出来心 休日の午後、ナイトレイブンカレッジの図書室の閲覧席に、監督生とジェイドが並んで座っている。監督生はジェイドに教わりながら魔法史のレポートを、ジェイドは授業の予習を進めているのだった。
もともとは監督生とグリムが二人でジェイドに教わる予定だったのだが、グリムは「そういえばエペルに箒の乗り方を教えてもらう約束をしてたんだゾ!」と、してもいない約束をでっち上げて早々に逃亡していた。
教科書と授業の配布資料を見ながらレポート用紙に文字を書いていた監督生だったが、その手が止まり、「う〜ん…」と小さく呻き声をあげる。
それに気付いたジェイドが「どうしました?」と声をかけた。
「えっと…教科書のここなのですが、この事柄とこの事柄の間に何が起こったのかが詳しく書かれていなくて…。どういった流れでこのような結果になったのでしょうか?」
ジェイドは監督生が示した部分を読むと、
「僕もこの部分を詳しく知りたくて調べたことがあるんです。ちょうどそこの書架に参考になる本がありますので、お持ちして説明しましょう。」
と言って席を立ち、書架に向かった。
その姿を監督生は目で追う。そして、腕を伸ばして高い位置の本を取ろうとするジェイドの背中をうっとりと眺めているうちに、だんだんと“ある心”が湧き上がってきて、静かに席を立った。
監督生は本に手を掛けたジェイドにそうっと近づき、後ろからその腰に両腕を回す。その瞬間、ジェイドがわずかにぴくりと体を震わせ、肩越しに振り向いてみれば自分の腰のあたりに監督生のつむじが見えた。
監督生がジェイドの背中にすり、と頬を寄せたと同時に、ジェイドが「監督生さん?」と声をかける。その声に、はっと我にかえった監督生は勢いよく両手を離して一気に後ずさった。
「ご…ごめんなさい!」
監督生は、図書室のため小声で謝り、早足で席に戻ると即座に机に突っ伏す。ジェイドはきょとんとして監督生を見ていたが、すぐに微笑をたたえ、書架から取り出した本を手にして席に戻った。
ジェイドが隣に座った気配を察して、監督生は顔を伏せながら再び謝る。
「すみません、あの、先輩の背中を見ていたらつい出来心が…!」
照れつつ必死に謝る監督生を愛しげに目を細めて見つめながら、ジェイドは優しく言葉を発した。
「監督生さん、大丈夫ですよ。僕は怒っても呆れてもいませんから。だから謝らないで。どうか顔を上げてください。」
その言葉に監督生はそろそろと顔を上げる。ジェイドはそれを見計らい、手を伸ばして監督生の顎を指で掴んで上を向かせ、ちゅっと音を立ててその唇に自分の唇を落とした。
離れていくジェイドの顔を目に映しながら監督生はぽかんとしていたが、何をされたのか理解した瞬間に顔を真っ赤に染めて唇を両手で覆った。
「いっ…いまっ…!」
ジェイドは満足げににっこりと笑いながら、
「驚かせて申し訳ありません。照れるあなたを見ていたら出来心が湧いたものですから…。」
と、悪びれる様子もなく口にした。
自分も出来心から大胆な行動をしてしまったため言い返すことができない監督生は、せめてもの抵抗でぐっと顔を回してそっぽを向き、「からかうなんてひどいです!」と赤い顔のまま頬をふくらませる。
ジェイドは「おやおや、怒らせてしまいましたね」と言いつつも焦る様子はまったくない。
「…お詫びになるかわかりませんが…。実はおやつにでもと思ってゼリーを用意しているんです。」
「ゼリー」という単語に監督生が反応し、顔を半分ジェイドの方に向けた。
「あの、それってもしかして…。」
「ええ、あなたが以前食べてみたいとおっしゃっていた炭酸のゼリーです。海をイメージした綺麗な青い色にしましたよ。レポートが終わったらオンボロ寮にお持ちしますので、召し上がりませんか。」
それを聞いた瞬間、監督生の顔がぱあっと明るく輝いた。
「ありがとうございます、ジェイド先輩の手作りゼリーとっても楽しみです! あっ、では私はお茶を用意しますね! よしっ、レポート頑張らなきゃ!」
ふくらませた頬はどこへやら、監督生は気合を入れてペンを持ち直す。ジェイドはその姿に「ふふ」と笑った。
「ええ、頑張りましょう。では、詳しく知りたいとおっしゃっていた部分ですが、この本の……このページに詳しく書かれています。まずはここを見てください。」
ジェイドが指を差しながら丁寧に説明し、監督生も頷きながらジェイドの話を聴いて順調に用紙を文字で埋めていった。
レポートの終わりが見え、最後の部分を書き上げるのに集中してペンを走らせる監督生を見つめながら、ジェイドは心の中で思う。
この後、オンボロ寮という誰にも邪魔されない空間で二人きりになったとき、僕の”出来心”は監督生さんに一体どんないたずらをするのだろうか。
そして、監督生さんはそれに対してどんな可愛らしい反応を見せてくれるのだろうか。
ジェイドは小さく笑い、「楽しみですね」と呟いた。