雨クリの告白の小話(途中) それは、一世一代の告白のつもりだった。
「雨彦、好きです。あなたが好きなのです」
何よりもまっすぐに、気持ちを伝えたつもりだった。ひとつの誤解もないように。
しかし、それは告白にすらさせてもらえなかった。
「ああ、よーく知ってるぜ。ありがとよ」
雨彦はまるで世間話でも聞いているかのように笑いながらそう言った。上手く伝わらなかったのかと思い、再び口を開いた。
「……雨彦。これは仲間に対する好きではなくーー」
「待った。それ以上言いなさんな。聞かなかったことにするから」
笑みを浮かべたまま、雨彦は私の言葉を遮った。告白を受け入れてくれなかったのは明白だった。
「何故……雨彦も、私のことを好きでいてくださっているのではないのですか」
「古論。お前さんも大人なら、わかるだろ。付き合って別れた二人が、その後どうなるか。…俺はお前さんたちとは仕事仲間として長く付き合っていきたいんだが、それじゃダメかい?」
手酌で注いだ酒を差し出す雨彦は、もうすっかり気持ちが決まっているようで、私はそれ以上何も言えなかった。
「……いいえ」
「今のは、酒のせいだと思って忘れてやるから。明日からも良き仕事仲間でいてくれ、古論」
「……はい」
(お酒なんて、まだ一滴も飲んでいないのに……)
そうして、私の一世一代の告白は、実ることなくして終わった。
それから数ヶ月後。
「ごめんねクリス、迎えにきてもらっちゃって」
「良いんですよ。ご連絡くださりありがとうございます」
車を止めた店は事務所からほど近く、同僚たちもよく利用している場所とのことだった。クリスも過去に何度か来たことがあったが、送迎のために訪れたのは初めてだった。
「疲れてたのかな、くずのは、普段ならこれくらいじゃ酔わないのに」
「葛之葉くん、古論くんの迎えが来た。立てるか?」
「ん……古論……?」
床に足を下ろしてまどろんでいる雨彦は、クリスの名前を聞いて微かに反応を示した。クリスはそれが少し嬉しくて、笑顔で雨彦の前に手を差し伸べた。
「お疲れ様です雨彦。私の手を掴ん……っ!」
雨彦は長い手を回し、クリスを引き寄せた。バランスを崩したクリスは、そのまま雨彦の懐に抱かれる形となった。どきどきと脈打つ心臓の音がどちらのものなのか、クリスには判別がつかなかった。
「ありゃりゃ、抱きついちゃった。大丈夫?剥がそうか?」
「だ、大丈夫です。このまま連れていきますね」
(お酒の臭い……たくさん飲まれたんですね)
クリスはその場で体を回転させ、雨彦を肩に背負い立ち上がった。自分より遥かに重い相手を背負うのはかなり負担ではあった。
「クリス、重たいだろう、自分が運ぶぞ」
「いえ、大丈夫です。扉を開けていただけますか?」
「そうか、わかった。しかし、雨彦にこんな酒癖があったとはなあ……」
苦笑している同僚を横目に、クリスはなんとか雨彦を車に押し込んだ。
同僚たちに見送られながら出発した車は、静かに夜の街を抜け出した。
(こうやって頼っていただけるのは、同じユニットメンバーとしての役得ですね。……本心としては、私もお酒をご一緒したいのですが……まあ、仕方ありませんね)
「雨彦、着きましたよ。……雨彦」
しかし、いくらゆすっても雨彦は起きなかった。
今の時間ならまだ家の人も起きているだろう。クリスは雨彦を肩で支えながら清掃社の事務所へ向かった。
しかし、事務所は電気が消えており、完全に真っ暗だった。
念の為ノックもしてみたが、しばらく待っても誰も出ては来なかった。
「仕方ありませんね。雨彦、ちょっと失礼しますよ」
抱えている雨彦のポケットをまさぐり、なんとか家の鍵を見つけ出し、それで事務所のドアを開けた。
流石にそろそろ限界だ。クリスは事務所の中に雨彦を下ろした。
(もっと鍛えておけばよかった)
床を見下ろすと、雨彦はまだ寝ているようだった。
雨彦と最後に会ったのは一週間以上前だったが、その時に個人の仕事や家業が忙しくなるとは聞いていた。しかし、そこまで疲れを溜めていたとは。
