5:Kissing 一日の鍛錬が終わり、食事も歯磨きも終えてあとは布団に潜って眠るだけ。
今日の出来事を振り返ってみると、思い出すのはとても過酷だった波紋の鍛錬と、命懸けでした鍛錬と、毎日続けている基礎を固めるための鍛錬……そこまで考えて、あれ? 鍛錬しかしてなくない? と気付く。
鍛錬以外の記憶といえば三度の食事と風呂ぐらいのもので、おれは一日に占める娯楽の割合が圧倒的に少ないことを改めて実感したわけである。
控えめに言ってこれはまずい。精神衛生的にも非常に良くない。そして同時にこのまま何もしないで一日を終えることはできないという使命感に駆られた。
自室の壁に掛かる時計に目をやると、おれと同じぐらい勤勉な二本の針はおよそ二十二時過ぎを指し示している。今日が終わるまであと二時間もないが、見方を変えればまだ二時間程度はあるとも言える。
思い立ったが吉日というので、早速おれは鍛錬に大部分を攫われてしまった今日という日の娯楽を取り返すべく、身一つのまま自分の部屋を後にした。
「シーザーちゃ〜ん! あっそびっましょ〜!」
「うるさい! こんな夜中に突然何の用だJOJO!」
というわけでやってきたのは隣の客間、シーザーの部屋である。やはり何かをして盛り上がりたいなら人数は多い方がいい。彼はベッドの側にあるサイドテーブルに備え付けられた丸椅子に腰掛け、なにやら分厚い本を読んでいる最中のようだった。
とはいえ突然の来訪に部屋の主は声を荒げておかんむりのご様子。勿論おれはそれを無視して自分の部屋とよく似たレイアウトの部屋に侵入し、そのまま勢いよく彼のベッドにダイブする。こういうのは入ってしまえば勝ちなのだ。スプリングの弾力に揺られながら身体を起こし、シーツの海の中心で胡座をかいて眉間の皺がすごいことになった彼に語りかける。
「いやァ、よく考えてみろって。今日のおれたちがしたことを思い出してくれよ」
「はあ……? そりゃあ、丸一日鍛錬していたが」
「そう! それなのよ!! おれたち、今日鍛錬しかしてねぇんだよ! まだまだ今日という日を遊びきれてないっつーのに!」
「阿保か! そもそも此処へは遊びに来ているんじゃあないんだ、当たり前だろう!」
怒りよりも呆れを全面に出した様子でシーザーは言う。
無論俺だってこの島へ遊びに来ているつもりは無い。波紋の修行をし、解き放たれてしまった柱の男たちという脅威を倒すためにリサリサをはじめとする師範代たちに鍛えてもらうために此処にいるのだ。さらにおれの体内には遅効性の毒薬が二つも埋め込まれているのだから、いくら努力とガンバルという言葉が嫌いなおれでも、文字通り必死に日々の鍛錬に取り組んでいる。
だが『此処へは遊びに来ているんじゃあない』ということと、『遊びに来ているんじゃあない』から日々に娯楽を求めてはいけないというのは話が別だ。おれとしては厳しい鍛錬の毎日だからこそ、一日のうちに細やかな娯楽を享受しそれを愛したいと思う。別にサボってるわけじゃあないんだから、そんなに神経質にならなくても良いのに。
大方そのようなことを主張してシーザーに反論すると、多少は納得してくれたのか、深く溜息をついて渋々この部屋に滞在することを了承してくれた。やはりこの男、押しに弱い。入ってしまえば勝ちという認識は間違いではなかったようだ。
「……仕方ない。と言ってもこの部屋には特になにもないが」
「えーッ! まじかよ、シーザーの部屋なら何かあると思ったのに」
