その先にて君を待つ時間の流れというのは不思議なものだ。
一瞬のうちに過ぎ去る時もあるし、夏の雲のようにゆっくりと進む時もある。
けど、それは時間そのものに変動があるわけじゃない。
過去を思えば一瞬で、未来を思う時に遅く感じるだけ。
今の俺のように。
目の前で楽しそうに笑っている可愛い恋人を見て、溜め息を吐いた。
実際『楽しそう』どころではない。
なんでもない物を見てはケラケラと笑っている。
それも次第にキャッキャッと、子供っぽい笑い声に変わってきている。
少しだけ頭を抱えた。
いや…可愛いんだ。
死ぬほど可愛い。
でも、だからこそ困っている。
「ルカ!見て!これ見て!」
シュウが見せているのはテーブルの上に置いてあるスプーンだ。
それをブンブンと振って俺の目の前に差し出している。
「はい!ど〜ぞ!プレゼント!」
「…うん、ありがとう。」
シュウからスプーンを受け取ると、また笑い出す。
さっきからずっとこの調子だ。
初めて見る上機嫌なシュウの姿は新鮮だけれども、正直かなりキツイ。
可愛いすぎるから。
こんな事になるなら、酒なんて呑ますんじゃなかった。
そうやって十分前の自分を恨んだ。
「ただいま、シュウ。」
「おかえりなさい、ルカ。」
お互いに生活のリズムがなかなか合わない日々を送っているが、合う時は欠かさず交わす挨拶。
俺との触れ合いにも慣れてきて、付き合ってから三ヶ月が少し過ぎた頃。
リビングの扉を開け、シュウは毎回こうして出迎えてくれる。
相当疲れてソファで寝落ちしている時以外は。
俺の持っている荷物を受け取ろうとしたシュウは、ピタッと動きを止めた。
そして左手に抱えている見慣れない箱を見ながら言った。
「あれ?それ何?」
「あぁ、これ部下にもらった。いいとこの酒なんだってさ。俺あんまり酒飲まないんだけど、かなり美味いらしいよ。一緒に呑む?」
「僕も普段はあんまり呑まないんだけど…ちょっと飲んでみたいかも。」
「じゃあ二人で呑もっか。お互い明日休みだし。」
「うん、いいね。」
ニッコリと笑い、シュウはその箱を持ってリビングへと戻っていく。
俺も帰宅後の支度を終わらせ、シュウの作った夕食を食べに向かった。
シュウの料理は世界で一番美味い。
色眼鏡無しにしても。
いつもは使う事のない少し上質なグラスに酒を注ぐ。
ピンクがかった鮮黄色の酒だ。
香りもいいし、それだけでも部下が絶賛していた理由が分かる気がする。
夕食を楽しみながら二人で軽くグラスを合わせ、一口呑んだ。
「…おいし。」
シュウが驚いた顔でグラスを見つめる。
確かに。
舌触りもいいし、酒独特の苦味や臭みがない。
水を飲んだような爽やかな味わいだ。
「たしかにすごい美味しいね。」
残った酒を煽り、次の一杯をグラスに注ぐ。
念の為、アルコール度数を確認する為に箱の裏を見ると『46%』と書かれていた。
「え、これやば。46%だよ、シュウ大丈夫?」
シュウの顔は赤くなっているけど、俺と同じようにもうグラスの酒は飲み干していた。
「うん、大丈夫!これすっごく美味しい!僕もう一杯呑みたい!」
「まぁ…無理しない程度にね?」
あまりにもニコニコして言うから強く止められず、控えめにグラスに注いでやった。
シュウが酒を呑むのを見る事自体が初めてだったから、正直加減が分からない。
少しでも危ないと思ったら止めてやろう。
けど…その五分後だった。
五分だ。
たったの五分。
二時間とかだったらまだ分かる。
酒を呑み始めたのが十分前。
おかわりを要求したのが五分前。
二杯目を飲み切ったシュウの顔は更に赤くなっていて、とろんとした目で楽しそうにはしゃいでいる。
取り留めもない事に笑い、いつもの辿々しさや落ち着いた雰囲気…何もかもが鳴りを顰めている。
頭を押さえた。
これが厄介な酔っ払いだったらどれほどいいだろう。
でも…目の前でベロンベロンに酔っているのはシュウだ。
