「チェズレイ、聞いたぞ」
「ボス? 怖いお顔をして、何をでしょうか?」
てんやわんやの爆弾騒ぎのあと。あんなショーじゃ生ぬるい! もうひと勝負しろおっさん! とニンジャさんの首根っこを引っ捕まえて消えた野獣と相棒の悲鳴をスルーで見送って、楽屋でひと息ついていたチェズレイのもとに飛び込んできたのは可愛い子犬のつりあがった眉毛であった。
しかし、めずらしいことにその理由にあんまり心当たりがない。詐欺師が小首を傾げると、ルークはズンズンとこちらに歩いてきて……、
「君、ステージに上がった時にオリジナルの悪役を演じていたそうじゃないか!」
掴みかかりそうな勢いでそんなことを言ったので、聡明な紫の瞳はまばたき二つののちすべてを察してぱっと潤んだ。
「……あァ、ボス、すみません……! あなたの愛するニンジャジャンを汚すつもりはなかったのですが、あの切迫した場ではああするより他になく……」
飛び出すのは演技過剰の哀れっぽい声。でも……。それを正面から受けて、今度はルークがきょとんと目を丸くする。
「……ん? なんの話だ?」
「? ですから、私がニンジャジャンの世界には存在しないオリジナル・キャラクターに扮してショーを行ったことが原作への冒涜だとお怒りになっているのでは?」
「なーー」
てっきり正解だと思ったのに。チェズレイもどちらかといえば好きなものには一家言あるタイプなので、理解をしめしたつもりが……、
ルークのころころ変わる表情は、驚きののちにまじめくさった、今度こそ怒ったような鋭さになって、
バン! とチェズレイの座っていた椅子のとなりの机を手のひらがたたいて、
「そんなわけないだろう!」
と、熱い否定が入った。そのままその手が持ち上がって、胸の前で握り拳がふるえる。
「確かに原作へのリスペクトは大事だ、ニンジャジャン・ショーを見に来る人は元からニンジャジャンが大好きな人なんだろうし、その気持ちを壊すようなことはしてはいけないと僕は思う」
それで、つぎに始まったのは熱弁。を、聞きながら……、出会った日のニンジャジャンは酔っ払いで私服だったし、今日ステージにいたワルサムライはめちゃくちゃ棒読みだったけれど、と、チェズレイは思ったが口には出さなかった。
「だが、」
いましがたまで元気に吠えていた子犬が、こちらを見てにこりと微笑む。
「あの時チェズレイはニンジャジャンを馬鹿にしていたわけじゃないだろう?
むしろ、ニンジャジャンをリスペクトして、きちんと世界観を壊さないようにーーアクシャミセンだっけ? 演技して見せたじゃないか」
「……そのセンスのない名前は忘れていただきたいのですが……」
「そうか? カッコいいと思うけど……。とにかく! 散りゆく哀れな者どもに、咲かせて見せよう彼岸花ーーニンジャジャンのあの最高にカッコいい口上も、ショーだけのオリジナルなんだ。それでもみんなに受け入れられているわけだし!」
「……なるほど。おっしゃりたいことはわかりました。……それでは……?」
緊急事態だったとはいえ、オリジナルキャラクターに扮したことを怒っているわけではない。むしろ好評だったようだ(それもまた複雑だが)。
それでは、じゃあ……? いよいよ疑問符でいっぱいになる頭に、ルークはまた机を叩いて元気よく叫んだ。
「僕が怒っているのはそんな新しい悪役まで参加した超レアなショーを、僕だけが見れなかったことだ! 最後の方は見れたけど、君はいなかったし……!」
ああっ、見たかった……! さっき聞いてきたけど、映像化は未定らしくって……!
