いちばん全弟子勢揃いの謎時空
「先生は格好良いのよねぇ」
「うんうん」
相変わらず席が隣同士の也宮がちょうど今しがた扉を出ていった師匠の後ろ姿を見送ってからそんなことを言う。
「背も高いし」「うんうん」
隣の一也の方が若干高い。
「筋骨隆々で逞しいし」「うんうん」
隣の一也の方が若干ムキってる。
「顔立ちも涼やかだし」「うんうん」
隣の一也の方が、……ちょっと暑苦しいか。
と、いうか。
宮坂に他の男が絡むと(それが例え譲介の様な絶対安全地帯だとしても)顔に影を乗せて不穏な空気を纏うのに、ただ一人、Kにだけは全然嫉妬をしない。
二人にとっては恩人だし、二人には『お父さん』枠のようなものだからか。
それとももう、もっと崇高な位置にいるからか。
「お前らはあの人の外見に拘るのか?」
そんなにこにこと笑い合う、でかいのと小さいのを胡乱に見て、同じ机で譲介がぶすくれる。
「そんなことはないよ?」
少し気分でも悪くしたように、一也が眉を寄せて譲介を軽く睨む。
それを宮坂がアラアラと微笑ましく見ている。
どちらかと言うと温厚で簡単には感情を顔に出さない一也が、唯一素直に不貞腐れたり愚痴ったりするのが譲介であることを知っているから、この程度の不機嫌はむしろ可愛く見えるのだ。
そんな一也を譲介は、ハン、と鼻で笑う。
「僕はあの人に、それこそ拾われて育てて貰った様なものだからな。……徹郎さんに棄てられて駆けつけてくれたのが、どれだけ救いになったか……」
いや、お前結局棄てられても捨てられても無いけどな、などとはここで一也くんも言わない。その頃の不安定だった譲介も知っているから。
今も時折菓子折りとか持って遊びに来ては、寛解したかどうかも微妙な体調なのにKをからかっては去っていく、元気ながんサバイバーをやっているけどね、あの人。
「え、でもそれいつの話っすか」
と突然、明るい声がお煎餅をボリボリ咀嚼しながらふざけた前髪の不良に問いかける。
出会った瞬間から譲介と何故か相性の悪い龍太郎だ。
この二人を見た宮坂さんは「キツネとたぬきみたいよね」なんて笑ってたけれど。
「あ"あ"?……高校卒業したくらいの頃だよ」
「そんなのもう一人暮らしとか出来る年齢じゃ無いですかー」
「ア"ア"ン???」
駄目だ、この二人だけで会話させてはキツネとたぬきの合戦が始まる。
「い、色々と事情があったんだよ。その頃は俺もこの診療所を出てたし」
「黒須くん、大学で上京してたもんね」
と也宮が也宮なりに口を出す。
一也が診療所を出たからこそ、譲介がここに入ったと言うのも事実でもあるし、一也が抜けた分を譲介がKの補佐していたというのも事実なのだ。
「お前ら……。留年した僕にそれ言うか?」
「あ、受験失敗したの?」
「失敗はしてない!!」
だめだ、キツネとたぬきは何があっても戦闘態勢である。
「ご、ごめん」と一也が謝るし、宮坂は「その時は、進学塾で集団感染がね……?」とわたわたしながら説明をする。
「でも!……僕としては先生や徹郎さんと同じ道に進んでも良いとは思ってたんだ」
どうでも良いけど一也的に譲介がTETSUを徹郎さんと呼ぶのがなんだかむず痒い。なんでだ?実際、本名は徹郎さんらしいけど、なんかむず痒い。
さん付けが悪いのか。
「ところが、先生は色々と手を回してくれて、僕のクエイドへの留学を支えてくれた」
かつて、磯永先生にシカゴへの留学も誘われていた一也にも、その誇らしさは判る。
一也は友人と師、それと亡き父と同じ学府で学ぶことを選んだし、それはそれとして誇りだけれど。
K先生に背中を押され、朝倉さんとの縁で海外へ渡り勉学の機会を得た事実は、譲介にとっても誇り高い事だろう。
「先生は僕に、生き方も行く末も示してくれたんだ」
そう言う譲介は穏やかに口許に笑みを浮かべて顔を上げた、……と思ったら。
「あんたみたいな親父に放り出されたボンボンとは、先生との関わりかたが違うんだよォ!!」
おっとぉ、ここでTETSUゆずりの悪い笑顔だぁ!
也宮は高校からこの子の不安定さというかイキり方は知ってるから良いけど、ボンボンはそれを知らない!!
「ソーデスネー」
そしてボンボンにはそれが効かない!!
