② 午前中。一段落できるところまでで仕事に区切りをつけ落ち着ける。昼食にヤスが作ってきた弁当を一緒に食べてしばらく、スマホのバイブ音が鳴った。鳴ったのはヤスのスマホで、画面を確認した彼はぐっと顔をしかめて重いため息を吐いた。
「どうかしたのか?……です」
「いや、ちょっと今から別件の仕事が入った」
「そうなのか。俺は構わないから行ってくるといい……です」
「いやまあ、行くんだけどよ……」
煮えきらない返答に何か都合の悪いことがあるのかと思う。確かに今日の夜、情報屋との証拠の取引があるが、取引の場所は贔屓にしているバーだ。ヤスはまだ未成年だからそこには連れていけないと伝えている。夜が一番狙われやすいのに護衛の意味がない、と言われたが夜に未成年を連れ歩くわけにも、連れて行って店に迷惑をかけるわけにもいかないと言い聞かせた。納得していない顔だったがこればかりは仕方がない。
それはともかく、今はヤスの様子だ。うんうん悩んでいる様子に、難しそうな仕事であれば少し上に口添えをしようかと提案してみるか。
「ヤ」
「ヤスーーー!!!!!」
けたたましい声と共に乱暴にドアが開く。驚いてドアの方を見ると、ヤスと年が変わらない程の少年がその勢いのまま部屋に入ってきた。
「今からジョウと仕事行くんだろ!?留守はまかせろ!このハッチン様がいるんだからオオブネに乗ったつもりで」
「うっっっぜぇ!!!」
「ファッ!?なにすんだよヤス!!あぶねぇじゃねぇか!!」
ハッチンと名乗った少年はニッと笑いながら、一直線にソファーに座るヤスの元へ向かい隣に座って肩を組む。ヤスは組まれた肩を跳ね除け裏拳を繰り出すが紙一重で避けられていた。
ぎゃぁぎゃあと騒ぐハッチンに対して強い口調で言い返すヤスの姿はこれまで見たことはなく、彼の年相応で新鮮な姿に少し驚く。
「何でお前なんだよ!他に適任いただろ!!」
「ファー!?ンなこと言うか!?ちゃーんと適任だっつーの!!お前がリカオは意外と甘いもの好きだって言ってたからハチミツシュークリームのサシイレも持ってきたんだぜ!!!追いハチミツ付きで!!!」
「バッ…!!」
それは最近噂になっている並ばなくては買えないハチミツシュークリーム…!生地にハチミツが練り込まれていて手に取った瞬間ハチミツの甘い香りに包まれ、かぶりつけばとろっとした甘さ控えめのクリームが口の中に流れ出し、至福のひとときが得られるというあの!!……ではなく!!
ハッチンは今何と言った?お前がリカオは意外と甘いものが好きだと言っていたから?俺は確かに甘いものが好きだがそれを公言したことはなく、むしろこんな成人男性が甘いものを好きだなんて恥ずかしくて言えずに隠しているほどなのだが。
そういえばヤスはいつもコーヒーを持ってくるときには甘めのやつ、と言っていたし休憩の茶菓子も甘いもの、弁当の卵焼きも甘めの味付けで。
いつからバレていた。
羞恥で顔が赤くなるのがわかる。別にやましいことではないのだが、いい年した成人男性が甘いもので喜んでいるなどと知られるのはやはり恥ずかしい。それに上司として威厳もなにもない。
せめて噂が広がらないように口止めをしておかなければと、未だぎゃぁぎゃあと騒ぎ続けるふたりに目を向ける。
「ヤス、ハッチン」
「「…………ハイ」」
「このことは他言無用で頼む……です」
「ッス……」
「ファイ……」
少し顔を青くしていたのが気になるが、素直なのはいいことだ。
ーーーーーー
ヤスはそのまま別の仕事へ行き、部屋にはハッチンが残った。ヤスがいない間の護衛兼部下としての仕事は、ハッチンが引き継いだらしい。今は簡単な聞き込み調査の仕分け作業を手伝ってもらっている。
ペラリペラリと眠そうな顔で紙をめくり、時折欠伸をしながら、かと思えばそわそわと落ち着きがない様子をで辺りを見回す。その様子を見れば、彼があまり書類仕事に向いていないことがわかる。