おれたちが滞在するこのエア・サプレーナ島は絶海の孤島。そもそも娯楽に欠けている。いくら四方を綺麗な海に囲まれているとはいえ、毎日飽きるほど泳いでいるので水遊び程度では娯楽にもならない。星空を移す黒い海辺の散策は感傷に浸りたいときには最適だろうが、今は景気良く楽しいことに身を投じたい気分だったので少し違うなという結論に至った。だからシーザーの部屋で何かしらのゲームなどで遊ぼうと考えていたのだが。
「娯楽と言ってもな……本か雑誌ぐらいしかない」
「トランプの一つもねえの?」
「そりゃあ、遊ぶつもりで来ていなかったからな」
どこまで真面目なんだよコイツ。もしかするとおれたち二人以外の誰かであればそういった素敵なアイテムを所持しているかもしれないが、流石に夜も更けた今から訪ね回る気に慣れなかった。それに師範代達、特にリサリサにこの話をしたとすれば、きっと「まだ体力が残っているのならば、今から追加の鍛錬を与えましょう」なんて言ってとんでもないことになる気がする。いや、気がするどころの話ではない。いくら娯楽の追求に余念がないとはいえ、彼女達のところを巡るにはリスクが高すぎる。触らぬ神に祟りはないのだ。
おれは膝と腕を使ってベッドの上を移動し、シーザーのいるサイドテーブルの方へ近づく。その上には彼所有の本が何冊か並べられているが、背表紙を見る限りどれも彼の母国語であるイタリア語で書かれたもののようだった。読書自体は嫌いではないものの、文字が読めなければ楽しむどころの話ではない。おれは少し躊躇してから、まだ内容が分からなくても楽しめそうなファッション誌を手に取る。手慰みにページをぱらぱらと捲ってみるが、正直言って細部まで読み込もうという気分にはならなかった。
「おれ、イタリア語は読めねえんだよなァ〜」
「もう寝るしかないんじゃあないか……」
「それは嫌だ!」
遊びたいという欲とやることがない現実の折衷案として、今日のところは何をするわけでもなく、ただ消灯までシーザーの部屋で過ごすことに決めた。部屋の主は相変わらず迷惑そうな顔をして読書を再開し出したが、多少話しかけても受け答えしてくれるので結構優しい。
先ほど手に取った雑誌をベッドの上に広げ、自分もそこへ転がりながら写真を眺める。時たま気になる内容の単語や文章が出てきたときはシーザーに尋ねるとすぐに翻訳してくれるので、思っていたよりは快適に読み進めることができていた。ただ単語を読み上げたときに笑うのはムカつくのでやめて欲しいところだ。こちとらイタリア語の発音など知らないのだから、いくら舌足らずに聞こえたとしてもそこは耐えて欲しいと思う。
そうして読書に専念することで厳しい波紋の鍛錬のことを一時的に忘れ去ろうとしていたのだが、どれだけリラックスしようとしても、顔の半分を覆い隠す矯正マスクの息苦しさがおれの思考に鍛錬の文字を引き留め続ける。最近は眠っている途中に波紋の呼吸をやめてしまい、息が詰まって目が覚める……なんていうのは此処のところ少なくなってきた(無いわけではないのが困る)ものの、それでもまだ意識しなければ波紋の呼吸を続けることは難しい。マスクによっておれの意識には常に修行の影が付き纏う為に、このままではいくら気分転換しようとしても叶いそうにない。何とかしてくれないものだろうかと、一縷の希望をかけてシーザーに声をかける。
「なあ〜シーザー、このマスク外してくんね?」
「駄目だ。リサリサ先生にも言われただろう、食事と歯磨き以外の時は外してはならないと」
「これじゃあ折角の休息も休めねえんだって」
シーザーはこちらを一瞥することもなくキッパリと拒絶の言葉を吐いた。押しに弱いこの男だが、リサリサの言いつけについては頑なに守り抜こうとする。何となくこうなるだろうとは思っていたが、いざ実際に拒否されてみても、すぐに諦めようという気にはならなかった。
