きさらぎと白鳥「『まっしろ白鳥』って知ってるかい?」
ある日の晴れた昼下がり、暇そうに頬杖を突きながらボールペンを転がしていた紅魔舞、僕の先生は急にこんなことを言ってきた。
「いや、知りませんけど。」
「…知りたいかい?」
そっちが振ってきたんじゃないか。と言いたい気持ちを僕はぐっとこらえた。
今僕の目の前でニヤリと笑っているこの人のペースに乗ってしまったらどうなるかは僕が一番よく分かっているつもりだ。
「いえ、別に。」
「ちょっと待ってくれよ~!分かったから、私の暇つぶしに付き合ってくれよ~」
僕がぶっきらぼうに返すとまるで先生は僕に泣きつくようにこう言ってきた。
全く、素直に話がしたいって言えばいいのに。先生行きつけの居酒屋の売り上げが少しづつ落ちてきてる理由がよく分かった気がする。
…『まっしろ白鳥』か。
聞いたことがあるような、無いような。先生のことだし、新しいエネミーの名前か何かな。
「はいはい、それでまっしろ白鳥ってなんなんですか?」
「やっぱり、キミも興味津々だったという訳か!仕方ない、話してやるとしよう!」
…早速僕は選択肢を間違えたのかもしれない。
「『まっしろ白鳥』っていうのは聞くところによると、私たちの上司にあたる存在、つまり白の戦闘員のコードネームらしいんだ。」
いや、僕もその白の戦闘員なんですけど。
しかし、そうツッコんでも話がややこしくなるだけなので僕は大人しく話を聞くことにした。
「なんでもそいつは大変な大食漢で、暴食のあまりエネミーすらも食べてしまうような輩だそうな。」
へえ、そんな人が同僚にいるのか。DeCOに所属している人、とりわけ僕たちみたいな白の職員はこういう個性の強い人が多いので、あまり驚かなくなってきてしまっている。
…僕も大分この組織に毒されてきたな。
「ああ、大食漢とは言ったが、男かどうかは分からないんだ。」
「性別も分からないんですか?」
「そうなんだ。情報統制でも敷かれてるのか、性別年齢身長体重その一切が不明だ。この私の情報収集能力をもってしてもね。
そいつは2mはある大男だとか、9歳の幼女だとか、様々な憶測が飛んでいるよ。」
「9歳の幼女って。もしそうだったら厚生労働省が黙ってないじゃないですか。」
「まあ、噂は噂さ。実際に存在するかどうかも分からないんだ。」
「白職員の人って秘密が多いイメージですけど、ここまでくると不気味に思えてきますね…」
「ま、気にしてもしょうがないさ。そんなことより、キミと違って私は忙しいのでね。仕事に戻らなくっちゃ。」
「振ってきたのはそっちじゃないか!…って行っちゃった。」
何だったんだ一体。行ってしまった先生の背中を見るように時計を見上げる。
っと、もうこんな時間か。食堂まだやってるかな。
僕は食堂が閉まってしまう前に昼食を取るべく、食堂に向かうことにした。
◆◆◆◆◆
昼食を終えた僕は部屋に戻るための廊下を歩いていた。
ここの食堂の昼食、結構美味しかったな。京都の料理って何があるのかいまいち分かってなかったけど、いろんなバリエーションがあって良かった。
そんな風に先ほど食べた昼食に思いを馳せていた時のことだった。
「あれ…?」
子供がいる。しかも小学生ぐらいの年齢だ。廊下のあたりを右往左往してて…
あれは迷ってるな。DeCOには未成年のための教育機関もあるって話を聞いたことがあるし、迷い込んじゃったのかな。
周りにそれっぽい大人の人もいないし、スルーするわけにもいかないからな…
「えっと、キミ、どうしたの?」
僕が声をかけるとその子はゆっくりとこちらを振り向いた。
うわ、白いワンピースに白い帽子で真っ白だなとはおもってたけど、目まで白いのか。
ここまでくると目に悪そうだな。
「…」
「…」
気まずい感じになってしまった…。
彼女はこっちの方をぼーっと見ているだけで、何も答えてくれない。
「じゃあ、キミの、名前は?言えるかな。」
僕がそう促すと彼女はゆっくりと口を開いた。
「がいがいたちは、はくがいがいといいます。」
「そ、そっか。お父さんかお母さんは?」
「いません。がいがいたちはずっとがいがいたちです。」
「うっ…。ご、ごめん。じゃあ、いつも面倒を見てくれる人とかは?」
「がいがいたちです。」
…えっと、だめだ。まったく意味が分からないぞ。
DeCOに迷子センターみたいな場所ってあるのかな。ないだろうな。
「あの…」
「ん?どうしたの?」
「がいがいたちはおなかがへりました。おいしいものはありますか?」
「お、おいしいもの?ちょっと待ってね…」
なんかあったかな。
そう思ってポケットをまさぐる。
あ。レモンのキャンディーが入ってた。
「これで、どうかな。あんまりお腹は膨れないだろうけど。」
「ありがとうございます。」
はくがいがいと名乗ったその女の子は僕からキャンディーを受け取ると早速取り出して口の中に放り込んだ。
うん。こう見てると年相応の『普通の女の子』って感じだ。
…ちょっと待て。今までのどこにこの子が『普通じゃない』って要素があったんだ?
