(水麿家族パロ)杞憂「本当に……無痛分娩にしないの?」
今はまだ清麿のお腹の中にいる赤子が産まれる日は少しずつ近づいている。それだけを言えば楽しみなことでしかないけれど、それはイコールで清麿の出産が近づいているということだ。
最初こそ妊娠の感動やら、失踪した彼を取り戻すことやらで頭になかったけれど、出産とは母体の生死にも関わる重大なものだった。それを意識したのは出産に関する勉強を始めてからで、始めはショックで眠れなくもなった。清麿がなんでもなさそうに眠っているのが、余計に苦しかった。
母体への苦痛を最小限にしたくて、水心子は無痛分娩も考えていいのではないかと清麿に言った。けれど彼は、うーん、と少し困ったように笑ったあと、僕は自然分娩でいいよ、と返したのだ。
その日から少し日を置いて、再度同じことを尋ねてみた今夜だが、清麿はまた同じように首を振った。
「……あのさ、費用とかは、気にしないでいいんだよ? うちの両親も援助してくれるし……必ず給料で返すから、今は清麿に負担の少ない方法を選んでいいんだよ」
ソファに並んで座って、彼のほうを向いてそう言うけれど、彼はううんと首を振るばかりだ。
「いいんだよ、大丈夫。僕は自然分娩がいいよ」
「……どうして?」
手の甲に触れて、はじめて理由を問いかける。清麿はずっと微笑を湛えているけれど、この表情はなにか思うことがある時のものだと知っている。
妊娠が与える心の不安はとても大きく、それは簡単に口にできるものでもないと聞く。けれど情けなくも、言ってもらえなければ分からないのが己だった。尋ねることしかできない。なんでも聞く、という姿勢を示すしか、できない。
その手を握ったら、彼が一瞬泣き出しそうな顔をした。それはすぐに伏せられて、ふふ、と笑う口元だけが覗く。
「……怒らないで聞いてくれる?」
そう言われて、なんだか無性に悲しくなった。揺るぎない愛情を示し続けているつもりでいても、こんな時、彼は怒られるかもしれないと思うのだ。それは水心子の力が足りていないという証だ。
「……怒るわけない」
ただ、怒るかも、と思わせてしまうことが、申し訳ない。
清麿が、重ねていた手の指を絡めてきた。こちらからも握ってやると、また少し口元が笑った。
「……痛い思いをして産みでもしないと、本当に自分が子供を愛してあげられるのか、自信がないんだ」
言葉を飲んだ。彼は俯いたまま、ぽつぽつと紡ぐ。
「僕は、両親の愛情を知らないから……自分が今この子に対して持っているものが、ちゃんとした愛情なのか、分からなくて。僕は、……僕は、薄情なやつだから、痛みのない状態で産んでしまったら、母親になれないんじゃないかと思ってしまうんだ。僕は、よそ様の真っ当な母親とは、違うかもしれないから」
──ああ、やっぱり隠していた。こんな、つらい思いを。
そっと彼の肩を抱き寄せた。触れ合った時、清麿の唇が引き結ばれるのが見えて、涙が込み上げる。
「……ごめんね、そんなふうに考えてたこと、気づいてあげられなくて」
彼はふるふる頭を振った。そんなこと、と呟かれて、絡めていないほうの手で縋るように服を握られる。
「僕が……ごめん、だよ。こんなこと、考えてしまって……」
「……ちがうよ。君は、すこしも悪くないんだ」
頭を撫でてやる。ふわふわとした髪の毛、愛しいな。この、ちいさな頭の中に、どれだけの不安や恐怖が詰まっているのだろう。
「ね、清麿。君がそれがいいって思うなら、自然分娩、頑張ろうね。僕も絶対立ち会うから、傍にいて手を握ってるから、その時は折れるくらい握りつぶして」
「……すいしんし」
「でもね、どんな産み方で産もうが、君はもうちゃんと母親になってるよ。清麿、癖みたいにお腹に話しかけるじゃないか……あれを見て僕も父親の自覚が持てたんだ。よそがどうとか、関係ないよ。この子の母親は君しかいなくて、君の注ぐ思いがすべて正解なんだから」
彼が押し黙る。かすかに震えている身体を抱いたまま、額に口づけた。
「清麿、大丈夫。君が愛情深い人だっていうのは、僕が一番知ってるよ。君は君の両親とは違う道を歩める。……だって、僕が、一緒に歩くから」
──だから、君がもし歩く道が分からなくなったら、手を引いてあげるから。
「僕と一緒に親になろう、清麿」
俯いた頭が、ひっくと跳ねる。涙がぽろぽろ落ちたのが見えたから、笑って抱きしめた。
自分自身も泣いてしまっていることを自覚しながら。
「……ありがとう、すいしんし……、……君をすきになれて、ほんとうに、よかった……」
泣き疲れてやっと眠った清麿の、腫れた瞼が閉じられているのを見つめる。夜の闇の中で、それは発光するように浮かんで見えた。
出産が近づくほど不安になるのは、清麿自身だってそうなのだ。当たり前のことだった。
彼は自分自身の愛情を疑ったけれど、水心子はそれが杞憂だと知っている。……だって、清麿は未だに出産で自身が死ぬかもしれないことについては恐怖を語らない。心配することといえば生まれてくる子供のことばかりなのだ。その時点で、愛情が足りないなんてことがあるはずがない。
むしろ水心子は、産むことを拒みたくなるくらい怖がることだってあってもいいとすら思ってしまう。そんなのはこちらこそ子への愛情が足りないという話になるから、言えはしないけれど。
生まれてくる子供はもちろん大事だけれど、それは清麿が生きていてこそだ。子供が産まれて清麿が死ぬことがあったら、水心子は本当に自分が子供を心から愛せるか、自信がない。
……これも、話してもいいのだろうか。父親になることへの不安、彼に語ってもいいのだろうか。負担になるかもと思い言えなかった。けれど、何も話さない相手には何も話せないものだ。今更気づくなんて、遅いかもしれないけれど。
明日、またゆっくり話してみようか。そうしたら君ももっと思いを打ち明けてくれるかもしれない。そうなれたら、僕は嬉しいばかりだから。
「……ゆっくりおやすみ、清麿」
口の動きだけで告げる。それから微笑んで、その前髪に口づけた。
不安も恐怖も、たくさんある。けれどそれはきっと乗り越えていける。二人なら、……三人なら。
いつかは寝る時に川の字なんてものが叶うのだろう。叶う日が来ることを信じよう。絶対に、無事に終わって始まる。それだけを祈って、まだ見ぬ自分たちの間に挟まる子供へ、どうか元気に産まれてきてね、と願いながら。