依頼:害悪ライダーに制裁を下してください 墨を流したような空に広がる星、空と同じ色の黒い海。
深海では聞こえなかった砂浜を叩く波の音を聞きながら、フロイドは海に沿って伸びる細長い道路の隅で、大きなマジカルホイールに跨って空を見上げていた。深海のような黒く深い青色のボディはメタルの輝きを忘れることなく、星の明かりでキラキラと光っている。
フロイドは「ハァ」と白い息を吐いてから、黒いフルフェイスのヘルメットをかぶった。キュイイ、と機械的な音がして、目の前が青く光る。夜間モードと称したその機能で少しだけ視界が明るくなり、バーチャルアシスタントの音声が流れた。
『こんばんは、フロイド・リーチさん。素敵な夜のツーリングにBGMはいかがですか?』
「あは、じゃあメロディオブサンセット」
『メロディオブサンセットを再生します』
「アリガト」
こんな夜には似合わない、可愛らしいピアノの音色が聴こえ始める。エレメンタリースクールの頃、アズールが毎日のようにピアノで演奏していたのを覚えている。彼はこっそり練習していたつもりなのだろうが、フロイドはジェイドと一緒にいつもその音色を聴いていた。
さて、なぜフロイドがこんな時間にこんな場所で、ライダースーツを身にまとい、マジカルホイールに跨っているのか。
話は一週間前に遡る。
「害悪ライダーの駆除ぉ?」
「駆除というか、まあ少し痛い目を見せてやりたいという話でした」
アズールは満タンになったポイントカードを添えた企画書をフロイドに差し出すと、それに目を通すよう、顎で指した。本来であれば”依頼書”であるはずの書類が”企画書”になっているということは、アズールはこれを了承したのだろう。
フロイドは面倒臭そうにカードをよけて、目線を上から下へ流した。
「……これを?オレがぁ?」
「別に嫌ならいいんですよ、お前は陸に上がってすぐマジカルホイールの免許を取得したので、興味があるかと思っただけです」
「あーそんなのあったねぇ……え、マシンは?」
「驚くなかれ、本日入荷予定です」
そう言うとアズールはフロイドの目の前にスマホをかざして、とあるマジカメの投稿を見せた。動画をタップした途端、唸るようなエンジン音が鳴り響く。
メタリックシルバーの派手なマジカルホイール、その車体の側面に走る稲妻のようなラインが青く光り、食い入るように画面を見つめるフロイドの瞳もチカチカと光った。
「すげー……!」
「そうでしょう。明日には納車できるそうですよ」
ようやく差し押さえたんです、と嬉しそうなアズールの声はもうフロイドには届いていなかった。
フロイドはアズールのスマホをつかんだままラウンジを飛び出すと、早速イグニハイドのマシンオタクくんを捕まえて、「コレかっこよくして!」と叫んだのだった。
そうして手に入れたマジカルホイールで、今夜、フロイドはご機嫌なお仕事をする。
依頼者の話では、先々週の休日の夜中にマジカルホイールでこの道を走っていたところ、見知らぬマジカルホイールに煽られたということだった。
執拗に追い回されただけでなく、なんとボディに傷をつけられ、フロイドもその写真を見せてもらったが、赤いボディに硬いもので抉ったような長く深い傷がついており、自分のマシンを持ったばかりのフロイドは他人事とは思えなかった。
調べてみると、そのライダーはSNSでも害悪ライダーとして有名で、毎週同じ時間にこの道を通る、と注意喚起を含めた情報が上げられていた。アップされていた画像は解像度こそ低かったものの、暗闇に溶け込むような黒いボディに、派手なレインボーのラインが光っているのは分かった。
「オールブラックに……ゲーミングライト……まあすぐに分かるかぁ」
ヘルメット内に表示されていた時計を見ると、時間は二十五時を数分過ぎていた。
ここへ来て、三十分ほど経っている。対象が来ても来なくても、そろそろ走る準備をしておこうとフロイドがマシンのエンジンをかけようとした、その時。
突然、不快なほどの大きく低い地響きが聞こえた。
マジカルホイールのエンジンをかけた音だ。
自分のマシンとは全く違うその音は、遠くから、少しずつこちらへ向かってきている。
