拮抗していたかに見えた路地裏の勝負は、案外早い展開を見せた。
攻撃の意志が薄く防御に回っていた吸血鬼は、地面に膝をついて頽れた。
その足には片方だけ靴下がない。
「なかなかやるけど、足元がおろそかだったな」
人間・靴下コレクションことタビコの手に、奪い取った脱ぎたて靴下が握られている。
タビコは勝利宣言の代わりに戦利品を鼻に押し当て、思い切り吸い込んだ。
「ん~~~~~~~…ん?」
堪能していた表情に怪訝の色が混じる。
「おまえ、吸血鬼だよな?」
奇妙な問いを口にして見やれば、相手は半ば立ち上がっていた。
「おお?」
「…クツシタ…ヘンタイ…」
ぶつぶつつぶやいて、吸血鬼は残る靴下を自ら脱いだ。完全に立ち上がると、靴下を掌に載せまっすぐに差し出す。
「この身の何一つ、私のものではない。あなたがこれを必要とするならば、持っていきなさい」
発せられた声はしっかりしていた。異国の言葉で内容はタビコにはわからない。
靴下を差し出す手に揺るぎはなかった。
「クツシタ ドウゾ」
疑いようもなく示された意志に、タビコは一瞬目を細め
「出されたら普通にもらう」
と相手の手から素早く靴下を奪うと、ビルの壁を蹴り上げて跳び、夜空の狭間へ消えていった。
そこへドタバタと退治人たちがやってくる。通報を受けたのだろう。
「あの変態、またやりやがった!」
悔しそうな声をあげた退治人は、被害者の吸血鬼が裸足と気付くと、一転して気遣わし気な声になる。
「モジャさん、大丈夫ですか、気分悪いとかないですか」
靴下を差し出した吸血鬼、クラージィは、凛とした姿勢でタビコが消えた方向を見送っていたが、振り返ると満ち足りた表情で答えた。
「ダイジョウブ、ワタシ、ゲンキデス」
「タビコ、二度とあの男に手を出すな」
タビコの帰宅早々、キッチンにいたヴェントルーは口を出す。
買い出し帰りにヴェントルーはタビコとクラージィを見かけていた。
ディックがYから聞き込んできて、古き血の間ではノースディンの血族のことはみな知っていた。タビコがクラージィにちょっかい出したのがノースディンに知れたら、文句を言ってくるに決まっている。
「あいつはネチネチ言うんだ、鬱陶しくてかなわん」
「あの男ってどれだ?」
聞き流していたタビコが問うて、「両方靴下とったやつだ!モジャモジャの!」と返事をする。
思い至ったタビコの顔に薄く笑みが浮かんだ。手早く取り出したのはクラージィの靴下だ。一足まとめて匂いを吸い込む。ヴェントルーは顔を引き攣らせた。
何かを確信してタビコは上機嫌になった。
「似ている奴はまあまあいるが、こんな奴は初めてだ」
「どうした」
つい聞き返してしまったヴェントルーの傍にタビコはやってきて、握った靴下を鼻先に突き出す。
「血の匂いがまるでしない」
「なに?」
と思わず嗅ぎそうになり、ヴェントルーは慌てて留まる。その姿にタビコは軽く笑った。
「なかなか貴重な靴下だ。あの男を狙い続けたら、いつかは血の匂いがするようになるのかな」
「だから、あいつはダメだと言って…」
だがもうタビコは聞いていなかった。
靴下とともに隣の部屋へ消える。
勝手さに憤りと諦念と日常の平穏がないまぜになって、ヴェントルーは「まったく…」と口の中でもごもご文句を言う。
それはいつも通りのようで、
あいつ、あんなにうっとりしてる中で血の匂いを感じてるのか。
その事実に、ヴェントルーはぞくっとした。
さっさとあの男に飽きさせよう。
ノースディンに自分の身内をどうにかしろと言っておかねば。
顔を顰めたのは、予想されるネチネチのせいだ。
「食事はもうできるぞ、着替えたらとっとと来い」
予定は胸の内にしまっておいて、ヴェントルーは出来る限り尊大に、食卓への誘いを口にしたのだった。