ハートに包まれたミルクチョコ レスティングルームのドアを開けると、甘い匂いが外まで漂ってきた。今日はバレンタインの当日だ。チョコやクッキーや和菓子など、多種多様な甘い食べ物がこの場所で受け渡しされているから、匂いが溢れてきたのだ。室内にもこの日を盛り上げようと赤い飾りつけがされていて、そのためか、いつもより人が多く、活気づいている印象だ。
このビルには行事を楽しむ人間が多い。バレンタインデーも例外ではなかった。受け取ったものをここで開封して、そのまま胃に収めてしまうという光景もちらほら目にする。
斑もその例にもれず、会う人に片っ端からチョコレートを配っていた。駄菓子屋に売っていそうな、カラフルなアルミ箔に包まれた小さなハート型をしたチョコだ。それはすれ違う仲間に今からチョコを作りにいくのかと尋ねられるほど大量に、大きなボウルに山盛りになって入っていた。
お祭り男と称される斑らしく、出会った人に声をかけてはそのチョコの山を手掴みしてもらい、取れた数だけ渡すという、ゲーム感覚も備えていた。屋台のように楽しんでもらおうという発想だった。
夜になり、斑は半分ほどに減ったチョコの山を眺めながら、レスティングルームで人が来るのを待っていた。今年はもらえるだろうかと、思春期の男の子みたいに緊張している。それを隠すように、通りがかりの人にチョコはいらないかと声をかけてはどんどんと配った。そうしているうちに、やがて小柄な女の子が歩いてやってきた。
「三毛縞先輩、おつかれさまです」
「ハッピーバレンタインだなあ、あんずさん。君のことだから昨日は遅くまでお菓子の準備をしていたんじゃないかあ?」
やってきたのはあんずだった。多忙な身でありながら、行事にはしっかり参加する彼女の身を、斑は案じていた。
「昨日は、ラッピングが大変でした……チョコは一昨日までに作れていたんですが」
「あまり無理をするんじゃあない。とはいえ、楽しみを奪う真似もしたくない。ということであんずさん。まずは俺からチョコを渡そう。ほぉら、何個掴めるかなあ?」
何が、『ということで』なのかと疑問に思ったけれど、楽しんでくれているなら野暮なことは聞かないでおこうとあんずは思った。そしてあんずは、斑が用意したハートのチョコの山の中に手を入れた。
「1、2、3……全部で6個ですね。本当にこれ全部もらっていいんですか?」
掴んだチョコの数を数え、意外と多くとれたとあんずは喜んでいた。そのあんずの質問に斑は歯を見せて笑った。
「ああ! 受け取ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。それで、あの。私からも、あるんですけど、チョコレート……」
「うん? よく聞こえなかったなあ……悪いが、もう一度言ってくれないか」
「……絶対聞こえてましたよね」
あんずが指摘すると斑は頭をかきながら軽い調子で謝った。
「ごめん、ごめん」
「そんなんじゃ渡してあげませんからね。もう、せっかく上手にできたのあげようと思ったのに」
怒ったあんずのひとりごとのようなその言葉を、斑の耳はしっかりととらえていた。斑を思って用意してくれたという、その事実があまりに嬉しくて、聞き返すことなどできなかった。
そして斑は素直にチョコを受け取り、大事にすると大げさに言って、それからこう続けた。
「実は、あんずさんにはもうひとつ用意してあってなあ。後で……人が少なくなってから渡そうと思っていたんだが、今、渡しても、いいかなあ?」
声のトーンを落とした斑をあんずは見上げた。一体なんだろうか。みんなと違うものをもらうということ。その意味をすぐに理解できなかった。
「俺の特別な気持ちを込めてある。好きだよ、あんずさん」
そうして手に渡された小さな箱を見て、ようやく意味に気がついた。いわゆる、『本命チョコ』だ。
「おお、顔が真っ赤になったなあ」
「……っ! 茶化さないでください!」
わなわなと震えるあんずに斑はまた軽い調子で、
「ごめんごめん、君があまりにもかわいくて」
と言った。そんな調子だから、あんずはますまムキになった。
「三毛縞先輩こそ、だらけた顔してるくせに!」
斑は大きな声で笑ってごまかしたけれど、本当は、残ったチョコが全部溶けてしまいそうなほど照れて、耳まで熱かった。