「けーしーぃー……、ケシー?あれ、まじでいないのかー?」
何やら、遠くで呑気な声がする。夢現のまま聞き慣れた音を拾って、ケシーはぴくりと瞼を動かした。何度か呼ばれる己の名前と諦めることなく軽快に扉を叩く音から察するに、声の主人は己に明確な用があるらしい。当然だ。用がなければ、わざわざこんな所まで来る物好きはいない。
覚醒しかけた身体から、ふわあ、と欠伸が漏れる。けれど立ち上がるのも瞼を開けるのも億劫で、ケシーはそのまま緩やかに呼吸を繰り返した。
「チィ!チチ、チチィ!」
「……まだ眠い」
このまま居留守を使おうが放置しようが声の主がこちらに危害を加えない事は、ケシーのみならず周囲の獣にとっても織り込み済みだ。なんなら非力な善人故に、圧倒的に獣に狩られる側の人間である。森での暮らしも慣れてきたぞと大口を叩いた傍からわぁわぁと悲鳴を上げてケシーが手を貸す羽目になったのは、まだ記憶に新しいーーそれだって、相手がエイトだと思えば気付けば悪い気はしなくなっていたけれど。
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