フロイドは急いでエンジンをかけると、マシンの起動音を聞きながらアクセルを回した。大きなタイヤが独特の音を立てて走り出す。
『楽しんで』
「あはぁ♡そーする♡」
バーチャルアシスタントがミュージックの音量を上げる。
ピアノの音はいつの間にか、アップテンポのEDMに変わっていた。
「うっわもう来た」
車と違い、マジカルホイールにミラーはついていない。ヘルメットの画面に表示されているバックモニターを見ると、激しい光が後ろから追いかけてくるのが見えた。
それは異常な速さで、法定速度が守られていないのは明らかだった。この界隈での速度破りなど指摘するだけ野暮というものであるが、フロイドはひとつ気付いたことがあった。
「なるほどねぇ」
異常な爆音、異常な速度。これは、“違法改造”だ。
SNSではカスタムがエグい、などとしか書かれていなかったが、その理由も察した。
近づいてくるマジカルホイールから僅かに感じる魔法の気配。
といってもマジカルホイールというのは魔導車であるので、魔法の気配があるのは当然なのだが、エンジンの最重要部に圧縮された何らかの魔力は普通のそれとは全く違っていた。
フロイドでさえ何となくしか感じることができないのだ、今回の依頼者も同じカレッジに通うそれなりの能力を持った生徒であるが、煽られて動揺していたにしたって、この違法改造に気付くことができなかった。コイツは本当に性質の悪い手の加え方をしている。
「あはぁ♡そろそろ遊ぼっかァ♡」
やることは決めてあった。
害悪ライダーの手口は似たり寄ったり、『後ろから物凄いスピードで接近し』『マシンに傷をつけ』『前へ出て再び煽る』というものだ。レパートリーがまるでない。
つまり、『さっさと追い抜かせてフロイドが後ろへ回る』、これだけ。
フロイドは、軽くブレーキをかけた。途端に向こうのマシンが揺れてタイヤが滑り、マシンの本体パーツが一部地面に擦れたのか、ギギと不穏な音を立てた。そのまま、バランスを崩して焦っているらしいライダーの後ろへ回ると、フロイドはあっという間に追いかける側となった。
それにしたってチョロ過ぎる。まさか、コイツ、煽られた方が煽り返す可能性を考えていなかったのか?
そうだとしたら……相当頭が悪い。
「……つまんね」
相手がただの馬鹿だと分かり、一気に興味を削がれたフロイドは、とりあえず相手をビビらせること、その最低限の仕事だけをして、あとはツーリングを楽しんで帰ろうと決めた。
フラついていたマシンが体勢を立て直し、今度はゆらゆらと左右に蛇行運転を始めた。スピードを上げたり落としたり、好き放題やっている。懲りない野郎だ。
フロイドは次の行動に出た。今まで多くのマシンを傷つけてきた、その代償を支払ってもらおう。
しかし、マシンを傷つけるのはいくら害悪ライダーのマシンでもあまりいい気はしないので、フロイドは違法改造されたエンジンをどうにかすることを考えた。
実はフロイド、自分のマシンをチューンしてもらう際、イグニハイド寮のマシンオタクくんに色々聞いていた。自分のマシンの情報はもちろん、構造、メンテナンスに至るまで、聞けるだけ聞いて、覚えられるだけ覚えて、何ならオタクくんととても仲良しになったのだ。
つまり何が言いたいか、フロイドは『マシンをバラす方法を知っている』ということ。
目の前をフラフラ走るマシンに向けて、フロイドは右手をかざした。グローブに、飾りのように埋め込んである紫色の魔法石がキラリと光る。
「はァい!解散!」
「なっ、何ッ……?!ヒイィイ!」
青い光と共に、黒く重い車体がいとも簡単に空中に持ち上がる。
落下したライダーはそのまま地面に叩きつけられ、操作をする人間を失ったマジカルホイールはあの爆音を忘れたように、ブゥン、というしょぼくれた音を最後に大人しくなった。
フロイドがマシンをスライドさせて停車する頃には、パーツは空中分解して、ふわふわと浮かんでいた。フロイドは長い足を振り上げてマシンから降りると、分解した部品をひとつずつ地面におろして並べ、その中にあったまだ熱いエンジンを「アズールのおみやげにしよ」と、防御魔法で梱包し、自分のマシンの後部に載せた。
