Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    はるち

    好きなものを好きなように

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🐉 🍵 🎩 📚
    POIPOI 170

    はるち

    ☆quiet follow

    雨の日には憂鬱が良く似合う。

    雨を見くびるな 雨の日には孤独が似合う。
     起きた時から憂鬱だった。寝台で煙草を吸うのはやめろと注意したのは誰だったか。子どもたちがいた頃はやめていたが、皆がこの事務所以外の居場所を見つけてからは、もうそれを気にする必要もなくなった。起き抜けに火をつける。ひっきりなしに雨粒が窓ガラスを叩き、一人きりの部屋を満たしていく。朝のせいか気圧のせいか、それともこの紫煙のせいか。頭は雨水を吸ったように重くなり、それが体中に広がる前になんとか寝台を抜け出す。
     最低限の身支度を整えて、事務所を出る。料理をすることは嫌いではないが、今は自分以外の誰かが作った料理を食べたい気分だった。天気の悪い日に行く場所は決まっている。行きつけの喫茶店だ。この時代にも関わらず喫煙者に優しいその喫茶店は、全席が喫煙席だった。まるで分煙のされていないその店は、そのせいで賑わっているようには見えなかったが、しかしやっていけないほどではないらしい。自分のような人間は、この街には少なからずいるのだろう。紫煙が薄く烟っているような薄暗い店内は、嫌いではない。時として人は自らを照らす太陽よりも、傷を隠してくれる闇と、それに寄り添うよう月に親しみを覚えるのだ。
     店までの道中、肩にかかる雨粒が、湿気を含んだ大気が、足元を濡らす水溜りが、際限なく憂鬱を助長する。扉を開けると、ドアベルの軽やかな音がした。カウンターの奥で珈琲を淹れていた店主は一度だけ顔を上げ、こちらを一瞥するとすぐに手元へと視線を落とした。いつもの席に座って良い、ということだろう。自分の定位置、奥のボックス席に向かうと、しかしそこには先客がいた。
     やあ、と。その人は片手を挙げる。煙草と珈琲の匂いに混じって、薬品の香りがするようだった。
    「おはよう」
    「……こんなところで何をやっているんですか?」
    「読書だよ。君が貸してくれた本を読む場所を探していてね」
     ドクターは栞を挟んで本を閉じ、表紙を自分に見せる。以前、暇つぶしにと買ったものだ。
    「君が推理小説に興味があったとは、意外だよ」
    「実を言うとそこまでありません」
    「ああ、だから私にくれたのか」
    「面白いですか? それ」
    「悪くないよ」
     ひとまず、ドクターの向かいに腰を降ろす。テーブルの上には既に珈琲が置かれていた。すっかり冷めきっているけれど、手を付けた様子はない。
    「今日はどうしてここに?」
     依頼か、それとも何か面倒事か。一服しようとコートの内ポケットを探る。ドクターは再び本を開き、栞を指先で弄ぶ。
    「……そうだね。強いていうと」
     マスターが自分の前に淹れたばかりの珈琲を置く。
    「雨だから、君の顔が見たくなって」
     もう、憂鬱はいつものように優しく包み込んではくれないらしく。立ち昇る湯気の向こうで、その人は月のように微笑んでいた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏💖💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    はるち

    DONEドクターの死後、旧人類調技術でで蘇った「ドクター」を連れて逃げ出すリー先生のお話

    ある者は星を盗み、ある者は星しか知らず、またある者は大地のどこかに星があるのだと信じていた。
    あいは方舟の中 星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね
     ――引用:星の王子さま/サン・テグジュペリ
     
    「あんまり遠くへ行かないでくださいよ」
     返事の代わりに片手を大きく振り返して、あの人は雪原の中へと駆けていった。雪を見るのは初めてではないが、新しい土地にはしゃいでいるのだろう。好奇心旺盛なのは相変わらずだ、とリーは息を吐いた。この身体になってからというもの、寒さには滅法弱くなった。北風に身を震わせることはないけれど、停滞した血液は体の動きを鈍らせる。とてもではないが、あの人と同じようにはしゃぐ気にはなれない。
    「随分と楽しそうね」
     背後から声をかけられる。その主には気づいていた。鉄道がイェラグに入ってから、絶えず感じていた眼差しの主だ。この土地で、彼女の視線から逃れることなど出来ず、だからこそここへやってきた。彼女であれば、今の自分達を無碍にはしないだろう。しかし、自分とは違って、この人には休息が必要だった。温かな食事と柔らかな寝床が。彼女ならばきっと、自分たちにそれを許してくれるだろう。目を瞑ってくれるだろう。運命から逃げ回る旅人が、しばし足を止めることを。
    8274

    recommended works