なんでもない ガルシアさんって絶対に彼女持ちだと思うんです!!
飲み屋で酔った後輩の大声に、ファウストはうっかりグラスを落としそうになった。
それは繁忙期が終わり、プロジェクトの部長命令の飲み会でのこと。絶対来いよと同期に言われ、ファウストはしぶしぶ参加することになった。
お座敷の席は入り口に一番近い場所。向かい側のハキハキした後輩が注文から音頭まで全て取ってくれるため、同じく端に座るファウストに大した仕事はない。取り皿を出したり、食べ終わった諸々を端に寄せるぐらいだ。
隣は大人しめな先輩、向かい側にはよく話す先輩と後輩。ファウストは酒を飲みながらうんうんと頷いているだけでいい。奥にいる部長や悪酔いをする同期からは離れており、平和な日々を過ごしていた。
ちょうど、エビチリを食べているときだろうか。話題は同じ職場の人々のあれそれに変わる。
〇〇さんは月末韓国に行ったらしい。彼女と別れたってさ。〇〇くんは最近キャンプにハマっているんだって。結婚するらしいよ。
なぜこの場にいない人の話をするのだろうか。下世話な話が飛び交うようになり、ファウストは一層愛想笑いに精を出していた。
そんなとき、いい感じに出来上がってきた後輩が長い髪をかきあげながら彼女いる説を言い出したのだ。
後輩の隣の先輩も頷き、隣の物静かな先輩も軽く返事をしている。冷や汗をかきながらも、ファウストは周りに合わせて軽く相槌を打った。
皆から同意を得て気を良くしたのだろう。聞いてもいないのに、後輩はペラペラと理由を話し出す。
明らかに趣味じゃなさそうなものをときどき持っている。彼女いるか聞いても苦笑いしながらいないって答えてくる。爪が綺麗。残業はするけど飲み会への参加が減った。イケメンだから彼女がいない方がおかしい。
最後は理由のないこじつけにすら聞こえるが、どれも周りの人々はうんうんと頷いている。どうやら周知の事実だったらしく、ファウストは知ったかぶりをするのに必死だった。
酔いの勢いというのは恐ろしいものだ。そこからどんな女性なのかを当てようという話になり、どんどん話が進んでいく。
あれだけのモテ男を掴まれているなら絶世の美人ではないか。残業に文句を言わないなら仕事に理解があるはず、それなら相手もお金をちゃんと稼ぐキャリアウーマンだろう。弁当を持ってきているところを見たことがない、もしかして料理は外食派なのでは。
性格から見た目まで、大した想像力だ。考察して笑い出す人々に、ファウストは適当に話を合わせながらひたすらに酒を飲み続ける。
フィガロは部署の中でも大層目立つ。会社説明会でも見た目の良さからしょっちゅう呼び出され、黄色い声を浴びている。
仕事もできるため、会社というシステム上彼に業務が集中していく。時折愚痴は言うけれど、それは親しみを持たせるものであり人を不快にするようなことは言わない。
後輩にも優しく、困っていたら真っ先に手を差し伸べる。先輩からの仕事はどこか面倒くさがりながらもテキパキとこなしていく。
彼はきっといろんな感情の標的になっているのだろう。目立つのは大変そうだな、なんて。他人事のように思いながら、ファウストは息を吐いた。
酔っ払いの話題はコロコロ変わるものだ。エビチリがなくなり炒飯が運ばれてきたころには、彼らの話題は取引先の面白いSNSに移っていった。
「おまえの彼女はセンスがいまいちで強気でバリキャリで料理が下手で怖くて絶世の美人らしいぞ」
「え、なにそれ?」
二十二時、二次会前に抜け出してきたファウストは、酒と飲み屋独特のけむたい匂いを漂わせながら家に帰る。ラフな格好で家用のメガネをかけたフィガロに出迎えられながら、ファウストはため息を吐いた。
「……こっちの話」
「いやいや、俺の話だったよね? え、また変な噂?」
「おまえが隠している彼女の噂だ」
えぇ……、と明らかに嫌そうな顔をしながら、フィガロはため息を吐く。大らかに見えがちではあるが、この男は案外人並みに噂話などを気にするタイプなのだ。
「え、きみはなんて答えたの?」
「何も言ってない。巻き込まれたくないからな」
「えぇ……」
洗面所までわざわざ付いてきながら、フィガロは機嫌の悪そうな声を出す。
「彼女持ちじゃないですよって言わなかったの?」
「おまえのことはさっぱり分かりませんって反応しておいた」
かけられたタオルで手を拭きながら答えると、フィガロは不満げな声を出す。
「きみに会社で話しかけづらくなっちゃうじゃないか」
「用事もないのに話しかけてくるな。僕は雑談はしないタイプなんだ」
「真面目だよね、ほんと」
冷蔵庫の冷たい水をグラスに注ぎながら、ファウストはため息を吐く。
「まあ、愉快ではあったかもしれないな」
「うん、何が?」
ソファで足を組みぼんやりとこちらを見つめるフィガロに、ファウストはクスリと笑う。
「なんでもない」
なんだか、ひどく気分が良い。