俺の十四も歳の離れた弟は泣き虫な子だ。溺愛する馬鹿な兄の贔屓目ではなく、頭も良いし運動神経にも優れ、勘が良すぎるために怖いものが多い子なのだ。おまけに少しばかり優しすぎる。怖いものが多いのに、怖いものから目を逸らせない難儀な子だった。
「兄ちゃんがついてるぞ」
これは弟が生まれてから染みついた俺の口癖。
今日は一体何に怯えたのか、目にいっぱいの涙をためる弟を抱き締めて俺は精一杯優しく囁く。
怖いものを無くしてやることはできないが、退けてやる。怖い思いをしたって俺がついている。いつでもお前の味方なんだと抱き締める俺の腕を、一所懸命に握り締める小さな手。愛しくてたまらなかった。
十四も歳が離れているとなると、父親のような感覚だったのかもしれない。けれど残念ながら俺は父になる機会に恵まれなかったので、真偽は定かではない。もしも本当にこれが父性だったとすれば、俺はあの子に兄性と父性を味わわせてもらったことになる。ありがたいことだ。
俺の可愛い弟。真面目で、ちょっと天然で、努力家で、はにかむ笑顔の可愛い子。兄ちゃん、と嬉しそうに俺の後ろをついてきた、大事な弟。ついて行く後ろを無くしてから、泣くのをやめた俺の弟。いつの間にか俺と同い年になっていた、俺のたった一人の弟。
置いていってごめんな。
「兄ちゃん」
声変わりを迎えた途端にぐんと低くなった声。たゆまぬ努力で鍛え上げて厚くなった体。身長は今もまだ俺の方が少し高いね。でもどんな姿であっても、俺の目に映る弟は小さな頃から変わらない。そして、弟の記憶の中の俺の姿も変わらない。
両手を合わせて目を伏せる仕草は厳かだ。
兄ちゃん、ちゃんと知ってるぞ。お前お坊さんになろうとしてたよなぁ。周りの人は止めたみたいだけど、兄ちゃんは結構悪くないんじゃないかって思ってた。お前はとても優しい子だから、きっとお前の祈りは慰めになる。
でもなぁ。
兄ちゃん、今のお前がとっても自慢だ。昔から自慢だったし、お坊さんになったって自慢だけど、今この瞬間お前という存在が自慢だよ。俺の泣き虫で頑張り屋さんの弟が世界を救った英雄になるなんて、自慢しないでいられない。偉いな、凄いな、流石だ、――イサミは世界一だって、撫でてやれないことだけが惜しい。
俺の墓の前で近況報告してくれるイサミはすっかり精悍になった。でも、最近はまたちょっとばかり泣き虫に戻って、兄ちゃんはそれがとっても嬉しいんだ。イサミが泣かされるのは許せないけど、イサミが泣ける環境であること、それから、俺の代わりにイサミの涙を拭ってくれる人が出来たことが嬉しい。ちょっとだけ妬けるし、ちょっとだけ悔しいなぁって気持ちもありはするけれど。
だから、な、イサミ。お前の後ろでお前の真似して手を合わせてるそこの金髪男のことをさ、早く俺に紹介してくれないか。イサミだってそのつもりで連れてきたんだろう?
こそこその内緒話で『好きな人が出来たら一番に兄ちゃんに教えるね』って約束してくれたもんな。まさか本当に、父さんと母さんに報告する前に俺に教えにきてくれると思ってなかった。それどころか覚えてると思ってなかった悪い兄ちゃんを許してくれ。
「あのね、兄ちゃん。この人は……」
子供の頃の口調で、イサミが照れ臭そうに男の紹介を始める。俺はそれを、うんうんって聞いた。
俺の十四も歳の離れた弟は泣き虫な子だ。一時期は泣き虫を封印していたけれど、今はまた少しだけ泣き虫。俺の可愛くて自慢の、たった一人の弟。
貴様にお兄さんと呼ばれる筋合いはない! なんて言わないから、イサミが泣いた時はその涙を拭い、慰め、よくよく話を聞いてやり、傍に居てやってくれ。イサミは泣き虫で、寂しがり屋だから。
どうか俺の分まで、末永く弟をよろしく頼むよ。