蜂の巣へ囚われる② あの時の、血で濡れたゲルブさんの涙が頭から離れない。
私・安久津めぐみが、蜂の恋人・ゲルブさんのかつての同胞であるファイト・ビーにさらわれてから、早くも一週間程になる。
ゲルブさんは鬼気迫る勢いで、私を助けに来てくれた。同胞の青い血に染まりながら。
助けに来てくれた事はかなり嬉しかったが、大量の仲間に手を掛けさせてしまったこと。私を助けた際の悲しそうな顔が気まずくて、ここ最近はほとんど会話らしい会話をしていなかった。
同じ家に住むのに、ひどく遠くにいるように感じる。
ゲルブさんは、あの時から酷く思い詰めていた。
かつて私を元の世界に帰そうと躍起になっていた時以上かもしれない。
そんなゲルブさんと共に過ごしているが、気まずさで話し掛けられずにいる。
しかしこのままでは、寂しくて気がおかしくなりそうだ。
「あの…。ゲルブさん、」
窓の外を、張り詰めた眼で見ていたゲルブさんに話し掛ける。
「……なんでしょうか……?」
少し反応が遅れて、ゲルブさんは振り返る。
「は、話をしよう。……私は寂しいよ」
私はポットに紅茶を淹れる。茶葉にお湯をかけると、ふわりとひなびた香りが部屋中に広がった。お湯の中に綺麗な紅色が溶け出た頃を見計らって、紅茶を二人分注ぐ。
黄金色の蜂蜜をたっぷり入れてから、カップをゲルブさんの前に置いた。
ゲルブさんは小さくお礼を言ったが、手を付けなかった。
私は自分の分の紅茶をちびちびとすすった。並んでソファに座りながら、切り出す話題を探していた。
コチコチと時計の音だけが鳴り続ける。
自分から話をしようと言っておきながら、最初の言葉が出るまで、たっぷり15分は掛かってしまった。
「……この前。この前は、助けてくれて本当にありがとう。ずっと言いたかったんだ」
なんとか言葉を絞り出す。そういえば、お礼をずっと言えてなかった。
「いえ……」
ゲルブさんは小さく返事をしてから、また静かになってしまった。
「あの……、どうして私の居場所が分かったのだろうか?」
ゲルブさんはゆっくりと答えた。私と恋人になってから、常にかつての仲間の動向を気にしていたとの事だった。ファイト・ビー自体限られたコミュニティの中で生きる種族らしく、街中などで見掛ける等はほとんど無いらしい。
護衛中にファイト・ビーを見掛けたとの話を聞いて、仕事を中止して私の元へ飛んできたと話してくれた。
それを聞いて嬉しさと申し訳なさで複雑な気持ちになった。
しばらくして、ゲルブさんは「……自分の不甲斐なさで、めぐみ殿を恐ろしい目に合わせてしまい、申し訳ありません…」と恥じるように口にした。
私は慌てて返答する。
「怖かったけど、ゲルブさんは来てくれたじゃないか…!……そんなに自分を責めないでくれ…」
私は、この気持ちを表現するのに言葉では足りなかったので、最大限の感謝を込めてそっと頬にキスをした。
ゲルブさんは一瞬驚いた表情をしたが、ぱっと顔を背けた。
「……されど、あと一歩遅かったら…いえ。それ以前に、自分がしっかり群れとの欠別を果たしていれば、こんなことには」と唇をわななかせる。
「いくらでも耐えるさ…!ゲルブさんだけじゃなくて、良い方法がないか、私にも考えさせてくれ…。私じゃ頼りないけど…、一人で抱え込まないでくれ…」
彼の辛そうな顔に胸が痛くなった。
自分の無力さが憎い。私に彼を助けられるような力も、劇的な解決を導くような頭も無い。
それでも、一緒に良い方向に迎えるように協力したかった。
「しかし…いえ……全ては自分の不甲斐なさ、弱さゆえです」
「めぐみ殿は、ただ巻き込まれただけ…これから先も、自分がなんとかしなくてはならず…」と、また険しい顔で呟いている。
私はそんなゲルブさんの顔を手でぎゅっと挟んで自分の方に向ける。
「ゲルブさんの頑固者…っ!!例え一人で何とかした後、そこに貴方はいるのかッ!!あの時私はゲルブさんと生きたいって言ったじゃないかッ…!!……一人で抱え込むなよぉ…」