ヤスが呼ばれたということは、現場で何かしらの荒事があるのだろう。ハッチンもこうして屋内の仕事を行うよりは現場での仕事の方が向いていると思うのだが、ハッチンには任せられずヤスに回す何らかの意味があったのだろう。
「ファ〜、こんな文字ばっか見てると眠くなっちまう……」
「少し休憩にするか?…です」
普段なら促されなければ自ら休憩に入ることはないのだが。仕事を再開して2時間が経過し、ハッチンの集中力が切れたのを見かねてそう声を掛けた。
「おっ!じゃあオレの持ってきたハチミツシュークリーム食べようぜ!」
「書類は汚れないようにひとまとめにして隅に避けておけ……です」
わかった!と元気よく返事をしてザッと書類を避けたハッチンに、どこまで確認したかわからなくならないだろうかと少し心配になる。そんな心配されているとは思っていないであろう彼は、いそいそと冷蔵庫に向かって行った。
さて、俺は茶を淹れるかと腰を上げる。いつもはヤスが淹れてくれていたが、今日はいないので自分で淹れなければならない。コーヒーメーカーで作るほどの時間はかけれないので自分用のコーヒーはインスタントで、彼の分は……ハチミツが好物のようだから、ちょうどハチミツフレーバーのティーパックがあるからそれにしよう。
手早くコーヒーとハチミツティーを作り、机に持っていく。机の上にはきちんと皿に乗せられた噂のハチミツシュークリームが鎮座していた。そわ、と尻尾が揺れそうになるのを抑えてゆっくりと零さないようにふたつのカップを置く。
「これ、ハチミツの紅茶か!ファ〜いい香り…ありがとな!」
「こちらこそ、シュークリームの差し入れ感謝する……です」
いただきます、とふたりで手を合わせシュークリームにかぶりつく。噂通り、生地からの心地よいハチミツの香りと中のとろっとした甘さ控えめなクリームが絶妙な味わいで自然と頬が緩んだ。シュークリームは4つ、ふたりで2つずつだ。1つをぺろりと平らげたら、コーヒーで一度口直しをして2つ目へと手を伸ばす。
「あっ、リカオ待った!2つ目を食べるときはコレを使ったらいいぜ!」
そう言ってハッチンが取り出したのはハチミツだ。そういえば来たときに追いハチミツがどうとか言っていた気がする。
「このハチミツを、クリームを入れた穴から更に入れて食べるんだよ、クリームとハチミツが混ざって更に美味しくなるから!」
「ほう、やってみよう……です」
少しはしたない気もするが、美味しくなると言われたらやってみたくなるものだ。シュークリームの中にハチミツを入れ、かぶりつく。
ハチミツのほどよい酸味とフルーティーな味わいが追加され、口の中でとろける。そのまま食べても美味いが、こうして手を加えても美味くいくつでも食べれそうだ。
「今までスイーツそのものに手を加えようとは思わなかったが、これは美味いな……です」
「な?な?美味いだろ!!これはリンゴのハチミツだからちょっとフルーツっぽさが味わえるんだけど、アカシアとかラベンダーのハチミツも香りと味が変わってオススメだぜ!!」
「ハチミツにも種類があるとは聞いていたが、種類によって味わいが違うのか。興味深いな……です」
そう言うとハッチンは目をキラキラさせてハチミツについて語りだした。どこの店のハチミツ料理が美味い、品揃えと質の良い専門店、スイーツへのアレンジの仕方など。専門店やスイーツへのアレンジは素人の俺がするより専門に任せようと、贔屓のバーの店主のためにメモを取っておいた。
時計を見れば予定より少し休憩時間が押していたのかわかり、そろそろ休憩も終わろうと話を中断する。
「ファ〜また文字とにらめっこしなきゃなんねーのか……オレだって今日の仕事ちゃんとできるってのに」
「……差支えなければ教えてほしいんだが、今日の仕事は何故ヤスと代わったんだ?……です」
「センニューソウサだって、オレには向いてねーって言われたんだよ!」
なるほど。賢明な判断だ。