舞台裏 四月一日円は、一旦その絵筆を置く。
作業が一段落したわけでも、筆が進まなくなったというわけでもない。
ただ、なんとなくの幻が浮かんだだけだ。それは窓もないこの部屋が暑いせいだろうか。それとも、何かをきっかけとしてそんなイメージが浮かび上がったのか。
目の前にある描きかけのキャンバスを後にして、縁側に咲き乱れる季節の花を眺めようと腰掛ける。
ここしばらくの酷暑にも負けずに、それぞれの色合いを主張する花々を、去年の四季は一人で眺めていたのだろうかと何気なく連想した。この広い家で、たった一人。
花嫁衣裳のような――もう二度とこの生に混じることのない白は、瞼の裏では今も尚鮮やかに。そこで、吐息混じりに言葉を紡ぐ。
「――ああ、今日で六月も終わりだったな」
六月。水無月。ジューンブライド。――六月の、花嫁。
だから、一瞬でもそんな夢を見たのかもしれない。
加々宮イタルと弦月四季。彼女達が死んで、四ヶ月もまだ経っていないのだという事実。今では独り、自分だけが生きている。もう二度と、三人が揃うことはない。
夢を見るのは生きているモノだけの特権だけど、こんなのはあんまりじゃないだろうか。
――綺麗だったのだろうな、と至らなかった結末を夢想する。
真っ白な衣裳。ヴェールを頭に被って、花冠を戴いて。絵に描いたような花嫁姿で、一歩を踏み出す恋人達。よりにもよって、と呟きながら、円はじっと目を掌で押さえつける。まるで、少しでもあの光景を留めておきたいとでもいうように。
冷たい海の底から、光ある空へ向かう後輩の晴れ姿。花弁に見送られる花嫁達の光景を。
そして、自分が人生で一番「美しい」と――あれ以上のひとは、他に居ないと。恋ではないと否定しつつもそう称した存在が、同じように袖を通したらとも思ってしまった。ああ、だけど。それは自分には描けない。あの美しさは、生きた彼女自身だからこそ意味がある。
夢見る光景に、目を閉じ続けている――いつの間にか、崩れ落ちるように本物の夢に浸り始めた彼を、孔雀のようで、真っ白な夏の日差しが見詰めている。目が覚める頃には、誰もいないがらんとした夕暮れと、溶けた保冷剤。それから、汗をかいた一人分の麦茶が用意されているだろう。それを用意したのは、ふとやってきた薄黄蘗色をした髪の少女なのかもしれないし、四季の世話になっていた茶色の毛先をした白髪の少女かもしれない。──もしくは、眠っているからこそ彼のところに訪れる、孔雀のような女性だろうか。
季節は巡る。夏は秋へと向かっていく。そして、物語はまだまだ続く。別の人物に託されることもあるかもしれない。けれど確かなのは――いつかの終わりが来る時に、彼を迎えに来るのは、終ぞ描くことの出来なかった、白い孔雀のような花嫁なのだろうと。