Ora Orade Shitori egumo 下区の森林でその影を見た時に、ごめんなさい、と堰を切ったように叫ぶように訴えることしかできなかった。
ごめんなさい、ごめんなさい。
誰かは言えない、でもお願い、最後なの、今しか話せないの、大事な人なの。
――今しか。思い出すのは、少し前のニュース。「パパ」が脱獄したというのはそこそこ大きなニュースになっていて。それでも、見たなら手を伸ばさずにはいられない。どういう意味なのか理解していても。
花堂さんからの突き放す目も、自分も好きにするという言葉も。全て、自分に返ってきたツケでしょう。
だから、走る。走る。独りで。何時は速いはずの足は焦りで空回っているような気がして。ようやく人影がはっきり見えるようになってから、吐き出すように慣れた言葉を張る。
行かないで、待って、まだ――
「パパ!」
くらくらと頭が揺れる。少しだけ驚いたような顔が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「――しゅ、か」
どうしてここにいるのかなんて理由も、問いただすべきことも。きっとあるはずなのに。正しさよりも、わたしは自分の大切なものを取ってしまった。
どうしよう。どうしよう。このまま一緒に逃げようよ、そうしたらしあわせだよと、夢の名残が囁く。だけど、デバッグされた思考はそこに応えられない。盲目じゃない目では、その世界にはいられない。
――わたしは、オオカミじゃない。だからって、人にもなれないけど。
でも、子供じゃなくなることだけはできるから。
現実に追いつかれて、捕まって。そうしたらもう、できることは。やらなきゃいけないことは。
「パパ」
一つ覚えのように、同じ単語を繰り返しながら縋るように手に触れれば、笑う顔が見える。言わなきゃいけない言葉。愛惜を言葉にするより前、自分が口を開くより先に尖った犬歯が少しだけ微かな明かりできらりと光って、触れていない方の手で頭を撫でられながら、ただ一言が紡がれる。
「幸せに、なんなあ」
ぎゅう、と喉が締まる。そこに詰まっているものが、どういうものなのか、泣きそうなくらいに分かってしまうから。
誰かの犠牲で成り立っていた、それでも幸せだった日々。幸せな記憶。だけど、この人は。それを宝物にしていってしまうんだろう。そんなの、寂しい。寂しい。悲しい。苦しい。痛い。そんなの――だけどもう、時間だから。
「――さよなら、パパ」
さよなら。さよなら。大好き。わたしも、幸せだった。
――そんな思いを込めて、そっと自分から手を離した。