(そんな状態で深酒するなんて、あなたらしくない)
クリスは雨彦の額を撫でた。
「さすがにここに放置するわけにはいきませんから、寝室にお連れしますが、構いませんよね?」
んん、という不明瞭な返事を是と解釈して、クリスは再び雨彦を背負った。
以前想楽と遊びに来たこともあり迷わずたどり着くことができたが、それでも、雨彦の巨体を背負って歩くのはやはり負担が大きかった。無事雨彦をベッドに下ろした頃には、クリスは既に大きく息が上がり疲れ果てていた。
ベッドの横に座り込んだクリスは、気持ちよさそうに寝ている雨彦の顔を覗き込んだ。普段あまり見られない寝顔はクリスにとっても新鮮であった。
(これもまた役得、ということでしょうか)
そんなことを考えながら、クリスもまた、ベッドにもたれかかりながら眠りに落ちていった。
「どういうことだ、これは……」
目が覚めた雨彦は、目の前の光景をしばらく受け入れることができなかった。
見慣れた自分の寝室。昨日出かけたままの服。ベッドにもたれかかり寝ているクリス。深夜三時を指す壁時計。加えて自身から漂う酒の匂い。
スマートフォンを手に取ると、先ほどまで一緒に飲んでいたメンバーからメッセージが入っていた。
「無事に着いたか?」「クリスに送ってもらったから後でお礼言っておきなよ〜」という文面から、自分が酔い潰れたためクリスを呼んで送ってもらったことがよくわかった。
クリスには申し訳ないことをした、と視線を向けると、すっかり寝入っているようで、起こすのも憚られた。
(確か古論は明日は昼前には現場入りだったはず。朝までここで寝かせてやるのが良いだろう)
雨彦はクリスを起こさないよう慎重に抱き上げ、自分のベッドに横たえた。深く寝入っているクリスは、とても綺麗な顔をしていて、まるで博物館に飾られる彫像のように美しかった。
しばらくの間その寝顔を眺めていたが、クリスが小さく身じろぎ、向こうを向いてしまったところでふと我に返った。
(……シャワーでも浴びてくるか)
雨彦は、クリスのことが好きだ。それはもちろんユニットメンバーとして、同じ事務所の仲間として、当然の感情だ。クリス自身の持つ人の良さや純真さ、それから自身を慕ってくれるその振る舞い、どれをとっても嫌う要素などない。だから、クリスが以前告白してきたのも、嬉しくないと言ったら嘘だった。好いている相手から好きだと言われて、舞い上がらない男がいるだろうか。しかし、同時に不安にもなった。もしこの感情がいっときのものだったとしたら。もし、自分への関心が薄れて離れていってしまったら。正直、おとなしく見送ることなどできそうになかった。いや、できるだろうが、それは恐ろしく心に傷を残すであろうことが容易に想像できた。
だから、受け入れる前に突き放したのだ。
距離を保てば、それなりの間柄で、もっと長く一緒にいられるだろうから。別れればそれまでだが、仲間や友人という立場なら、きっと死ぬまで一緒にいられるだろうと。
しかし、残念なことに雨彦の中のクリスへの気持ちは落ち着くどころか膨れ上がる一方で、こうして面倒を見てもらったことすら、まだクリスから好いてもらえているのだと喜びを感じてしまう始末だった。
(我ながら重いな)
そう苦笑しながら、頭の泡を洗い流した。
この懊悩もまとめて流れていくように。
翌朝、事務所のリビングのソファで目を覚ました雨彦は、机の上の書き置きを発見した。
ーーベッドをお借りしてすみませんでした。本日はお休みですか?ゆっくり休んでくださいね。ではまた、お仕事で。
雨彦は、リンクを開いてクリスにメッセージを送信した。
ーーゆうべは面倒をかけたな。助かった。後で礼でもさせてくれ。今日も仕事頑張れよ。
時計を見ると、まだ朝の八時だった。清掃の仕事が午後に入っているが、もう少し眠れるだろう。