叫んで、最後は頭を抱えてしおしおと崩れ落ちる……、
「……………」
その一部始終をぽかんと、詐欺師は彼らしからぬ素直な表情で見つめて……、
それから、耐えきれないように唇が三日月のかたちにゆがんだ。
「フ……、それはそれは、失礼しました」
「……どうせ子供っぽいって思ってるんだろう……」
「いいえ、ボスのニンジャジャンへの愛はすばらしいと思いますよ」
おやおや。すっかりご機嫌斜めになってしまったようだ。しゃがみこんで視線を合わせて宥めるように言うと、
「……けどさ、それだけじゃないんだよ」
「?」
いつもよりずっと、低い視界。窮屈そうに折り畳まれた膝の向こうで、おなじ体勢で座るルークがすこしだけ口を尖らせている。
「確かに僕はニンジャジャン・マニアだけど、それだけじゃない。
君が「ヒーローごっこ」するだなんて、珍しいなって思ってさ。ああいや、君は仮面の詐欺師で変装の達人だし、アクシャミセンは悪役だけど……」
不機嫌は続かない。話しながら持ち上がった顔はもう笑んでいて、照明に眩しそうに細めた瞳は、まるでどこか遠くを見るようだった。
「僕、昔から、ヒーローごっこが大好きでさ。それでヒーローって名前がついたくらいで……。いつもクールな君が、同じことしてるって思ったら、なんだか嬉しくなっちゃって、見たくなっちゃったんだよな……。あ、もしかしてチェズレイも、昔は好きだったヒーロー……いや、悪役か……? 真似したりしたのか?」
さいごはこちらを見て、にこりと微笑む。
その微笑みを、じっと見つめる。
……知っている。彼の本名も、記憶を失うまでの人生も、それからのことも。
そんな、優しい笑みで思い返せる中身では、ないのに。彼の半生は、喪失と欺瞞に溢れ、更には不良品だったとごみ箱に投げ捨てられた、筆舌に尽くし難いものなのに。
それでも、彼はいま、心から、それらを愛おしそうに懐かしんでいる。
そんな彼の、ひたむきで底なしの強さを目の当たりにするたびに、チェズレイの心臓はふしぎな震えを覚えるのだ。
「……いいえ」
嘘を、言うのは簡単だった。なにしろ詐欺師だから、騙しきる自信もある。てんでちがう人生を歩んできた人間の、めずらしい共通項。それが親しみにつながることだって知っている。
だけど、チェズレイは首を振る。それは、彼との関係に求めるものではないから。
いつまでしゃがみ込んでいるのか。ゆっくりと立ち上がって、どうぞと並んだ椅子に座らせる。向かい合ってふたり、未だ野獣の気配のしない部屋は、しんと静かにととのっている。
「あなたが言う意味で、ヒーロー……もとい悪役ごっこをしたのは、人生で初めてですよ」
「えっ、そうなのか?」
(ヒーローごっこしたことないんて……ますますチェズレイの過去が気になるな……)
「ボス……、そんなに私の過去が気になるのなら正面から堂々と聞いてくださって構いませんのに……」
それを、ちょっと乱して。髪をかき上げながらわざとらしく大仰に言えば、「また読心術する……」と冷や汗を垂らす、その想像通りの反応がかわいくてたまらない。
微笑む。頬を金の髪がひと房、くすぐるようになぞる。手を膝の上に、白い手袋をつけた長い指と指が絡み合う。
目を閉じる。瞼の裏に、さきほど折った膝の目線より、さらに低い背の自分。
……かれの前には、心を預け、憧れ、こうありたいと規範になってくれるヒーローは、ついぞ現れなかった。賢いかれは、願ったところでこんな極北のマフィアの子どもの家になんて、誰も助けに来てくれないことを知っていた。だから、自分でなんとかしないといけないと、そう思った。
父に取り入った。有能な後継者として選ばれて、せめて母を守るために。だけど結果彼女は濁って死を選び、それを嘲笑った父を殺し、一番上の椅子に座ることになったけれど、別に夢を叶えたわけではなかった。母を失った後の子ども時代は、思い返せばとても空虚だ。
彼の中に、ヒーローはいない。死ぬまでの誓いを果たした相棒はとんだ下衆だし、粗暴な野獣に助けを求めるくらいなら舌を噛んでやる。
だから。目を開く。長いまつ毛が震えて、目の前のあかるい緑の瞳を見つめて。
「……もしもいつか、まかり間違ってヒーロー役を演じる時がきたら、その時はきっと、ボスを参考にしますよ」
「ええ〜! 照れるなあ! ニンジャジャンじゃなくていいのか?」
「ニンジャさんにはまあ、助けられたと言えなくもないですが……憧れとはまた違いますので」
にっこり笑って言うと、ルークは素直に喜んで、頬を染めて頭を掻いた。明るい茶色の髪が、照明に触れてぴかぴか光る。
……もう、すぐそこにある、別れの気配。さきほどの舞台裏での会話が、耳に蘇る。
口をついて、気持ちが勝手に溢れ出してくる。
「……ボス。
あなたの存在こそが、私にとってのうつくしい光なのです。たとえ離れていても、あなたの輝きがひとさじ、この胸の中に息づいていさえすれば。きっと私は、道を踏み外さずにいられるでしょう」
「……」
そんな、脈絡のない、唐突な言葉に。
ルークはふしぎそうに目を瞬せて……、
「……うん。よくわからないけど……ありがとう、チェズレイ」
それでも、そのうちにある感情を、ちゃんと読み取って。笑い返してくれたのだった。
ーーまた、会えるよな?