「眠る前の今だけでいいから……ねッ?」
「いい加減にしろ。聞き分けのない奴だな」
「んだよ、自分は着けてないからって酷いこと言うよなァ」
そう言いながらも自分で外せないか試みる。普段自分以外の波紋使いたちに装着してもらうときのことを思い出しながら、後頭部に回るマスクのベルト部分に手を当てる。そして波紋のエネルギーを触れた指先に集中させて流してみるが、やはりというか、うんともすんとも言わなかった。やはり装着した本人の波紋では外せない仕組みになっているらしい。
「頼むからさぁ、お願いだって」
「駄々をこねるな……そろそろ怒るぞ」
此処まできたら半ば意地だった。何としてでもシーザーにこれを外してもらおうと全力を尽くす。最早開いた雑誌も視界に映る風景の一部と化し、おれはお願いの言葉を発する度に徐々に苛立ちを露わにしていくシーザーの様子を見つめていた。彼は普段の生真面目そうな印象に反し、意外と頭にきやすい性質をしているので、このまま続けていればきっとキレておれはこの部屋から追い出されてしまうだろう。だからそうなるより先にあの手この手でシーザーの心変わりを狙う。そうしてこのマスクを外してもらえれば俺の勝ちだ。
完全に当初の目的と外れている気もするが、俯瞰して見るとこの一人で行う賭け事のような遊びも娯楽の追求という枠内にあるので誤差のようなものである。多分。
しかしおれの素晴らしい試みを知らないシーザーは、そろそろ我慢の限界と言った様子だ。初めて視線を書面から外し、こちらを睨みつけるように見る。
「何度言っても同じだ。俺はそれを外さない」
「もォ〜! ほんっとに堅物すぎンのよ! シーザーちゃんが外してくれないと、このままじゃキスもできないわよ!」
敢えて裏声でそう言い放ってみると、シーザーは二の句を告げない様子で固まってしまった。いつかドイツ軍基地へ侵入しようとした時のことが脳裏を過ぎる。どうやら流石にキレたらしい。初っ端から手を間違えたか? と冷や汗が滝のように流れ落ちていく。シーザーは片手で顔を覆いながら、おれがこの部屋に来た時よりも盛大な溜め息をついた。
「そんなにキスがしたいのか?」
そう言い放った声は地を這うように低く、彼の瞳の色は普段のそれよりずっと扇情的な熱を灯していた。思わず背筋がゾワっとする。どうして背後に何かが這った感触を覚えたのか、その感情の理由をすぐに噛み砕くことはできなかった。それでも、ああこれがスケコマシの顔なのか、と漠然と思った。そんな表情をまさか自分に向けられるとは思っていなかったので、おれの心臓はどくりと跳ねる。
しかし此処で引くと怖気付いたみたいで格好がつかない。だって相手はシーザーだ。それにこっちは目の前の男より身長も体格も大きな野郎なのだから、冗談でも女好きのコイツがおれにキスなんてできるわけがない。きっとそうだ。だから敢えて挑発するように上体を起こし、微笑みながら「そう言ってるだろ」と上目に言った。
少しして、彼は言葉もなく椅子を立つ。一歩、二歩、とおれのいる方へ歩を進め、シーザーは膝をベッドに乗り上げる。彼は慣れた手つきでおれの頭の後ろへ両手を回すと、なんの躊躇いもなくあっさりとマスクを外した。その時彼から流された波紋の余韻がうなじ辺りに流れ、突如走った衝撃におれは反射的に肩を震わせてしまう。今までシーザーにマスクの着脱をしてもらう際、こんな風に波紋のエネルギーが拡散することなどなかったから、おれは初めてのことに一瞬何が起きたかもわからなかった。
(———ビリッときたのが何かはよくわからねぇが、でも確かにマスクは外れた! 俺の勝ちだぜシーザー!)