そのほかに、車体に傷をつけていたと思われる武器らしきものを見つけたフロイドは、『マジカルホイールにあんな傷をつける素材はなかなか興味深い』というオタクくんの言葉を思い出し、ついでにそれも梱包した。
「う、ぅぅ……」
情けない声のする方へ目をやると、地面に無様に転がった害悪ライダーが、起き上がることもできずに呻いている。フロイドは面倒臭そうに男に近寄ると、ヘルメットを外して「だいじょ~ぶぅ?」と声をかけた。
「てめェッ……ぅわ、うあああッ!!!」
「はぁ?」
フロイドの顔を見るや否や、今まで痛みで苦しんでいた男は素早い動きで後ずさりし、脱兎の如く逃げ出した。
「……ハァ?!」
ひとりポツンと残されたフロイド。外したヘルメットから流れる曲はEDMからピアノへと変わっていた。
……まあ、警察、今回の場合だと魔法執行官が出てくる可能性もある。そうなると色々面倒だろうから、逃げ出すのも致し方ない。
フロイドは、逃げ出したライダーの後ろ姿と、散らばったままのパーツを写真に撮ると、早速アズールと依頼人に、その画像を送った。
そしてスマホをポケットにしまい込むと、ヘルメットをかぶり直し、おみやげを載せて少し重くなった相棒に跨って、夜の海辺を爽快な気分で走ったのだった。
「でかした!」
「えへへぇ♡」
朝、潮風をまとって帰ってきたフロイドをラウンジのVIPルームで待っていたアズールとジェイド、依頼人、そしてオタクくん。
アズールとオタクくんは、フロイドが持って帰ってきたおみやげに大喜びで、何やら興奮しながら話し始め、依頼人の生徒はフロイドに何度も頭を下げ、ありがとうございました、と喜んだ。
そんな彼らを横目に、ジェイドは「ふふ」とスマホの画面を見てニッコリ。兄弟が楽しそうに笑っているのが気になって、フロイドはヘルメットでぺちゃんこになった髪をわしわしとほぐしながら「何見てんのぉ」とスマホを覗き込んだ。
ジェイドが見ていたのはネットニュースだった。なんと見出しには『首なしライダーがご迷惑ライダーに制裁!』と書いてある。
「……どういうこと?」
「あなたが帰る数時間前に、害悪ライダーが自ら警察に出頭したんですよ」
「そーなの?」
「そこで、警察官に『首なしライダーに殺されかけた、助けてくれ』と言ったそうです」
「首なしぃ~?なんで?」
「フロイド、認識阻害魔法をかけていたのでは?」
「……あーかけた!」
「それですね」
認識阻害魔法。その名の通り認識を阻害する、つまり人物を特定されないようにするための魔法であるが、まさか、人間にはそれが、首がなくなって見えていたとは。「くだらねぇ~!」と笑いあっていると、アズールが「ちょっと」と口を挟んだ。
「それより、魔法執行官が出てくるとなると面倒です。そこらへんは上手くやったんですか?お前の魔法の痕跡は」
「あーホタルイカ先輩から借りたアレでどうにかなったんじゃない?」
「イデアさんから……ああ!それなら安心しました」
イデアから借りたアレ、とは魔法石を埋め込んだグローブのことだが、あれはブロットこそ多めに溜まるが、痕跡を残さず魔法を使えるというチートアイテムだ。
イデア・シュラウド、彼の能力には恐怖すら感じる。
……ということで魔法の痕跡を消し去ったらしい現場では、魔法執行官が出てきたところで、探りようがないはずだ。
フロイドが関わった事実を消したと同時に、肝心の違法改造の証拠であるエンジンを持って帰ってきてしまったことで、事件的には迷宮入りになるだろうが、こちらはこちらでアズールの手に渡ってしまった。このエンジンの生みの親は、きっとすぐに見つかる。
とにかく、フロイドは正義の首なしライダーとして活躍した、それで今回の仕事は終わりだ。
フロイドは大きな身体を目いっぱい伸ばしてあくびをすると、硬いライダースーツも脱がずにソファに転がった。
「フロイド商店、閉店しま~す……」
この度はモストロラウンジ、ポイントカードシステムのご利用ありがとうございました。
今後ともご贔屓に!