旅する日 夜の山の闇に、爆ぜた薪の火の粉が赤く瞬いた。
焚き火で炙ったマシュマロを湯気の立つココアのカップに落とし、エドワードはアウトドアチェアの上で毛布にくるまった子供へとカップの持ち手を向けて差し出した。
「気を付けてな。熱いから、ゆっくり飲むんだぞ」
「ありがとう、いただきます」
毛布から伸びた手がカップを受け取り、ふうふうと甘い香りの湯気を吹く。吹いても吹いても立ち上る湯気の中、我慢しきれずにカップに口をつけた子供の翠の瞳が、みるみるうちに見開かれた。
「いつもと違う味がする……!」
「水も火も違うからな。美味いか?」
「うん!」
目を輝かせたルークが、温かなカップを大切なもののようにぎゅっと両手で包んだ。しんと冷え込む空気でかじかんだ頬が徐々に緩み、唇についたマシュマロの泡まで美味しそうに舐めとる息子に、エドワードの口元が和らぐ。
「お前のそんな顔を見たら、連れてきて良かったなって改めて思ったよ。夏って言ってたのに、寒い時期になっちまってすまなかったな」
「ううん。父さんと一緒にキャンプに行けるかもって話だけで、僕はすっごく嬉しかったんだ。忙しかったのに、本当に来られるなんて……ありがとう、父さん」
ルークは本当に嬉しそうな表情で、夜空を見上げた。青い闇には焚き火に淡く照らされた森の木々の枝が黒く細い輪郭を描いていたが、開けた空には無数の星が輝いている。ダイヤモンドを粉々に砕いて散りばめたようなこんな秋の終わりの星空を、エリントンの街中では一度も見たことがない。
「こんなに星がいっぱいの空も、初めて見たし……それに今日、父さんに色んなことを教えてもらったのも楽しかった。食べられる実の見分け方とか、火のおこし方とか、星座の見つけ方とか。国によって、星座の見え方が違うとか……父さん、本当に色んなことを知ってるよね」
「お、ためになったか? 独り身でもう少し若かった頃はな、外国も旅してたんだ。捜査にも、その時の経験が生きているかも知れないな」
「初めて聞いた。外国の旅行とか、全然想像つかないや。楽しかった?」
「ああ。色んなことがあったよ」
火から下ろして少し冷ましてあった湯を、エドワードはコーヒードリッパーに注いだ。紙のフィルターから、蒸された粉が夜の森の澄んだ空気に香ばしく漂う。
「この国と同じで、世界にはいいやつばかりじゃないからな。ちょっとばかりおっかない目にも遭ったりした。だが、そのおかげで今の俺がいるとも言えるな。そういう奴らがどうしてそういうことをするのか、考えるきっかけになった」
エドワードはチタン製のケトルを手にすると、湯がカップに落ちきったドリッパーの粉に再び傾けた。ルークがココアを飲む手も止め、辛そうな顔で沈黙したままなのに気づいて、エドワードは不安を吹き飛ばすように笑ってみせる。
「おいおい、心配すんなって。無事だから、俺は今ここにいるんだ」
「そうだね……そうだよね」
ルークはようやくほっとした顔で、ココアに口をつけた。温かな甘さが緊張を溶かしたのを見届けてから、エドワードは淹れたてのコーヒーのカップを手に取った。
「刑事になってからは旅行なんてほとんど出来なくなったが、ルーク、今はお前がいるからな。お前にも、色んな風景を見せてやりたいって思うよ。好奇心旺盛なお前なら、きっとさっきみたいに目を輝かせて、たくさんのことを感じるんだろうな。感想を言うのも上手いから、思ったことを俺に教えてくれよ」
「その時は、父さんと一緒に見たい。今日みたいに、色んな景色をまた一緒に見たいよ。……父さんは忙しいから、無理は言えないけど……」
「お前とふたりでヒーローになる頃には、悪いやつをたくさん捕まえて、刑事の仕事も少しは落ち着いてるかもな。それまでは、暇が出来たらまたこうやってキャンプに来よう」
「ほんと!」
「もちろんだとも。そのうちお前が大きくなったら、ふたりで外国にでも行ってみような」
熱いコーヒーを口にして、エドワードは人心地付いたようなため息を漏らした。夜より黒の濃いカップの湯気をゆっくりと吹いて散らし、また一口含む。舌が麻痺しそうなほどの温かさを感じながら、エドワードは穏やかな晩秋の山を越えて海の向こうまで続く星空を見上げた。