I Wanna Be With You 押してダメなら引いてみろ、という言葉がある。それは一般的な駆け引きの方法で、一定の効果があり、ときに恋愛を語るうえで王道ともいえる手法だ。
もしかしたら、しつこい男は嫌われる、冷静になれ、と、暗に言われているのかもしれないけれど。
とはいえ一方からのみ攻めるのではなく、別の方法を考えてみるのは、存外悪いことではないように思う。
だから彼女の方から『後学のために』と『ESお化け屋敷』まで足を運んで来てくれたことに英智は喜びこそすれ驚きはしなかった。むしろこんな簡単な駆け引きに気づかないなんて大丈夫だろうか、と心配してしまうほどである。
だからこそ、これは彼女なりの罠なのかもしれないと英智は考え、警戒を怠らずにいた。意図的であるかはともかく、これまでも、そうして隙をつかれることがあったから。
「トリック・オア・トリート!」
背後からかけられた声には、邪気があった。低くて、刺々しい、まるでこの世に恨みのある、幽霊みたいに。
まるで物語のように想像をめぐらせながら英智が振り返ると、小柄な白いおばけが肩の高さに上げた両手をぶらつかせて、ハロウィンの言葉——お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ、を全身で表現していた。
その姿が微笑ましくて、英智は吹き出すのを堪えることができなかった。何せ、両手を上げすぎて脚が見えてしまっているのだから。
「ふふ、声をかけられたときはどんな怖い存在かと思ったけれど、ずいぶんかわいらしいおばけなんだね。はい、お菓子をあげよう」
「………」
お菓子を受け取るとぺこっとお辞儀をするので、やっぱりあまりおばけっぽくないなぁ、と英智は苦笑する。
それに、まるでタイミングを見計らっていたかのような登場の仕方で、実際、英智はスタッフとの確認を終えたばかりだった。そのように配慮に長けたおばけは、この世に多く存在しない。
「おや、もう行ってしまうのかい。正体がバレていることもわかっているだろうに。顔を見せてはくれないのかな、あんずちゃん」
「………」
おばけを模した白い布の中で、あんずは口を固く引き結んでいた。英智の顔が布越しでも間近にあることを気配で察していたからである。英智は儚げな天使のように見えて実はしっかりと身長が高い。後頭部しか見えないであろう位置に立ってあんずを見下ろしていて、あんずは見えないながら彼のことを睨むように見つめ返していた。
「ところでこの布、結婚式のヴェールみたいだね。もしこれを取ったら、おばけはどこにいくのかな?」
「ひゃっ!」
あんずに向かって英智が手を差し伸べた瞬間、ふいに足元から冷気が這い寄ってくるのを感じてあんずは思わず後ずさった。これには英智も驚きを隠せず、素直にあんずの身を心配する。
「だ、大丈夫かい?」
「すみません、急に寒気が」
その拍子に、あんずの姿が露わになった。
白い布は暗い部屋でふわりと浮かび上がると、重力に従って再び彼女を覆い隠した。
垣間見た彼女の表情に、英智は自分が思い違いをしていたことに気づく。あんずの人情とプライドが合わさって生まれた存在は、彼女自身の心を隠すものだ。
「うん。こちらこそごめんね。おばけ役はお菓子を持っていないと聞いたから、悪戯をしてみたんだ。あ、でも肝心な台詞を言ってなかった。順番が反対になるけれど改めて。トリック・オア・トリート!」
「……もう悪戯しませんか?」
それはもっと悪戯してほしいと求めるような言葉だよ、と指摘したい気持ちを堪えながら、単なる質問であることを理解して英智は微笑み、あんずを激励した。
「うん。君の顔も見れたし。おばけ役をしっかり。頼んだよ」
「任せてください」
握り拳を作って意気込むあんずに、英智は満足げに頷いた。鼻息も荒く、どうやら、やる気を引き出すことができたようだ。
彼女の手を煩わせるようなことにはならないと言ったあの時の態度は、我ながらつれないものだと思っていたけれど、今回はそれが功を奏した形だ。白い布の中に隠しきれない思い。悔しさや寂しさは、燃料となる。
特異点である彼女を恣意的に動かすのには骨が折れる。けれどさらに一番厄介なのが、自分自身の心だと、燻る情熱に英智は頭を悩ませながら、自分の持ち場へと向かって行った。