そう長居はしていられなかった。
一向に帰ってこないふたりを探しに行く時間も取らないといけないし、いそいそと着替えていると、背中からちょっと不安げな声。表情がありありと浮かんで、ふ、と口元が緩んでしまう。
「ええ。ボスが呼ぶのであれば、地球の真裏にいようとも、いつだって馳せ参じますよ」
「……友人として呼んでも?」
「もちろん。光栄です。手料理を振る舞いますよ。頑張り屋さんのボスに、滋養のつくものを食べていただきたいですし」
「じゃあ、アーロンが一緒でも?」
……それは聞き捨てならなかった。ぴしりと表情がかたまって、うらみがましく振り返る。
「ボスぅ……私になんの恨みにおありでそんな嫌がらせを……?」
「はは……君たちは変わらないな……」
苦笑い。だけど予想の範疇だったのか、一つのため息ののちに、私服のシャツのボタンを留めて、ルークは穏やかに笑う。
「モクマさんと、仲良くな。きっと、君たちなら大丈夫だと思うけれど」
チェズレイ。
呼びかける声が、あんまりにも優しくて。
「きみたちは強くて、格好良くて、きっと、大丈夫だと思うけど。困ったことがあったら、いつでも呼んでくれ。駆けつけるよ。まあ、僕にできることがあるかわからないけど……」
「いいえ」
心臓が、また、震える。あの下衆なニンジャさんと居る時とは違う、胸があまく締め付けられるみたいな。
食い気味で否定する。一歩踏み出して、近くへと。
「……呼んだら来てくれるヒーローがいるということは、とても心強いのですね。これで、私も……、
なんの憂いもなく、世界征服に邁進できそうです」
それで、髪を耳にかけながら、目元のアートメイクを光らせて、心の底からしみじみ言った言葉に……、
「せ、世界征服?」
「はい」
ルークの目は、一瞬にしてまんまるになってしまった。
……ふふ、やっぱりあの守り手さんも言っていなかったか。
「え、待ってくれ!? 世界征服って何!? 僕これから警察機構を立て直すつもりなんだけど……」
「ええ。存じています。陰ながら応援していますよ。何かお困りのことがあったらなんなりと。どこからでもどんな形でも、全力で応援しますので……」
「ああっその笑みが怖い! ごめんチェズレイ! やっぱりちょっと、ヒーローは非合法的な活動には加担できないかも……!」
「ふふふ、それでは、共闘でなくて捕まえられる方ですかね。ボスとの手に汗握るアツい追いかけっこだなんて、あァ……燃える……、それではまずは手始めに……今からゲーム開始といきましょうか!」
そう元気に言うやいなや、長いコートの裾を翻して走り去る詐欺師を、ぽかんと見つめるのは部屋にただひとり取り残されたルークのみ……。
「ええっ!? えっちょっと待ってくれ!? って早! もういない……!
5秒経って、はっと我に返る。ドアに駆け寄るけど、当然その先はがらんどう。おりよく背中から駆け寄ってきたスタッフの、もうそろそろ時間なので撤収してくださいの声!
「ア、アーロンもモクマさんも探さないとなのに……!」
廊下に立ち尽くしたいつものコートの袖から出た手が、わなわなと震える。
まったく、なんだ! 世界征服って! なんだ! あの、去り際の笑顔は!
あんなの、あんなの!
ぐっと脚に力を込めて、走り出す。
ヒーローごっこなんかしたことないって言ってたくせに! いつもあんな、クールなくせして!
怒りたいと思うのに、どうしても、ルークの口元に浮かんでしまうのは笑みだった。
だって、知ってしまったから。別れの前に、あの、チェズレイの、新しい一面!
「も〜!! 意外と子どもっぽいところもあるんだな! 君も!!」
おしまい!