AがAである限り
「……手を、」
「手がどうした」
繋いでもいいでしょうかと伸ばしかけた手を引っ込めて口ごもるA。スーパーで買い物中の高校男子が手を繋ぐ状況とは何だろうか。人目もあるし普通に遠慮したい提案だ。
縋るようなAの目線を無視した俺の頭上でスピーカーが特売品を勧めている。偶にはうなぎの蒲焼きもいいな、と考えが逃避に走るくらいは気もそぞろにスーパー内を歩き回る。頼むから残念そうな顔を見せるな。
こういう時、いい年をした兄弟でも手を繋ぐものだろうか。一人っ子同然に育った分、兄弟らしさには疎い。Aの求める兄弟論と自分の経験則の食い違いにぶつかって頭を悩ませる度、問いはそれでいいのかと内なる声が聞こえてくる。
いいか悪いかで答えるなら悪いのだろう。悩むのは兄弟の在り方ではなくて、怪談に取り憑かれた己自身。
話に出て来たAは寂しがり屋で、恐ろしい存在としてそれぞれの語り手にトラウマを植え付けていた。接点がなかったのは自分だけだ。だから、あの場で新たなAを語ったのは必然だったのではないか、唯一囚われてなかった俺にあてがうために。そんな考えが浮かぶようになった最近、ますますAとの距離を計りかねている。
「あれ、うなぎ見てるんですか? 美味しそうですね」
「食べたいのか」
「いえ、兄さんが食べたいなら夕飯にどうかなって」
「そうだな。偶にはいいだろう」
じゃあこれを、と並んだうなぎに伸ばした手を人間じゃないと誰が知るだろう。肩を並べて立つ小柄な姿を誰が化物だと思う? 端からは控えめに微笑む少年でしかない。知っているのは自分だけだ。その上で兄弟として接する意味はあるのか決められるのも自分だけ。
お前と兄弟にはなれないと今更突っぱねた所で何か変わるのか、この兄弟ごっこにケリを付けたらAはどこに還るのか。
すっかり大人しくなった今のAではきっとどこへも行けない。かと言って俺を巻き添えにも出来ず、寂しい自分を隠して静かに身を引く。そんな結果は寝覚めが悪い、と困る程度には絆された後なわけで。
「お前一人で持つ気か、貸してみろ」
「ありがとうございます。これ、お願いしま……兄さん?」
片手に袋を抱え、空いた右手で袋を提げたAの手を取って歩き出す。見なくても隣に並んだAの戸惑いが伝わってくる。
「あの、俺一人でも」
「……荷物を持った方が誤魔化しが利くだろう」
「あ、はい。二人で持った方が軽いですよね」
気を利かしたつもりが弟に気を遣われている。周りからの視線も痛いし、二重に恥ずかしい目に遭うわで散々だ。
握った手はあの雪の放課後のように冷たく、やはり彼は「A」なのだと知らせてくる。しかし恐ろしさを微塵も感じないのはどういうことだ。
分かっている、俺の弟だからだ。こんなに近くにいたのにやっと気付いた。
「もう放しちゃうんですか、残念です」
「充分だろう」
手を放した所で離れ離れにはならないのだから。
どれだけ時間が経っても、彼に“にいさん”と呼ばれた雪の日の、あの震えるような感覚を忘れることはないだろう。
AがAである限りは。
2016.2