息苦しいマスクが外されたことで素敵な安息を得ることと、賭けに勝ったことによる二重の満足感に心の中でガッツポーズを決める。
だが手放しに喜んでいられたのも束の間、それなりに重量のあるマスクが布団の上に落ちるや否や、マスクを外したシーザーの掌がおれの顔をがっしりと掴んだ。
「……へ?」
みるみるうちに縮んでいく互いの距離と、鼻腔をくすぐる清涼な石鹸の香り。突然のことに驚いて身体が自分のものでなくなってしまったように硬直する。目線を動かすことすら難しかった。大輪の花が開いたようなオリーブグリーンの虹彩におれの間抜けな顔が写っている。熱っぽい欲の滲む瞳が一直線に自分を捉えている事実がどうしようもなく耐え難くて、思わず息をするのも忘れてしまうほどなのに、何故だか視線を絡めることをやめられない。突然のことに何のつもりだよ、という疑問の言葉は空気を揺らすよりも前にシーザーの唇によって喉の奥に押し戻されてしまった。
一瞬間を置いて、ようやくおれはシーザーにキスをされたという現実を認識する。今もなお目の前の男は触れるだけの優しい口付けを何度も落としてきて、ほのかな熱が唇を掠める度に霹靂が身体を貫くような衝撃を感じた。
まさかシーザーがおれにキスをするなんて思ってもみなかった。先ほど抱いた確信に近い予想は呆気なく裏切られてしまったわけである。どんな女性であってもその人を笑顔にする為だけに惜しげもなく愛と献身をささげるこの男が、まさか、おれに。混乱で思考がまとまらない。
実を言うとこれがおれにとってのファーストキスなのだが、こんな形で奪われることになるとは。初めてだとかそういうことに特段のこだわりは持っていないが、それでも少しは思ってしまう。さようなら、おれの初めてのチュウ。現実逃避がやめられない。
だがシーザーとキスを交わしている現状への驚き以上に、その行為に抵抗や嫌悪を微塵も感じていない自分自身に対して最も動揺していた。本当に、どうなってしまったのだ。おれもお前も。混乱するおれを意に解さず、シーザーはちゅ、ちゅ、とわざとらしくも可愛らしいリップノイズを立てながら、角度を変えて何度も春先に注ぐ柔らかな雨のようなキスを降らす。
しかし時間が経つにつれ多少状況にも慣れてくる。やっとのことでこの奇天烈な事態を収拾しなければという気持ちになって、おれは上半身を支えるためにベッドに付いていた腕の片方を持ち上げ、抵抗の意味をこめてシーザーの胸板を押す。すると何の合図と捉えたのだろうか、想定に反して彼からの口付けは止まず、むしろ強張って力のこもるおれの唇にシーザーの舌が這った。
舐められた、と理解するよりも先にどちらのとも分からない唾液に濡れた唇の隙間から、自分のものとは思えない湿っぽい吐息が漏れ出す。その声がおれの身体の中を駆け巡る羞恥と沸騰しそうなほどの熱を自覚させ、うっかり上体を支える方の腕から力を抜いてしまった。それを見逃さないと言わんばかりに頬に添えられていたシーザーの掌の片方がおれの背中にまわされ、後ろに倒れ込むのを防がれた。
「……ッんぅ!?」
シーザーの腕に受け止められた際の衝撃に思わず目を開くと、思った以上にシーザーの顔が近くにあって改めて驚く。色素の薄い睫毛の隙間から彼の綺麗な緑の瞳が覗いていて、それを意識した途端囚われたように動けなくなる。こっちの反応を窺って楽しんでいるのだろうか、彼は歯を立てることなく彼の唇によっておれの下唇を喰み、そのまま軽く吸い上げる。ちりりと走る痺れにも似た微弱な痛みを感じたかと思えば、それを慰めるように再びキスを落とす。甘やかすような攻めに蕩けていると、シーザーはゆっくりと唇の隙間に舌を差し込み歯列をなぞった。直接的な刺激に思わず腰が揺れるが、何故だか思考はやけに冷静を保っていて、これ以上はまずいと警鐘を鳴らし続けている。
「ん、ん……ぃ、ざぁ……」
名前を呼んで静止しようとしたが、シーザーは返事をすることもなく攻めの手を止めない。むしろ声を出すために口を開いたのを良いことに、あれよあれよと言う間に舌を口内にねじ込んできた。初めての感覚に思わず叫びそうになるが、なけなしの理性とプライドがそれを抑える。彼の熱い舌はおれの口の中を蹂躙していく。たまに思い出したように口蓋や歯列を撫であげるので、どうしても声が漏れ出てしまう。シーザーから送り込まれる唾液は何故だか脳が痺れるぐらいに甘く感じてしまうし、舌を吸い上げられてしまうと本当に頭がおかしくなりそうで怖かった。