いつものシュウも可愛いけど、今のシュウは別の意味で可愛い。
正直、もっと酔わせたらどうなるのか見たい。
そんな事はダメだと自分の中で理性と本能が戦っている。
俺の葛藤など知る由もないシュウは、ただのスプーンを「プレゼント」と言って渡してきた。
俺がそれを受け取ると、これまた嬉しそうに笑っている。
「はい!!」
「…え?」
目の前に両手を揃えて俺に差し出している。
何の事かとシュウの手と顔を交互に見た。
「何?」
「お金!」
「え…?」
「スプーン代!」
「…お金かかるの?」
「うん!100万ドルです!!」
「くそたっか。」
「スプーンもタダじゃないんだよ!」
頬を膨らませるシュウにやれやれと溜め息を吐いた。
「分かった。でも俺持ち合わせないからさ、今度払ってもいい?」
「だめ〜!」
「じゃあ値引きしてくれる?」
「う〜〜ん……いいよ!」
「いくら?」
「100ドル!」
「わー、スプーン一本で100ドルなんてお得だなー。」
棒読みで手を叩いてみせると、シュウは「でしょ?」と言わんばかりに胸を張っている。
「じゃあ財布取ってくるから待ってて。」
「は〜い!」
元気よく腕を上げるシュウの横を通り、二階へと上がる。
こんなにもシュウが酒に弱いなんて知らなかった。
早々に水を飲ませて寝かせた方がいいだろう。
財布を持ってリビングに戻ると、自分のグラスに酒を注いでいるシュウがいた。
しかもグラスがいっぱいになっている事に気付いていないのか、ドバドバとものすごい勢いで溢れている。
「待て待て待て!何してんの!」
慌ててシュウから瓶を取り上げる。
テーブルから零れ落ちそうになっている酒から遠ざけようと、シュウの腕を引いて椅子から立たせた。
「いたぃ〜〜っ!!」
「ごめんて…でも汚れちゃうから。」
「なんでこんな酷い事するの…僕お酒飲みたいのに…」
泣き出しそうな声で言われると罪悪感が湧いてくる。
いや、俺間違ってないはずなんだけど…
「返してよ〜。」
俺の手に握られている瓶に手を伸ばそうとしたが、届かないように高い位置に手を上げた。
「もうダメ。シュウ酔っ払い過ぎだよ。」
「………」
ジ〜ッと俺を見つめている。
それこそ穴が空くんじゃないかってほどに。
しばらくそうやって見つめ合っていると、シュウはなぜか怒った顔をした。
「…分かった、君ルカじゃないんだ…」
「……は?」
「ルカは僕に優しいもん!腕引っ張ったり、こんな意地悪な事しないもん!放して!!あっち行って!!」
俺の手を振り解き、胸板をポカポカと殴るシュウに呆然と立ち尽くす。
目の前にいるのが誰なのかも分からないほどに出来上がっているらしい。
「…ルカぁ…どこ行っちゃったの…」
今度は悲しそうな顔になり、ヨロヨロとリビングを歩き始める。
「ちょっと、シュウ。俺、ここだよ俺。」
「詐欺の人!!」
また怒った顔をしたシュウは、拙い手付きで携帯を取り出し始める。
「警察…呼ばなきゃ…」
「おいおいおいおい、ダメダメダメダメ。何してんの。マフィアの家に警察呼ぶな。俺死ぬって。」
急いで携帯も取り上げると、シュウの目がどんどん潤んでいった。
あ、やべ…
と思う前に、涙がポロポロと溢れ落ちていく。
「…ぅ…うぅ〜〜…!」
蹲って泣き始める姿に呆気に取られながらも、シュウの手が届かない場所に酒と携帯を避難させる。
そしてシュウの肩に手を置いて優しくさすった。
酔っているせいだとしても、何よりも大切なシュウを泣かせたくはない。
「ごめんね、シュウ。」
「…ルカ…早く帰って来てぇ……お家に知らない人いるし…詐欺の人もいる……僕携帯取られて…お酒も取られたし…悲しいのに…」
「ほら、シュウ。俺ここにいるから。ちゃんと見て?」
「………」
涙に濡れた顔でシュウがゆっくりと俺を見上げる。
少しの間俺を見つめた後、眉を下げて緩やかな動きで抱きついてきた。