「でも、今は俺の!俺の先生だから!俺だけの先生だから!!」
そして何故か対抗してくるボンボン!!
「いまここに研修医してるの、俺だけっすから!!イシさんのご飯食べて毎日先生のお側で勉強してんのは俺っすから!!」
「コノヤロウ……!!」
なんで?何の喧嘩?これ?
と一也が途方にくれようとしたその横に、この席に座る誰よりも負けん気の強い子がいることを失念していた。
「フフフ……、先生に可愛がられてるのはあんたたちだけじゃないのよ……!!」
えっ?なに?なに?と一也が横を見ると、唇を片方だけ歪ませて悪い顔で笑う宮坂がいる。
譲介の悪い笑顔に影響されたのか、そんな宮坂さんもちょっと可愛いなぁ、なんて一也が思っているのは誰も気付かない。気付けない。心底どうでも良い。
「私なんて!!この中で唯一!!先生の患者で!!一ヶ月以上も入院して診て貰ってここにいるのよ!!患者で!研修医なのは、この私だけ!!」
どうしてここでその負けん気を爆発させるのかな!!??
一也が驚いていると、正面に座る龍太郎も譲介も少しだけムムム、と言い噤む。
患者をやって、一ヶ月も診て貰えたのは確かに彼女しかいないのだ。
「ふふん、私の勝ちね」
だから、勝ち負けってなんだっけ??
でも宮坂が先生のお気に入りなのは一也も知っている。
縫合の腕や、聡明さ、負けずぎらいの勤勉な努力家。
そりゃあ、お気に入りにならないわけないじゃないか。
少なくとも自分なら宮坂さんが一番のお気に入りになる自信がある。
いや、でも、K先生に関してならば俺だって……!
「お、俺なんて小さい頃から先生に育てて貰ったし」
「いやお前は論外」
「黒須くんは後継ぎみたいなもんでしょ」
「えーっと、ご親戚です??」
勝負の土俵にすら上げさせて貰えなかった!!
そこへ先ほど席を立った先生が扉を開けて部屋に戻ってきた。
手には分厚いファイルが三つもあるが、軽々と片手でそれを抱えている。
部屋の中の妙な空気感に先生が訝しげに眉を寄せる、と。
「くくく……ふふふ、あはははは!」
と、みんなとは別の机で黙って座っていた富永が声を上げて笑い出した。
「……?何かあったのか?富永」
相変わらず無表情のままの先生は、その重いファイルをみんなの座る大きなテーブルの上にどさりと降ろし、部屋の年長者に振り返る。
「ふふふふ、みんながね、あんたの事が大好きだって言い合ってたんスよ」
「……?」
無表情のままの先生が小首を傾げてから、テーブルに座る四人へ視線を移す。
「でもって、誰が一番愛されてるのか、とも言い合ってましたね」
「俺そんな事言ってねぇっスよ!」
「僕はそんな事、言ってません!」
「私もそんな事言ってませんよ!」
「……同じようなことを言ってた感じはするけどね」
先生がみんなに慕われているのは一也も嬉しい。
富永も大層嬉しそうににこにこしているので彼も嬉しいんだろう。
それを受けた先生は、少しだけきょとんとした顔をしてから、フッ、といつもと同じ、判る人にしか判らない微かな柔らかい笑みを浮かべる。
「富永も知っているだろう?俺もこの子達を愛しているさ。皆、それぞれに」
「ええ、ええ、存じ上げてますよ」
先生が持ってきたファイルを開く。
富永はもともとこちらの部屋にあったカルテを持って、みんなの机に運んでくれる。
年長者二人が余裕のある笑みで微笑ましくするのを受けてか、さっきまで言い合っていた三人が顔を赤くしてう~とか、あ~とか唸っている。
同じ土俵に上げられなくてよかったのかもしれない。
一也だって先生を好きだし、先生からの愛情と言うか、保護と指針というか、様々なものを貰っていることが嬉しく、誇らしい。
でもそれをもって勝ち負けを競ったりするものでもない。
「龍太郎は育てがいがあるし、宮坂くんは聡明で貪欲だ。譲介も向上心が強く誰よりも優しい」
三人があわわあわわしているけれども、先生も、それの手伝いをしている富永も、淀みなく授業の準備をしている。
ほら、みんな先生にそれぞれ"一番"愛されてる
「一也は小さい頃から見ているから成長が眩しく誇らしいし、富永は……。…………まぁ、いいか」
「待ってェ!俺だけ止めるの止めて!」
まさか自分まで言われるとは思わなくて一也が目をぱちくりさせるけれども、そのあとの富永でオチがついてみんなで笑った。