水鏡 魚姫が明るくなった。
それを黒雉子――後輩としてなら白茅万華は快く思っていなかった。高校で話した回数よりも、高月での会話の方が遥かに多い──それでも、他人と比べたらずっと少ないのだけど。
勿論、明るいだけなら諸手を挙げて歓迎できただろう。気まぐれに話しかけるだけの関係だったけど、独りでプールの水に沈んでいたあの頃を思えば、特に。
けれど、その明るさは決して良いものではないことをよく知っている。例えるなら、死を目の前にしているような。もう少し分かりやすく言うなら、燃え尽きる直前の蝋燭のような。その類のものだった。
心配なのは勿論だけど、同時にそれが「立ち入るべきではない」事態であることを認識して黒雉子は溜息を吐く。黒雉子本人が最も不得手だと自覚している分野なら尚更に。
「――先輩」
思考に浸っていれば原因が、こちらを見ている。
その目の奥に渦巻いているものが何かを直視して、もう一度大きな溜息を吐く。
「……うおちゃん先輩」
「また悩んでるの」
視界にあるのは慣れ親しんだ無表情。――その奥にある、読み取りにくい感情を見て肘をつく。さざ波の立つ湖面のようにきらきらとした青い瞳をよく覗けば、心配の色がようやく見える。それから、見覚えのある狂気めいた情念。
誠に残念ながら先輩が今の悩みの原因なんだけど。そう言えたらと思いつつ、何一つ相手への責任も持てないし取れないくせに手を出す、介入するのは黒雉子にとってのルール違反だ。だからできることといえば、ただ傍観者であることくらい。
「あー……まあ」
言葉を盛大に濁せば、「自分に向けられたもの以外なら」という注釈は付くとしても案外人の感情に敏い魚姫はそれ以上の追求をしない。当人の情緒だとかが幼いのも事実であるけれど。
「先輩。何もかも滅茶苦茶にしたくなったことってあるの」
疑問符のつかない疑問文。魚姫が何かを問い掛けたい時に使う口調で紡がれた言葉に、思わず黒雉子も口を噤む。
何もかも。――それは例えば、そうとは知らずに継がされていた家のことだとか。一緒に背負わされた死人達の縁だとか。医者になったり志している異母兄弟達のことだとか。自分一人だけを置いていってしまった実母のことだとか。そう時間を空けずに再婚した父親のことだとか。思う節は沢山ある。
それでも、自分は早々に自立するという選択肢を取れただけ十分に恵まれている方なのだろう。後輩であり、親戚である鏡のことを思えば尚更に。
「……ない、って言ったら嘘になるな」
だけど、きっとそこまでにはならない。
何かのために何かを壊す。その選択肢を、きっと自分は選ばない。
どうした、とは聞かない。――そこから先に踏み込んでは、いけない。
そこから先は答えない、と暗に線を引いた黒雉子に、魚姫は目を閉じる。
「そう」
薮蛇はごめんだという理由ではなく、ただ「責任が取れないから」。取れるならどうにか良い方向に向かう手伝いはしたかもしれない。けれど、そんな簡単な手段で解決はしない。理由自体は酷く単純なくせに。
ここにあったのは沈黙だけだと誤魔化すように、小さく呟かれた単語については気付かないふりをした。そもそも、音にすらなっていなかったから耳には届かなかったのに。
それは、魚姫にとって何もかもが破綻する、後戻りが出来なくなる数日前の話。