「…ルカ、どこ行ってたの…?…僕いじわるされてたのに…」
「うん、ごめんごめん。もうどこにも行かないから。」
いや、ずっといたんだけどさ。
面倒臭い酔っ払いなら何度か見た事があるけど、今のシュウを突き放す気にはなれない。
これっぽっちも。
だって正面から抱きついてくれるなんて、普段のシュウでもそうそうしない。
『できない』の方が正しいんだろうけど。
卑怯だと分かっていても、少しだけ酒の力に感謝せざるを得なかった。
しばらくは腕の中でメソメソと泣いているシュウを慰めていたが、だんだん様子がおかしい事に気付いた。
泣き声は止まり、呼吸がゆっくりになっている。
恐る恐る顔を覗き込むと、目を閉じて完全に寝ていた。
「ちょっと、シュウ。寝る前に水飲んで着替えないと。」
「……ん"〜〜〜…」
眠りを妨げられた事が嫌だったのか、眉間に皺を寄せて唸っている。
徐々に瞼が開き、泣いたせいで赤くなっている瞳が俺を覗き込んだ。
「…お酒がいい…」
「あかんて。」
「やぁだ〜〜お酒飲む〜〜!」
「……分かった、ちょっと待ってろ。」
渋々立ち上がり、キッチンの方に向かう。
目の前にいる俺が俺だと認識できないほど泥酔しているなら、酒と言って水を出しても喜んで飲むだろう。
グラスに水を注ぎ、リビングの床に座り込んだまま「お酒っお酒っ!」とはしゃいでいるシュウの所に戻った。
さっきまで寝そうになっていたのに、情緒不安定どころの話じゃない。
「はい、お酒だよ。」
「わ〜い!お酒〜!変な色〜!」
グラスを受け取って飲もうと口に近付ける。
けど勢いが良すぎたのと手付きが終わっているせいで、口にグラスを付けるのと同時に水は全部溢れていった。
「おいおいおいおい。」
慌ててグラスを取り上げた。
溢れた水で胸元がびしょ濡れになっているシュウを何とかしようと立ち上がる。
「ちょっとここで待ってて、タオル持って来る。」
「ぅえ〜ん!雨降ってきた〜!」
転んで膝を擦りむいた子供みたいに、シュウはまた泣き出した。
感情がジェットコースターすぎる。
スプリンクラーか何かなのか。
俺だって酒に強いわけじゃないけど、シュウは弱いとかそういうレベルじゃない。
呑んじゃいけない人間だ。
「雨じゃないよ、溢しただけだから。いい子だから待ってて?」
泣きじゃくるシュウの頭を撫でると、今度は満面の笑みで「うん!」と頷いた。
タオルを取りに行く俺の背中に聞こえてくるのは、「僕いい子だって〜!やった〜!」とはしゃぐ声。
酒は人の本性が露わになると言うが、そういう次元か?
タオルを持ってシュウの元に戻り、胸元にかかった水を拭く。
まぁこれは着替えないとダメだろうけど…
「シュウ?びしょ濡れだから着替えよ?寝室行くよ。」
手を引いて立ち上がらせようとしたけど、シュウはペタンと座り込んだまま立とうとしない。
無理矢理立たせるのも抱き上げて運ぶのも簡単だ。
でも、今のシュウを刺激するのはあまり良くない気がした。
「どうしたの?ほら、寝るよ。おいで。」
優しく言い聞かせてもシュウはボ〜ッと俺を見ているだけだ。
今にも溶けそうな瞳で。
「…シュウ?」
もう一度屈んで目線を合わせると、シュウはゆっくりと口を開いた。
「……えっちする…?」
「……………………え"。」
変な声が出た。
俺の耳がおかしくなったんだろうか。
あぁ、たぶん俺も酔ってるから、たぶん…そのせい。
「…えっちするの…?」
これ聞き間違いじゃないな、うん。
五回程高速で瞬きをしてから、引き攣った笑顔で答える。
「しないよ、寝るだけだから。」
「…えっちしたいの…?」
「……あ〜……のね?シュウ?ほら、段階の話したでしょ?それはまだ先だから…できないでしょ?」
事実、今はキスをしながら体に触る程度だ。
その度に理性が揺さぶられ、なんとか先に進まないように自分を制しているのに。
シュウだってそうだ。
