有頂天きょさと「きみ、やっぱり歌うまいなぁ」
そう、低い声で話し掛けてきた謎の男に、僕の人生は無茶苦茶にされてしまったわけです。
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蒸し暑い日のことだった。
夕方だと言うのに気温は下がらず、顎先から垂れる汗を手の甲で拭いつつ下校していた。時々西日から逃れる様に影に入って見るものの、体感温度は下がらない。
次第に苛立ちまで感じ始めた僕は、代わりに、人家から覗く木々を見上げて僅かに涼を取りながら、肩に掛けた通学鞄を背負い直した。
心が尖るのも無理はない話だった。部長として籍を置く合唱部の闘いの場、合唱コンクールがもうすぐそこまで迫っているのに、歌が上手く歌えない。以前のように声がきれいに出ないのだ。
努力や根性ではどうにもならない、僕の身体のリミットがすぐそこまでやってきていた。真っ直ぐに柔らかく伸びていた筈の声は出なくなっていた。まるで、自分の身体じゃないみたいに。誰にも相談できない自分の変化は背を向けたくなるほど恐ろしく、じわじわと『岡聡実』を崩されていくような気持ちだ。
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