きっといつでも迷ってる 国家警察のエントランスは、いつでも相談を待つ人々でざわついている。真冬で暖房が効いているのも手伝い、混雑でより蒸し暑くなっている。
この混雑こそが、国家警察が市井の人々に頼られ、信頼されている証だった。部下から混雑緩和の要望や改善案も上がってきていたが、そんなことは刑事部が時間を割くような話ではない、警務にでも任せておけばいいとデニス警視にも一蹴されていた。
年齢も性別もさまざまな人だかりの中、ジェイスンはふと子どもの声を聞いた。対応するつもりはなかったが、聞きつけた反応を市民に見咎められていたら厄介だった。
か細い泣き声の在処に視線を巡らせ、辿り着いたその先で眉を顰める。グレーのコートを羽織った若い警察官が、幼い少年の前に膝をついて笑顔を向けていた。
またか。
辟易としながら、ジェイスンはコートの後ろ姿に黙って近づいた。
「きみ、ひとりで来たのかな? 誰かと、ここまで一緒だったのかな」
子どもに目線を合わせ、ゆっくりと話しかけている。ひとつずつ家族の情報を引き出す手際はスムーズで、同時に思いやりと優しさに溢れている。子供への対応手順は警察学校でも習うが、十分及第点と言えた。
だが、減点だ。ジェイスンは目を細める。どうやら彼は、この混雑で家族とはぐれたらしい子どもの面倒を最後まで自分で見る気らしかった。無視して立ち去ろうかと思ったが、ため息をひとつついて踵を返す。ジェイスンは警察官のそばにわざとつかつかと靴音を立てて歩み寄った。
「ルーク・ウィリアムズ!」
「! は、はい!」
気づいて振り向く前に一喝する。コートの背中がびくりと震え、振り返った先で上司の顔を見つけた翠の瞳がにわかに緊張を帯びた。
「迷子かね。何故、職員に引き渡さない?」
「それは……」
言いよどんだのはほんの一瞬で、ルークは意を決したように続けた。
「窓口の方たちの手が空いていないので、自分が対応すべきと思いました」
「彼らはそれが仕事だ」
「もちろん、判っております。しかし電話もひっきりなしで、各課への取り次ぎも間に合っておらず、窓口の順番待ちの番号も増える一方で……」
「それは受付が無能なだけだ。受付のアシスタントをするのがお前の仕事か?」
「……い、え……」
正論を認めたくないのだろう、ルークが言い淀んだ。ちょうど通りかかった案内係に子どもを預け、ジェイスンは上階の刑事部オフィスへ戻る。まだ子供を気にしているようだったが、声をかけてきた上司を放って残っているわけにもいかず、ルークも自ずとついてくる形になる。
オフィスへの通路に二人分の足音が響く中、何か言いたそうにジェイスンの様子を窺っていたルークが、やがて決心したように口を開いた。
「あの……ジェイスン警部。少々、お伺いしたいことがあるのですが」
「何かね、ルーク・ウィリアムズ」
「個人的にお聞きしたいことなのですが……よろしい、でしょうか」
「許可すると言っている」
あっさり許されたことを信じがたいのか、ルークは何度もしどろもどろに尋ねてくる。
「続けないなら、話は終わりだが」
「い、いえ!」
背筋をまっすぐに伸ばし、それからルークはおずおずと話し始めた。
「十三年ほど、昔の話です。子供の頃、勤務中の父……エドワード・ウィリアムズに会いたくて、父に黙って、ひとりでここに来てしまったことがありました。その時に、迷子同然になっていた子供の僕の面倒を見てくださった方がいらしたんです。……その方は、僕をわざわざ父のところに連れていってくださったり、途中でジュースを買ってくださったり、とても親切にして下さいました」
「……」
「初めて飲んだ味で、甘くて冷たくて、美味しかったことをとてもよく覚えていて……それ以来、そのジュースを見るたびそのことを思い出します。もう、パッケージもリニューアルされてしまいましたけど……」
「随分とつまらん昔話をするものだな。それが何だと言うのだ?」
「ジェイスン警部は、刑事部一本でずっといらしているとお聞きしました。警部ならもしかしたら、その方がどなたかお判りなのではないかと──」
「その警察官が」
ジェイスンがルークの言葉を遮った。
「当時、刑事部に在籍していたとは限らない。国家警察官が何人いると思っている。何より、だ。今更そんなことを知ってどうする?」
「! それは……その」
ルークが言葉に詰まった。ジェイスンが冷めた瞳でルークを見る。
所詮、父の思い出に紐付いた相手に会いたい、というだけだったのだ。ほんの少しでも、あの男の影を取りこぼさないように。
「あの時僕は小さくて、ちゃんと言えなかったお礼をお伝えできればと……」
「取ってつけたようだな。ルーク・ウィリアムズ。今一度尋ねる。君の仕事は何かね」
「それはもちろん、人々が笑顔で暮らせるよう、困っている人を助けることです」
「違うな」
ジェイスンはルークの答えを一蹴した。
「そんなのは地方警察の仕事だ。我々国家警察は、誇りある国家、リカルド共和国の権威を守るのが仕事だ。国の中枢を支える人材がつつがなく職責を全う出来るよう、その脅威となるものを速やかに排除することだ。そのために、一分一秒の時間も惜しい」
ジェイスンは話を断ち切った。
「そんな思い出話など忘れろ。時間の無駄だ。私は別件を思い出したから、そのままオフィスに戻っていろ」
「……はい」
ルークは頷いたが、微塵も納得していないのがよく判る。顔中に、悔しさがありありと浮かんでいる。こういう感情を隠せないところは、父親と違うなと感じた。まだ若いということだった。
刑事部に来た彼は父親と同じように愚かしく、ささやかでくだらない事件に時間を割くことに注力していた。だが彼は、父に比べて平凡だった。今ならまだ、あの男と同じ轍を踏まないよう生きていけるだろう。
落胆を隠すことも出来ないグレーのコートが、刑事部のオフィスに戻っていくのが見える。父親に似ているのに、似ていない。これみよがしに形見のコートを身に着けていても、あの男と同じには見えない。
ジェイスンは舌打ちした。比べてしまうのは、成長して姿かたちが変わっても鬱陶しい記憶がいつまでも消えないからだ。
葬儀場で泣いていた少年の姿も。
あの日、署内で途方に暮れていた小さな姿も。