こほ、と馬上でトキがひとつ咳をする。
ラオウによって秘孔を突かれ、その身を蝕んでいた病は治った。この咳は、かつてのように内からこみ上げ血が混じるものではなく、喉に引っかかった何かを押し出すような空咳だ。ん、と喉を鳴らしたトキは自らの喉をさする。荒れ果てた世紀末の世界。砂埃で喉を痛めたか、とトキは小さくため息をつく。
「トキ」
不意に背後から呼ばれた名前。トキは声の主を確認するように振り返る。
同じく馬上で手綱を握っている、ラオウの部下。天狼星のリュウガが、じっとトキを睨むように見つめていた。
「調子が悪いのか?」
リュウガの問いに、トキは思わず苦笑いを浮かべる。
今は聖帝サウザー率いる南斗の軍と交戦中。主力であるトキの体調が悪いとあったら、護衛を任されているリュウガもラオウに顔向けが出来ないのだろう。大局だけで無く、病み上がりのトキの身体も気を遣わなければいけないリュウガに、トキはつい笑みを溢してしまった。
そんなトキの思いを知ってか知らずか、リュウガは突然笑い出したトキに眉を顰める。
「心配をしなくても、戦いに影響は無い。少し喉につかえただけだ」
トキが馬に揺られながらそう答える。しかし、リュウガの渋い顔は収まらない。何か答えを間違えたか。トキは困ったように首を傾げる。
「水が必要か?」
リュウガは更に問う。
「いや、大丈夫だ。貴重な水を無駄にするわけにも」
そうトキがやんわり断ろうとすると、リュウガの眉間の皺が更に険しくなる。
間違えてしまったか。トキは言葉の途中で口をつぐみ、ゆっくりと前を向く。
ゆっくり、ゆっくりと進んでいく二頭の馬。馬上で一抹の気まずさを覚えるトキ。トキの背を睨み続けるリュウガ。二人の間に吹き抜ける風は爽やかとは言いがたく、やや熱が籠もり居心地が悪い。
空はどこまでも雲一つ無い快晴。日差しの照りつけが酷く、トキの素肌をじりじりと焼く。
トキは背中に刺さる鋭い視線を感じ、しばしの沈黙の後、ふぅと一つ息を吐き手綱を操る。トキの手に呼応するように、馬はゆっくりとその歩みを止める。
トキを背に乗せた馬が止まり、リュウガを乗せた馬が並ぶ。リュウガはトキに目を向けながら、馬を止める。
「リュウガ、水をもらってもいいか?」
そうトキが口にしたとき、リュウガの眉間の皺が若干和らいだのをトキは見逃さなかった。
「最初からそう言えば良い」
リュウガはぼそりと吐き出し、水の入った水筒をトキに投げ渡す。
この男の、どこか不器用な様は兄に似ている。兄という生き物は、こうなのだろうか。
トキはそっと胸の中で呟き、水筒に口をつけ生温い水を一口飲み込んだ。