自分でも驚くような大きな声が出ていた。
その声にゲルブさんは目を白黒させながら言った。
「めぐみ殿、泣かないでください…めぐみ殿の気持ちは嬉しいです。されど、此度の問題は、我らの関係に大きな障害となっている」
「考えてもみてください。自分もまた、ファイト・ビーなのです。この意味がおわかりでしょう…」とあやすように頭を撫でた。
いつの間にか泣いていたらしい。しかし、そんなことは構わない。
「ゲルブさんはあの人達と違うッ!!少し彼と話したが、ゲルブさんは心があるッ!!思いやりがある…ッ!」
「貴方はファイト・ビーだけど、ゲルブさんなんだ…!!障害なんて一緒に乗り越えたいんだよッ!!」
堪えきれない涙を溢しながら、一生懸命に言葉を紡いだ。
ゲルブさんはそんな私の涙をゆっくり拭いつつ、どこか悲しげに笑いながら言った。
「めぐみ殿…ありがとうございます…。ただ…めぐみ殿もご覧になったでしょう」
「自分の凶暴性…獰猛なけだもののごとく、そこにあるだけで周囲をめちゃくちゃにしていく様を」
どこか乾いたような笑い声をあげて続ける。
「アレが怒りに任せてであっても出来てしまうから、自分は…生まれた因果から逃れられないのではと思っている。……めぐみ殿も恐ろしかったでしょう?」
殆ど作業のように涙を拭うゲルブさんの手を私は掴んだ。
「見たよ!怖かったけど…!本当のけだものだったら、私を助けた時にあんなに悲しそうな顔なんて、するわけない…ッ!」
「貴方ほど自分を律している人を知らない!!貴方は不用意に人を傷付ける人じゃないッ!!守れる人だ!!……私の言葉は、そんなに信用に値しないのだろうか……?」
壊れてしまったのかと思う程、ぼろぼろ涙が出た。
貴方の生まれの呪いから、幼少期の悲劇から、そして今回自身が押し込めていた狂暴さから自分を信じられなくなってしまうのは、なんとなく分かる。だから飲み込めないのだろう。
だけど。だけども。
「…………めぐみ殿」
ゲルブさんは、私の泣き顔を呆然と見つめてポツリと言う。
「教えて下さい…自分は…………この血塗られた手で、まだあなたを抱き締める資格はあるのでしょうか…………?」と消え入りそうな声で尋ねた。
私は即答する。
「あるッ!私が結果的にゲルブさんの手を血で染めさせた…っ!」
「貴方の責任も一緒に背負わせてくれ……。お願いだ……」
溢れる涙はそのままに、両手を広げた。
「だって私達、番なんだろ…?」
両手を広げた私を、ゲルブさんは思い悩むように見た後、恐ろしくそっと抱きしめた。そして、弱々しく続ける。
「……自分の罪は自分だけのものです。めぐみ殿にだって背負わせはしたくない。……ただ、めぐみ殿は、そんな醜い自分もいるのだと、覚えておいて欲しいのです」
彼の決心は十分伝わった。
「…わかった。その事はもう口を出さないようにする」
今度は私の決心も聞いてもらおう。
「貴方のあの姿も覚えておく。……ただ、ゲルブさんも覚えておいてくれ。貴方が言う、醜い所も含めて私はゲルブさんが大好きだということを」
私はそれだけ言うと、ぎゅっと抱きしめ返した。
しばらく私達はそのまま抱き合っていたが、ゲルブさんが静かに言った。
「……ありがとう、ございます」
抱きしめつつ、空いた手で私の頭を柔らかく撫でる。
「めぐみ殿が番で、自分は本当に幸せ者です……。時折、自分などにはもったいなく感じてしまいまする」
私はひとつ鼻をすすってから答えた。
「私もゲルブさんと一緒に居られて、十分幸せなんだ」
その答えを聞いて、ゲルブさんは私の目元へひとつキスを落とす。
普段自分からほとんどキスをしないので、私は驚いてしまった。
顔を上げてゲルブさんを見る。翡翠の目が全て私に注がれていた。ゲルブさん自身も驚いているようだった。
そんな様子に、私はなんだか可笑しくなってしまい吹き出してしまった。