自分の力を恐れながらも、先に進もうと必死に頑張ってくれている。
だからそんな事を言われるなんて思っていなかった。
目の前にいるシュウは確かにシュウなのに。
酔っているというだけで、普段の自分の事すら忘れてしまったのだろうか。
「…したくないの…?」
「………したいけど…ね?シュウはまだ心の準備とかできてないでしょ?もうちょっと慣らしてからにしよ?」
「…したくないんだ…」
顔を下に向け、微かに肩を震わせている。
まさかと思ってそっと顔を覗き込むと、ちょうど涙が溢れ落ちていった。
「ちょ、ちょっと…?シュウ?違うんだよ?したいんだけど…」
俺の言葉が届いていないのか、シュウは声を上げて泣き始めた。
床に突っ伏し、嗚咽を漏らしながら顔を覆っている。
どうしたらいいんだよ。
俺だって死ぬほど我慢してる。
だからって、酔って前後不覚になっているシュウに手を出すほど腐った人間じゃない。
それを分かって欲しいのに、言葉が通じる状態でもない。
途方に暮れ、もう一度背中に手を当てて優しく撫でた。
「ごめんね、シュウ…泣かせたいわけじゃないんだ…。でも、今のシュウは…ほら、酔ってるからさ…。」
「…ぼくっ…!…酔っ…てなんかっ…ないっ!…うそつきっ…!…ル、カがっ…ぼくの事…っ…お、おんな…のっ…人じゃ…ない…っからって…!」
「違うから。それほんとに違うって。俺はシュウがいいよ。今の男のままのシュウが好きだから。ちゃんと準備ができたらしよ?ね?」
「…いまっ…したいっ…!!」
あ〜あ
もうどうすんだよ、これ。
どうしたらいいんだよ。
俺何させられてんの?
死ぬほど抱きたいのに、今まで我慢してたのに。
なんでこんな事になってんの?
一番したいの俺だよ、たぶん。
「…うそつき……したくない…だけのくせに…ぼくのこと…ほんとは…すきじゃ…ないくせに…」
「…は?ちょっと待て。」
流石に今のは聞き捨てならない。
俺がシュウを好きじゃない?
シュウの肩を掴んで起き上がらせ、俺と視線を合わさせる。
「ふざけんな、俺はシュウが好きだよ。…あ、ごめん、ふざけんなは無し。」
思わず語気が荒くなってしまった。
普段からシュウには優しい言葉を使うようにしていたのに、少しだけ理性が崩れた。
シュウは眉を下げて俺をジッと見上げている。
なんというか…そろそろ勘弁して欲しい。
「…じゃあ…えっちする…?」
「………」
しばらく沈黙のまま思考を巡らせ、はぁ…と息を吐く。
どんな理由があったとしても、酒の力を借りてシュウを抱くのは違う。
それだけは絶対に違う。
だからもう一度シュウと目を合わせた。
「…分かった、しよっか。」
「ほんと?!」
嬉しそうに顔を綻ばせてシュウは言った。
せめて、明日のシュウが今日の事を覚えていないといい。
そうじゃなきゃ、羞恥心だけで死んでしまうだろうから。
シュウの手を取ってリビングを出る。
「わぁ!すごい!階段がある!」
「いつもあるよ。転ばないように気を付けてね。」
「大丈夫!僕、階段得意!」
「階段得意ってなに…?」
支離滅裂な言動に翻弄されながらも、一歩一歩階段を登る。
その間、シュウは俺の後ろでずっと「えっち!えっち!」と楽しそうに言っていた。
人の気も知らないで…
でもまぁ…少し嬉しい気持ちもある。
少なからず、シュウにもしたいという気持ちがあるんだって分かったから。
そこだけは酒に感謝した。
こうやってはしゃぐのも、甘えるのも、泣くのも、全部シュウの本心なのだろうから。
寝室に着き、扉を開けてシュウを中へと連れて行く。
当の本人は鼻歌を歌い、スキップをする勢いで歩いている。
「…ほら、ベッドに乗って。」
「は〜い!」
元気良く返事をして、シュウはベッドに飛び込んだ。
俺もそれに続いてベッドに乗り上げ、ご機嫌なシュウの目の前に座った。
「あのね!僕調べたの!男の人同士のえっちって、お尻の穴使うんだって!」