最早何の役にも立たず、力なく布団の上に投げ出した手でシーツを掴み、身体を蝕む熱を逃がそうと懸命に努める。彼が舌を差し込む角度を変える度にはしたない水音が鳴って、その音を拒むべく身体を捻れば、そうはさせないとシーザーはおれの方へ体重を寄せる。
そうしているうちに一体どれだけの時間が経っただろうか。おれには終わりが見えないほどに長い間キスを交わしていたような気がするが、実際はそれほどでもないのかもしれない。どっちにしろ、おれには時計を確認するほどの余裕はなかった。
ようやくキスの嵐が過ぎ去ったとき、最初は上体を起こして座っていたはずのおれはいつの間にかリネンの海に沈むように仰向けに横たわっていた。眼前にはむすっとした表情のシーザー。彼は両手をおれの頭の横に置いて、押し倒すような(実際に押し倒している)姿勢でベッドの上に乗り上げている。
「ほらよ、お望み通りにキスしてやったぞ」
言葉を発した際に二人の間に引いていた細い銀の糸が切れる。久々に聴いたシーザーの声は少しだけ掠れていて、すでに情緒が馬鹿になってしまっているらしいおれはその声を聞いてまた身体が熱くなるのを感じた。
色々ありすぎて情報や感覚を整理できずに浅い呼吸を続けることしかできないおれだが、それでもシーザーが憮然とした態度をとっていることには納得がいかない。確かにキスがどうとか言い出したのはおれだけど、お前だってノリノリで舌絡めてエグいキスしてきたじゃん。このスケコマシめ。
だが心の内で浮かんでは消える不平不満はどうにも言葉にならない。身体はまだ熱病に侵されたようになっていて、心拍数は全力疾走した後のように早まっているし、何なら心臓が喉元まで競り上がってきているような気さえする。まだ耳の奥に口内をかき回されるときのいやらしい音や自分が発したとは信じたくない嬌声がこびりついていて、感覚的にはそろそろおれの身体は発火してもおかしくない。人体自然発火でシーザーもろとも自らの恥ずかしい姿の証拠を隠滅させてしまいたい。思考がどんどんおかしな方向へ逃げていく。
「ったく、これに懲りたらマスク外せなんて我儘言うなよな」
ベッドの上に転がったマスクを手に取ると、子供をいなすような口調でシーザーは俺の髪を掻くように撫でる。その遠慮のなさはつい先程までキスしていたときのそれとは正反対で、おれはその手つきにえも言われぬ不快感を抱く。
きっとシーザーはこのまま何事もなかったかのように振る舞い続け、今の出来事が風化するまで見ないふりをしようとしている。直感的にそう思っただけだが、おそらくそれは正解に近いと思われる。
しかしおれはそれが許せない。だってそれは目の前の男が勝ち逃げをするということに他ならない。何せおれは今しがたシーザーに奪われていったそれが初めてのキス。波紋を流す手段にするほどキスに手慣れているコイツと違って、おれのポテンシャルはまだ未知数なのだ。練習をすればおれの方が上手くなるに決まっている。それを知らずに勝ち誇ったままでいられては、こちらの沽券に関わるというものだ。そろそろ自分が何を考えているのかわからなくなってきたが、それでもシーザーにやり返さなければ気が済まないと思う気持ちに疑いはない。
「……シーザー」
「なんだ」
おれの上から身体を引こうとするシーザーの、マスクを掴んでいる方の腕を掴む。色々言いたいことはあったけれど、長い言葉を整然と発せられるほどには身体の熱は引いていない。どうしたら少ない言葉で単純に伝えられるだろうかと思案しながら、おれは取り敢えず思ったことを口にする。
「もういっかい」
「…………は?」
自分の口から発せられた音は思ったよりも舌足らずだったが、シーザーの動きが止まったのでよしとする。さぁ、逃げるか逃げないか。そう問いかける気持ちで目の前のずるい男の瞳を見据える。駄目押しのつもりで乾きかけていた唇をわざと見せつける様にゆっくりと舐めると、彼は喉仏を上下させて生唾を飲み込んだ。
シーザーにはこちらのプライドを傷付けた責任をとってもらう必要がある。今度はこっちがお前を征服する番だ。そういう意思をもって挑発するように彼の身体に脚を絡めると、シーザーは本日何度目かもわからない溜め息を吐く。そして思惑通りに彼はおれの身体に身を寄せてきたので、自然と上がる口角を隠すこともせず、おれは絶対に逃してやるものかという意思と共にシーザーの背中に腕を回した。