雨彦は、自室へ向かい、ベッドに横たわった。すると、クリスの香りが鼻を掠めて、妙な気分になってしまい、結局そこから眠ることはできなかった。
「お待たせしました雨彦。先に頼んでいてくださって良かったのに」
「俺も今来たところさ。ビールで良いかい?」
「ええ」
半個室の雰囲気の良い居酒屋は、ディナー客で賑わっていた。雨彦は店員を呼ぶと、二人分のビールと簡単な肴を注文した。
「今日の仕事はどうだった」
「恙なく終わりました。山下さんと硲さんにもお会いしまして」
「へえ。あの二人は今日も仕事だったのか」
当の雨彦も、アイドルとしての仕事は無いが家業の方で仕事を終わらせてきた身なのだが。
「それで昨日の雨彦の話になりまして。お酒の席で、雨彦が話していた内容が……」
ぎくり、と雨彦の目が泳いだ。
実のところ昨日の夜の記憶があまり無い。自分が何を話していたのか、知りたいような、知りたくないような。
しかし、クリスの話は早々に届いたビールによって遮られた。
先に乾杯をしましょう、という声に従って、ジョッキを合わせ、ごくごくと一気に飲むと、ジョッキにはもう半分ほどしか残っていなかった。クリスも悪くない飲みっぷりで、ジョッキの三割程度は飲んでいるようだった。
「それで、二人はなんて?」
「ああ、そうでした。……雨彦、好きな人がいるんですって?」
危なかった。口に入っているビールを吹き出してしまうところだった。
(何てことを話しているんだ、昨日の俺も、山下サンたちも!)
「いつから……そうだったんですか?」
「割と前から……」
「……そうなんですね」
気まずいやら恥ずかしいやらで、雨彦はクリスの目を見ることができず、またビールに口をつけた。今日はなんだかビールの減りが早い気がする。
「すみませんでした」
「……何がだ?」
「貴方にも好きな人がいたのに、あんなことを言って」
困らせてしまいましたよね、と呟くクリスの声は沈んでいた。
「ん?ちょっと待った。どういうことだ?」
「勘違いをしていたのです。貴方も、私のことを好いてくれていると。あの時は、本当にすみませんでした」
クリスはすっかり消沈したようで、肩を落としていた。
「なあ古論。訂正したいんだが」
「……何をですか?」
「俺の好きな相手は、お前さんだ」
クリスはその言葉に一瞬目を輝かせたが、すぐに目を泳がせ、やはりまた下を向いた。
「……何故、そんな嘘を?」
「嘘じゃないさ」
まあ、いきなり言われても困るか、と雨彦は頭を掻いた。
昨日の自分と次郎たちが何を言ったのかは知らないが、雨彦が好いているのは確かにクリスだった。それでも、今の関係を失うのが怖くて、クリスからの告白を煙に巻いたのは事実だ。
当時はそれが正解だと信じて疑わなかったが、まさか今になってこうして自ら火種を撒くことになるとは。
やはり、ここは腹を括るべきではないか。
雨彦は少しの逡巡ののち、ふう、と深く息を吐いた。
「古論、聞いてくれ。その時も言ったと思うが、俺はお前さんと過ごす時間が大切で、失いたくない。一生、古論や北村とともにこの業界で生きていきたい。これは本心だ」
「……はい」
「そして、俺がお前さんを好きなのも、事実だ。これは友愛だけじゃなく、……おそらくお前さんが俺を思ってくれてるのと同じ類のやつだ」
クリスは、困ったような顔で雨彦を見つめた。
何故そんなことを言うのか。本心なのか。下手な慰めならいらないのに。でもそうやって慰めてくれるこの人が好きなのも、また事実だった。
(そう、好きなんですよね)
「ありがとうございます」
こんな時にも慰めてくださる、優しい人。
だから好きだし、やはりこの人を好きでいることをやめることなんてできないのだ。
クリスは、ふわりと微笑んだ。
「古論……」
「そう言っていただけて、嬉しいです」
クリスは少し無理して笑っていた。雨彦は続けて何か話そうと口を開いたが、頼んでいた料理が来たのでそれもまた中断された。
