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    しきしま

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    しきしま

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    藤征一×鞍上卓弥

    ##小説

    こんなときに限って木曜日だった。
     スペアキーを使って入った藤さんの家で、勝手に作ったホットミルクを飲みながら、スマホアプリのラジオで耳慣れたパーソナリティの声を聴いていると切なかった。
    木曜日のパーソナリティは藤征一。ラジオは生放送で、終わるのは深夜2時。
    藤さんが帰ってくる頃には、おれはぐっすりと眠っているだろう。ラジオだって、最後まで聴けるかわからない。おれはだいぶ眠気に弱いほうだ。
    ラジオの向こう側の藤さんは、今週から始まったドラマの撮影の裏話に夢中だった。ドラマは学園ミステリーで、藤さんは教師役。主役である高校生を務めるのは、小山内奏佑という新人俳優だ。歳は俺より一つ上の二十歳。綺麗な顔立ちで、真面目で礼儀正しく、演技力の評価も高い。今最も注目を集めている俳優といっても過言ではない。そして藤さんは、そんな小山内奏佑にお熱のようなのだ。

    「奏佑くん、ほんとう、もう、すっごい可愛い。藤さん藤さーんってペタペタついてくるのがペンギンの赤ちゃんみたいで……、伝わる?これ、伝わるかなあ」

     スタジオからは苦笑いが聞こえる。SNSを覗くと、小山内さんのファンらしき人たちの喜びや感謝の呟きが流れていた。ドラマの番宣で共演したバラエティで、藤征一がどれだけ小山内奏佑と絡んだかということをまとめている人もいた。楽しそうなそれらを、おれはぼんやりとガラス一枚隔てた向こう側のように見つめていた。

     おれのことも、可愛いと言ってほしい。
    もっといえば、誰よりも可愛いと言われたい。

    でも、こんなふうにヤキモチを焼いている自分は子供っぽくて重たくて、なんだか嫌だった。藤さんに会うまでのおれは、もっと飄々と生きていた気がする。少なくとも、誰かの温もりを求めて切なくなるような夜は、迎えたことがなかった。

    「僕ねえ、『ビターレモン』、公開初日に見に行ったんですよ。いやー、良かったね。ほんとうに奏佑くんの演技は素晴らしいなあと思ったし、かっこよかったよ。皆さんも見てくださいね」

    自分の出演していない映画をラジオで宣伝する藤さんは少し可愛かった。
     『ビターレモン』は、小山内さんが主演の恋愛映画だ。おれも見に行った。小山内さんのことを、すごいとも思った。もしも小山内さんが凡庸で不真面目な人だったら、もう少しちゃんとヤキモチを焼けていたかもしれない。完璧な人に嫉妬するなんてみじめだ。おれの人生に、みじめなんて言葉はいらないはずなのに。

    ***

    目を覚ますと朝になっていた。
    部屋の窓から見える朝の街も、漂う甘い朝食の匂いも慣れたものだ。昨日まで着ていた服が心地悪いままキッチンへ向かう。藤さんは、エプロン姿でフレンチトーストを作っていた。

    「おはよう、よく眠れた?」
    「はい、めちゃくちゃぐっすりでした」
    「それなら良かった。びっくりしたよ、家帰ったら明かりはついてるし、人の話し声が聞こえるし。ラジオ聴いてたんだね」

     おれが寝落ちした後も、ラジオが流れ続けていたのだろう。

    「勝手にお邪魔してごめんなさい」
    「いいよ、来てくれて嬉しいよ。もうすぐご飯できるから、座って待ってて」

     夜まで働いていたのに、勝手に入って勝手に眠ったおれのために朝食を作ってくれて、その上座っていていいと言って、これは、優しさや寛容さだけでは片づけられないような気がする。子供だと思ってこんなに甘やかしてくれているのかもしれないが、これではそのうち堕落しそうだ。
     おとなしく座って待っていると、藤さんはホットミルクとフレンチトーストを持ってきてくれた。フレンチトーストには、星屑のように白い砂糖がまぶしてある。甘ったるい朝だった。

    「うまいうちに食いなよ」
    「はい」

     フレンチトーストを口に入れてみる。柔らかい甘さに、舌が蕩けそうになる。嫌いじゃない感覚だ。

    「おいしいです」
    「それは良かった」

     このフレンチトーストを、他の人に作る朝も、藤さんにはあるのかもしれないと思う。
    それこそ、小山内さんと朝を迎えていたらどうしよう。重たいと思われるのは分かっているけれど、どうしても気になった。むず痒い心臓を、ホットミルクで抑える。

