物分かりのいい女と都合のいい女の境界線はどこにあるのだろうか。そんなことを思いながら、カエデは目の前の男の丸出しの額に口付けを一つ落とす。
「半分」
小さく咳払いをし、寝起きで乾いて張り付く喉を剥がしてから未だ眠る男の名前をそっと呼ぶと、気配に敏感な男は囁きへ呼応するように瞼を開いた。
凝り固まった身体をほぐすように脚を組み替え、ホテル特有のかたいシーツが素肌に擦れる。
「ぁ――、まだ、寝てろよ」
視界の端でカーテンの隙間からまだ光が差し込まれていないのを確認し女を腕の中に閉じ込め二度寝の体勢に入ろうとするが、身じろぎしたカエデは半分から距離を取り「あと、何回会えるの?」と言った。
「……」
沈黙。返答に困る、というよりも、半分はカエデの質問の意味が理解できなかった。
「結婚するんでしょ、流石に、今まで通りは会えないじゃん」
追い討ちをかける言葉に半分は努めて冷静であろうとする。脱力していた身体を起こし、枕に散らばるカエデの長い髪をそっとすくいあげ、手遊びするように指先ですく。
「お前、結婚したいのか?」
「するのはそっちでしょ?」
「誰が?」
「半分が」
「誰と?」
「彼女」
遠回しな結婚願望のカミングアウトかと思ったが、段々とカエデは声に苛立ちを滲ませ始める。
髪を触る半分の手の甲をカエデのほっそりとした指が覆い被さり、握る。要領を得ない、もはやすれ違いという言葉では収まらない問答に半分は軽く眉間を揉んだ。
「俺の彼女は、お前だろ」
カエデの指先が、ぴくんと、跳ねた。そして、めまぐるしく視線を彷徨わせたかと思うと、恐々問い掛ける。
「わっ、わたしたち、セフレでしょ?」
「セフ……?」
「セックスフレンド……」
呆然とした呟きに、略称ではなく正式名称でカエデは追記するが半分はそうじゃなくて、と思う。
「いや、付き合ってる、だろ?」
「ん、えっ、え? ええ?」
釣られて自信を失ったのか、つい語尾が疑問系になる。慌てて上半身を起こしたカエデは何も纏っておらず、ふくよかな胸と昨晩の行為の激しさを示す白い肌に散る吸気痕や噛み跡が惜しげもなく晒される。半分はまじまじとそれを眺めながら『こんなことを散々しておいて?』と益々混乱する。
「いつから?」
「五月七日」
「いや、そんなん言われても分かんないし……」
澱みなく答えられる、身に覚えのない日付にカエデは口ごもる。
「言っただろ、俺のもんになれって」
「あれっ、お付き合い云々の言葉だったの!?」
「それ以外に何があんだよ……」
「ふつー、そういうのって好きとか愛してるとか付き合ってくださいじゃん……」
半分には女の心の機微が分からない。
加えてカエデも半分にとって面倒な女にはなりたくないからと、多くを語らず、望まずいた。
「それは知らねぇ~けどよぉ……そんなん散々言い合っただろ」
「いや、あれはベッドの上のリップサービスというか……盛り上げるためというか……」
昨晩、己の腰に脚を巻き付けながら蕩けるような声で囁かれた「好き」という言葉は心あらずだったと知り、半分の頭はガツンと殴られたような衝撃を受ける。
「じゃ、じゃあクリスマスとか年末に会えなかったのは!? 本命に会ってたんじゃ」
「仕事だよぉ、ふつーに」
「いきなり女へのプレゼントは何が喜ばれるか聞いてきたのは!?」
「お前に贈るためだろぉ」
尽く反論を返される勘違いに、カエデは宛ら金魚のように口を開閉させる。
「俺が結婚するなんてどっから出てきたんだよ」
「チャペルのパンフ見てたじゃん」
「マキノが結婚するっていうからよ~、いろいろ相談に乗ってやってたんだよ」
カエデの中で全ての辻褄がつく。
半分が半グレの前でも隠すことなくやたら己の腰を抱いてきたのも、半分がホテルの前にやたらテーマパークやらご飯やらに連れて行ったのも、付き合ってるいたからなのだ、と。
「…………お前、俺のこと、セックスフレンドだと思ってたのか? 本気で……?」
怒りではない。落胆に近い絶望。何よりも愛していた女から恋人ではない、あまつさえ身体のみの関係だと思われていた半分はこの一瞬でやややつれたように見える。いつもよりも垂れ下がった双眸はどこを見ているのか分からない。
「いやっ、ちがぁ~、くはないけど……」
歯切れが悪そうにカエデは答えながら、半分の膝の上に跨り身体を擦り寄せる。拗ねた様子を見せながらも半分はそれを受け入れるように甘やかな香りのする後頭部に顔を埋め、離れてしまったのではないかと心配した心の距離を物理的に埋めて尚且つ甘える姿勢になる。
「二度と言うなよ……付き合ってないとか……」
「はぁい」