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    hatori2020

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    A国とK国の歴史の5節より抜粋。

    冷え切った夫婦長い戦争があった。
    民草は餓え、腐敗しきった貴族は膿んでいた。なまじどちらも力のある大国故に戦争は長引き、両国共倒れという寸前で、講和条約が締結された。
    そこには王孫と王姪の結婚も条項に加えられていた。
    王の孫と姪というあたりから、両国の王族の権力は皆無であった。A国の王孫は王位継承権が最下位であったが、諸侯の後押しで一位に繰り上げられた。傀儡にするつもりだったのだ。
    A国王孫、我妻善逸とK国王姪、竈門禰豆子の結婚は行われた。
    いわゆる政略結婚である。
    この結婚により、A国とK国は長らく平和の時代を謳歌することになるが、両者の仲は冷え切っていたという。
    結婚はしてやるが愛はない、との有名な格言をご存じだろうか。それは我妻善逸が結婚式で言い放ったセリフだというのはあまり知られていないことだろう。しかし、このセリフは竈門禰豆子には届かなかったのだ。実は竈門禰豆子は結婚式をボイコットしていた。結婚式に新婦が欠席するとは前代未聞のはなしだ。のちの研究で、ふたりは多重婚だったという文献が発見された。ふたりの結婚式の前夜に、王宮の離れで婚姻届が受理されていた。奇妙なことに、新郎と新婦の名前が我妻善逸と竈門禰豆子だったというのだ。残念なことに、結婚受理証明書は紛争のさなか消失してしまって真偽の程は定かではない。
    二人が結婚して二年後の秋、我妻善逸はA国の王になる。だが、竈門禰豆子は王妃と呼ばれることはなかった。公の場で我妻善逸が竈門禰豆子を王妃と呼ぶことがなかった故にだ。A国の宮廷も同じように竈門禰豆子を王妃として扱わず、彼女は三度しか宮廷に顔を出していない。違う側面から見ると、禰豆子妃はK国の恨みが渦巻く宮廷に行かなくても良かったわけだ。

    両国がゆっくりと歩み寄りなかで、ふたりの関係は冷めたものだった。両国が疑心暗鬼のなか、ふたりの仲は良好出会った場合、それは世情の反発となってしまうかもしれなかったので、ふたりが険悪だったのは幸いだったのだろう。
    ふたりには愛人がいたという。我妻善逸は、風光明媚な避暑地として名高いフジ─ノハ─ナ地方に別邸を建築した。かの有名な、『鬼狩りと鬼の少女』のモデルとなった藤の花の家だ。そこに隔週末、愛人を招いて過ごしていた。(愛人に送ったとされる書簡は現存している)しかし、手紙の相手はすべて名前を伏せられていた。
    皮肉なことに竈門禰豆子も同地方に隔週末、出掛けていた。竈門禰豆子の女官が残した日記で明らかになっているが、逢う相手や場所などは全て伏せられていた。
    ふたりの愛人が伏せられていることから、色々な憶測を立てられたがどれも分からずじまいだった。とある地方の貧乏貴族が偶然、別邸の赴く我妻善逸に出会って、誰と会うのですかと聞いたところ、俺の奥さんだよと言ったというエピソードがあるが、このエピソードから我妻善逸と竈門禰豆子は冷え切った仮面夫婦を演じていたのではないかと言われるゆえんになったのだ。
    事実、後年の研究で冷え切った仮面夫婦だったという説は濃厚になっているが、決定的な証拠が出てこない限り、ふたりのロマンスはロマンスのまま歴史書に収められることになる。
    ひとつ、付け加えるならば冷え切った夫婦だといわれている我妻善逸と竈門禰豆子は10人の子をもうけており、子煩悩な夫婦としても有名であった矛盾を書き加えておきたい。

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