届いた肴は、クリスの好きな海産物で、クリスの表情も明るくなって、それ以上の追求も野暮だと思った。
「美味しそうなホタルイカですね。さっそくいただきましょう!」
「ああ、そうだな」
二人のいただきますの声とともに、重かった雰囲気も和やかに色を変えた。
「なんか最近、ちょっと変じゃないー?」
レッスンの休憩中、飲み物を買いに出た雨彦を追って来た想楽がそう問いかけた。
「変って何がだ?」
「雨彦さんだよー。最近クリスさんと仲良いみたいだけど」
この前のレッスン終わりも、その前も、帰り際に二人が一緒に帰っているところを見かけた。
別にハブられてるなどと思うわけではないが、純粋に不思議に思いクリスに尋ねてみたところ、クリスもその理由はわからないが最近何故かよく一緒に夜食を食べるようになったのだと言う。
「まあ、色々あってな」
「なに、僕に隠し事ー?一応三人ユニットなんだから、あんまり僕だけハブらないでよねー」
「そういうつもりじゃなかったんだが……なら今日は三人で飲みに、いや、飯にでも行くか」
「僕今日は大学の課題があるのでー」
「……そうかい」
雨彦は苦笑しながらペットボトルの蓋を開けた。プシュ、という小気味良い音が響く。
「……これは仲間だから言うけど。……その気もないのに、弄んだりしないでよねー」
「何の話だ?」
「クリスさんだよー。クリスさんの気持ちをわかってて遊んでるんだとしたら、僕ちょっと許せないからー」
想楽がそう言いながら財布を開くと、それより先に小銭が機械に投入された。振り向けば近くに雨彦が立っていた。
「いったい、何のつもりかなー?」
「いや、うちの可愛い末っ子に飲み物をご馳走してやろうと思って?」
「急に何ー?まあ、ありがたくいただくけど」
想楽は緑茶のペットボトルのボタンを押し、出て来たものをその場で飲み始めた。
「それで、古論の話だが……」
「あー、前に食べたわらび餅、また食べたくなってきたなー」
にんまりと笑う想楽に、雨彦は薄く笑うほかなかった。
「ここのわらび餅、また食べたいと思っていたので嬉しいです」
「雨彦さん、ゴチになりますー」
「ああ、まあ、たくさん食え」
レッスンから数日後。三人は以前訪れた和菓子店を訪れていた。わらび餅だけでなく、きんつばなども美味しい店だったが、今回は想楽のリクエストでわらび餅を注文した。
雨彦としては、先日の話の続きをしたかったのだが、想楽がクリスも誘い、当然クリスも断ることなく、三人で来ることになった。
(まあ、また今度聞けば良い話か)
そう思いながらわらび餅を食べ始めた雨彦だったが、想楽の一言で咽せそうになってしまった。
「で、二人はいつから付き合ってるのー?」
これにはクリスも目を丸くした。全くそのつもりのなかったクリスは、困った表情を浮かべた。
「北村、その話は」
「想楽、私たちは付き合っていませんし、今後もそうなる予定はありません」
今度は雨彦がクリスを見る番だった。
「申し訳ありません、想楽。誤解させるようなことをしてしまい」
「そうなの?僕、てっきり既に二人はつきあってるものだと思ってたんだけどなー。もしかして、隠されてる?」
「そんなことありません。もし恋人ができたら、想楽にも雨彦にも真っ先に報告しますから」
「そこは先にプロデューサーさんじゃないー?」
確かに、とクリスも頷いたが、それでも二人にはすぐに報告します!というクリスの様子に想楽は笑みを浮かべていた。
一方、雨彦はクリスから目を離せなかった。
「……雨彦?どうしたのですか?誤解は解けましたから、気にせず召し上がってください」
といっても雨彦がご馳走してくださっているものですが……と呟くクリスの手を掴み、雨彦が立ち上がった。
「古論、ちょっといいか」
「は、はい……?」
「北村」
「はいはい、ごゆっくりー。あんまり遅いと二人の分も食べちゃうからねー」
悪い、と言い残し、雨彦はクリスを連れて店の外へ出ていった。
「人はいさ、心も知らずーーなんてね。健闘を祈るよー」