確かにちょっと交流に不便がありそうだったけど、小学生ぐらいの年齢であるならば少し発達が遅れているだけってことで十分説明できる範囲内だ。
真っ白な外見も、確かに病的ではあるけど全くいないって程じゃない…と思うし。
なんだか引っかかる何かがある。それも、得体のしれない強大な何かだ。
どこかにヒントがあった気がするんだけど…。思い出せない。
って、今はこんなこと考えてる場合じゃないな。早くこの子を、とりあえず事務室でいいか…連れて行かないと。
「えっと、じゃあ僕についてきて…」
その時だった。
ビーッ、ビーッと警報がけたたましく鳴り響く。
「Cランクの悪霊の施設内への侵入を確認。場所は食堂付近です。適切な階級の職員は可及的速やかにエネミーの制圧に向かってください。繰り返します…」
エネミーここは支部とはいえDeCO施設の中だぞ
それも、どうしてこんな昼間に…
いや、考えるのは後回しだ。とりあえずこの子を安全な場所に連れて行かなきゃ…
「ここは危ない。早くこっちに…っ」
全ては手遅れだった。1メートル先、その純白を包み込むように黒い影がその巨大で醜い口を開けてそこに存在していた。
「チイサナコドモ…ハハハ!ウマソウ…ウマソウ!」
耳障りな声をかき鳴らしながらその悪意が彼女を喰らおうとしている。
ダメだ。笛を取り出すのが間に合わない。『また』間に合わないのか…!
「―――たべるのはがいがいたちです。」
「ハハ…ハ?」
ぐちゃ。
何かを潰すような、いやそれは正確じゃない…『何かを咀嚼するような』音がこの廊下に響き渡った。
「え?」
ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃ。
僕が間抜けな声を上げて呆けている間にも、白と黒の間に立った『何か』はその黒を喰らいつくさんばかりの勢いで咀嚼していった。
…そのとき不意に何かパズルのピースが嵌ったような、今まで感じていた違和感が無くなっていくのを感じた。
「『まっしろ白鳥』…」
それが僕の答えだった。
◆◆◆◆◆
「それで、『まっしろ白鳥』さんとのご対面はどうだった?」
僕が諸々の手続きを終わらせて、部屋に戻った時の先生の第一声がこれだった。
「どうって…っていうか!先生はその『まっしろ白鳥』が京都支部にいるって知ってたんですか」
「それぐらいは知っていたとも。噂の出どころからして、ここ以外はありえないからね。」
「もしかして京都支部への一時的な応援要請を飲んだ理由って…」
「おっと、そこは流石に否定させてもらうよ。そこは君にも言った通り、ただの人手不足さ。…まあ、興味がなかったって言ったら噓になるけどね。」
「やっぱり…」
「誰だってこんな噂がDeCOの中で立っていたら気になるものだろう?私は自分の目で見たものしか信じない性質でね。」
ちなみに、多分これも嘘だ。先生はDeCOが公式に発表した資料は基本的に信頼しているし、そもそも集めてくる情報だって大概が人から聞いただけの話だ。
「それで、感想は?」
「感想って言ったって…大方噂通りでした。背格好は小学生ぐらい、所持していた異能は多分エネミーを喰らってエネルギーか何かに変える、そういうものだと思います。
あれぐらいの子を戦地に赴かせるのが倫理的にどうかは置いといて、かなり強力な異能です。白って言われても納得できるほどには。」
「ふーん。後は?」
「後は…これはただの感想ですけど、年齢に対してとても精神が幼く感じました。それに何かに飢えているように感じた。あの年にして、そして白職員。きっとかなり壮絶な経験をしたんだと思います。」
「壮絶な経験か…まあ、それは弱虫君も同じ話だけど、今はいいか。なるほど、そんな人間を抱え込んでたとは…DeCOもまだまだ何かあるね。」
「そう…みたいですね。」
DeCOっていう組織があの子みたいに真っ白な組織じゃないことは薄々感じていた。
でも、それこそあの子みたいな子がちゃんと笑えるようにすること。それが僕たちの使命であってこの『力』の責任なんだ…と思う。
「そういえば、ポケットにいつの間にか飴が入ってたんですけど何か知りませんか?」
「ああ、私が入れといたのさ。白鳥のエサにね。」
…やっぱり、この人には敵わないな。