「ん〜、そうだね〜。」
「それでね!ちゃんとゴムを付けないといけないんだって!」
「それはそうだね、男女でもマナーだから。」
「でね!毎回ちゃんと中を洗わないといけないの!それに、他にもたくさん気を付けないといけない事があってね!」
「うん、そうだね。」
「…だからね…」
ニコニコしながら説明していたのに、なぜだかシュウは突然声を落として俯き始めた。
どうしたのかと様子を窺っていると、膝の上に置いていた手をギュッと握り締めている。
「……だからね…大変なんだって……女の人みたいに…濡れるわけじゃないし、綺麗にしなきゃいけないし…すぐできないし…いっぱいやる事があって…いっぱい必要な物があるの…」
「…うん、そうだね。」
「…だからきっと……ルカは……ガッカリしちゃうね……」
それは俺への言葉じゃなかった。
シュウが自分自身に問いかけている言葉。
さっきまで子供のようにはしゃいで、泣いて、怒っていたのに。
今は涙一つ流していない。
それなのに、泣いていた時よりも悲しい顔をしている。
シュウの手を上から握り込んだ。
両手で包み込み、願いを込めるように。
もし、神なんて存在がこの世に在るのなら
どうしてシュウに自分を信じる心を与えてやらなかったのかと、憎まずにはいられない
ほんのひとかけらだっていい
世界で一番優しくて脆い男が、これ以上苦しむ必要なんてないように
包み込んだ両手を取り、そっと体を押してベッドに組み敷いた。
どこか焦点の合わない溶けた瞳が俺を見上げている。
今、自分がどうなっていて、何をされようとしているのか分かっていないだろう。
だから微笑みかけた。
優しく、慈しみを持って。
ゆっくりと顔を下げ、シュウの唇に自分の唇を合わせる。
目の前にあるシュウの瞳は僅かに瞬きをしただけで、閉じ切る事はない。
いつもだったら眉間に皺を寄せて、頬を赤く染めながら震えているのに。
唇を離してシュウの内股に指を滑らせる。
緩やかに、宥めるように。
「……ル…カ……」
「…ん?」
「…もっと…触って欲し…」
「……はぁ…」
こんなに可愛いのに、こんなに俺を誘っているのに、それでも耐えなきゃいけない。
息を吐いてもう一度唇を寄せる。
今度は首筋に添えて、微かに触れるだけのキスをした。
手はシュウの脚や腰を撫で、一刻も早くシュウが眠りについてくれる事を願った。
「…んっ…」
僅かに色を含んだ吐息がシュウから漏れる。
これ以上は俺が限界だ。
体を撫でる右手はそのままに、左手でシュウの両目を覆い、耳元で静かに囁いた。
「…おやすみ、シュウ。」
俺の下にいるシュウの体から徐々に力が抜けていくのが分かった。
呼吸が緩やかになり、その時は近付いていた。
「……お…やすみ…ル…カ……」
その言葉を最後に、シュウは静かな寝息を立て始めた。
すぐに動けば起きるかもしれないから、ジッと動かずにシュウが深い眠りにつくのを待つ。
数分ほどしてから、漸くシュウの上から退いた。
生殺し、とはよく言ったものだな。
シュウがこんなにも誘ってくれたのは初めてだったのに。
それでも、俺に取れる選択肢は一つしかない。
何があっても、明日のシュウを裏切る事なんてしちゃいけない。
濡れた服は後で着替えさせてやる事にして、静かに寝室から出た。
とりあえず、リビングの惨状をなんとかしよう。
いつ来るかも分からない日に想いを馳せた。
それは気が遠くなるほど長い時間に感じるだろう。
それでもいつかは訪れる事を信じて、俺は待ち続ける。
翌朝、何もかもを綺麗さっぱり忘れているシュウが、ポカンとしながら俺を見つめていた。
「スプーン代だよ」と言って100ドルを手渡した時も、困惑しながら首を振るだけだった。
昨日の夜、散々俺にお預けをさせた事を知る由もなく。
その表情を見て決めたんだ。
シュウには二度と酒を呑ませない事を。