    「ふ、藤さんって……」
    「ん、どうしたの」
    「……小山内さんが、好きなんですね」
    「奏佑?ああ、仲いいよ。俺のラジオ聴いてくれてたんだ、ありがとう」

     こんなことは言わないが、ラジオは毎週聴いている。寝落ちばっかりしているから、たいてい後半はタイムシフトだ。

    「あの……、小山内さんとも、おれとするみたいなこと、してるんですか?」

     藤さんは口をぽかん、と開けた。
     確かに、おれと藤さんは色々なことをしていた。演技の稽古をしたり、ご飯を食べたり、映画を見たり、キスをしたり、セックスをしたり。そのどれを指しているのか、分からないのも無理はない。
     何をしていれば嫉妬してしまうんだろう。それとも、向けている気持ちの問題なのだろうか。自分のことなのに分からない。

    「卓弥くんさぁ、もしかして」
    「は、はい」
    「嫉妬してる?」

     清々しいほどに図星だった。おれは慌てて、コップで顔を隠した。

    「そんなつもりじゃ……」
    「そうなの?ちょっと嬉しかったけどなあ、俺」

     コーヒーを啜りながら藤さんが笑う。

    「嬉しい?」
    「だって、嫉妬するくらい俺のこと好きなんでしょ?」

     自信のこもった声だった。それが何となく悔しくて、でも、嬉しくもあった。
     藤さんは余裕のある大人で、おれのつまらない嫉妬だって丸ごと呑み込んでしまえるのだ。

    「奏佑とはそんな関係じゃないから、安心していいよ」
    「でも、ラジオで、あんなに可愛いって」
    「そういうことは、言って欲しくない?」

     そういうわけでは、なかった。あのラジオで求められているのは、ああやって熱を込めて俳優を紹介する藤征一なのだし、そうでなくても、仕事の領域にまで踏み込んで束縛したくなかった。

    「そうじゃなくて……」

     そう言って出てきた言葉は、幼稚でくだらない欲望だった。

    「おれのことも、もっと可愛いって言って欲しい」
    「あはは、可愛いなあ」
    「わ、笑うとこじゃないです」
    「だって、可愛いんだもん」

     藤さんは可笑しそうに笑ったあと、

    「ラジオでは言えないよ。マジだから」

     と、囁くように言った。

    「マジ?」
    「マジで関係持っちゃってるんだよ、分かる人には分かっちゃうよ。それに、俺だって、卓弥を褒めるってなったら何口走るか分かんないしさ」

     ベッドでならいくらでも可愛いって言ってあげるよ、と、藤さんは付け足した。また少し恥ずかしくなって、おれは再びコップで顔を隠した。それでも藤さんは言葉を続けた。

    「ダメだって分かってるのに手を出しちゃうくらい卓弥のこと可愛いと思ってるよ。こんなこと、他の誰にも言えないよ」

     藤さんはおれの髪を撫ぜ、コーヒーの残り香を乗せた唇で、軽いキスをしてくれた。

    「じゃ、じゃあ、他に、おれにするみたいなことしてる人はいないんですか?」
    「いないよ。あのペルセウスの鞍上卓弥を囲ってて、他の子に手を出す男がどこにいるのさ」

     おどけたニュアンスだったが、声は真剣だった。
     こんなに愛されているのに、嫉妬するなんて申し訳ない、とも思う。けれどわがままな俺は、またこんな幼稚な嫉妬をしてしまうのかもしれない。

    「たっくん、今日のお仕事は?」
    「バラエティの収録が二本あります。夜には終わると思います」
    「ほんとう?じゃあ、今晩いいかな。俺、今日は完全にオフだから」

     おれのために夜を使ってくれる藤さんを、好きだと思った。

     おれは図々しいしわがままで生意気だし、おまけに藤さんよりも体が大きくて、ペンギンの赤ちゃんには全く似ていない。
    小山内奏佑には、逆立ちしてもなれない。でも、なるつもりはなかった。わがままで生意気なまま、誰よりも藤征一に愛されたい。こんな図々しい自分が、なんだかとても愛おしかった。

     今晩は、誰よりも可愛い、を藤さんの口から引き出せるかもしれない。
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