッ!自分のものになってしまったら、本当にご家族の元へは帰れないのですよ…!?」
ゲルブさんは私に背を向けて叫んだ。
まるで自分に苛立っているかのように、悔しそうに言葉を続ける。
「自分は諦めません…。自分は…!!自分は…………!」
そんなゲルブさんの背中に向かって、同じように大きな声を出した。
「私は…ッ!ゲルブさんが好きだッ!この世界で一緒に居たい…!駄目だと言わないでくれ……」
後半、無性に胸が苦しくなって目が熱くなってきた。視界が潤んでぼやける。
「め、めぐみ殿……。それは…………。そんな…自分は……」
ゲルブさんは驚いて続ける言葉が見付からないのか、言い淀んでいる。
私はさらに続けた。よく考えがまとまらないのでそのまま気持ちを言う。
「そんなに元の世界に戻したいようだが、私は拒否するッ!ふッ……ゲルブさん…やだよ……」
喉が震えて涙が溢れてしまったので、どんどん上手く喋れなくて、駄々をこねる子どものようになってしまった。
「自分は……未熟者であります。めぐみ殿の気持ちに応えたとして、一度腕の中に受け入れてしまったら、もう二度と離せなくなってしまうであります……」
ゲルブさんは苦しそうに、絞り出すように言う。
「未熟者だからなんだ…ッ!私も同じだ…!二度と離さなくったっていい…!ずっと一緒にいて……」と、思わずゲルブさんの胸にすがってしまった。
ゲルブさんも抱き締めようとするが、手は私の身体に触れないように力を込めているのを感じた。
「…めぐみ、殿……。自分で…自分で、良いと申すのですか……?自分は…めぐみ殿をお帰し出来なかったといいますのに…………」
「うん…!それでいい…!いや、それがいいんだッ…!絶対に帰らない!だって、ゲルブさんが大好きだから…ッ!!」
うわ。結局思っていたことを全部言ってしまった。恥ずかしいと思う前にゲルブさんは全ての腕を使って私を抱き締めた。
でも、苦しくない。まるで大事な物を扱うように、ひどく優しく抱き締めていた。
「……めぐみ殿…ありがとうございます…。こんな自分を……好いてくださって…!」
「自分も、愛しておりまする…………!」
その言葉を聞いて、私はいよいよ本当に小さい頃のようにわんわん泣いてしまった。
ゲルブさんはそんな私が泣き止むまで、ただただそっと抱き締め続けるのだった。