伽藍の堂の柔らかな縁注意!
ぐだお×カリオストロの作品となっております
伯爵や他キャラの解釈の違いなどがあるかもしれません
誤字脱字は友達ですお許しください
ぐだおの名前は藤丸立香としていますが、個人的な感覚によって名前を“藤丸”表記にしています
(立香表記も好きなんですが、作者的にどうも藤丸のがぐだおっぽい気がしてそのようになっております)
以下キャラ紹介
藤丸立香:カリオストロの事が色んな意味で気になっている
カリオストロ:絆マフォウマ、聖杯も沢山入ってるどこに出しても恥ずかしくない伯爵。つよい。最初以外は最終霊基の気持ち
蘆屋道満:藤丸からはでっかいネコチャンだと思われている。ネコチャンなので第二霊基でいてほしい、可愛い
伽藍の堂の柔らかな縁
招かれた部屋に足を踏み入れる。
ぐるりと瞳だけを動かして見渡した部屋の内装は、呼ばれたその日に宛てがわれた己の物との違いは見られず。然れども、置いてある小物や知識としてしか知らぬ菓子の類が、確かに自分を此処へ招いた主人の物であるのだとカリオストロに実感させた。
そう、呼ばれたのである。
仮にも彼の命を奪おうとした“プリテンダー”である自分を、このカルデアにも、あろうことか自室にも呼び込んだ。カルデアのマスターの人間性を知っている為に警戒は特にしてはいないが、如何にも怪しむべき己に何故声をかけたのか、という違和は残る。
鬼が出るか、蛇が出るか。何方が出ても少しは楽しめるか、といつも浮かべている笑みを貼り付けて、カリオストロは仕えるべき主人を表す単語を口にした。
「マスター」
「ああ、伯爵。来てくれたんだ」
「お呼びとあればこのカリオストロ、何時如何なる時も馳せ参じますとも。とは言え、何故陛下の私室に呼ばれたのかは見当もつきませんが」
「急に呼びつけてごめん。普段はランダムでマイルーム担当を変えてるんだけど、無理言って暫くの間は貴方になるよう固定してもらったんだ」
苦笑いをしながらベッドの端に座ってる藤丸を見たカリオストロは、誰が見ても完璧だと言うような微笑みを浮かべて、藤丸の側へとゆっくり歩み寄る。「伯爵と話がしたくてさ」と話し続ける主人の前に立ち、流れるように跪いてカリオストロがその表情を窺えば──澄んだ瞳を溢れ落ちそうな程に開いて、酷く驚いている己がマスターの顔がそこにあった。
「いやいやいや! 何で?!」
「はて。何、とは?」
「呼んだの俺だし話がしたいだけだし! 隣に座って!?」
「……陛下のお望みとあれば」
ボスボスと、自らの横を叩く藤丸のすぐ側にカリオストロは腰掛けた。ギシ、とベッドのスプリングが軋む音に藤丸は安堵の息を軽く吐いて、自分の指示を聞いてくれた男に改めて向き直る。
「うーん、緊張とかはしてない?」
「ええ。己がマスターと会話をするのに緊張などは致しません。貴方であれば尚更に」
「……酷いことをするとは思わないんだ」
「しないでしょう?“あの場”ですらソレをしなかった貴方が、此処でそのようなことをするとは到底思えないのですが」
「そりゃあ勿論、しないけどさあ」
眉を寄せ、ツンと拗ねたように唇を突き出す青年のあどけなさに、カリオストロは左右で色の違う瞳を意外だという風に丸くした。かつて出会った場所では見られなかったその表情は、興味に似た感情を空虚な胸の内にいとも簡単に植えつけていく。
唐突に沸いた感情を咀嚼し、味わうかのように目を閉じたカリオストロを、藤丸は明るい瞳で見つめてから、「カリオストロ?」と彼の敬称ではなく名前を唇に乗せた。彼の反応を見るのが楽しいと捉えられるような、そんな表情で口を開いている。
マスターのその声に促されたのか、すぐに瞼を開いたカリオストロの様子を満足気に見つめ頷いた藤丸は、「酷い事は良くないけどさあ」と弾むような調子で話しながら、右手をカルデアから支給された服のポケットに入れて、しまい込んでいる何かを取り出そうとしている。
カリオストロはそんな藤丸を不思議そうに眺めて微笑んだ。彼が何をしようとしているのか。それを知る為だけに黙って笑んだまま、男はじいっと主人を見定めている。
「お。あったあった」
「陛下? 一体何が────、あ?」
「うん。酷いことはしないけど──これ、返すね」
藤丸が発した言葉と殆ど同時に、カリオストロの胸の位置──心臓がある場所の上に“何か”がどすり、と突き立てられる。唐突に訪れた衝撃に息が詰まるも、サーヴァントである以上そんな攻撃だけでは問題など生じないカリオストロは、努めて冷静に現在の状況を把握していった。
胸にあるのは、あの廃棄孔で己が彼に突き立てた刃と同じ物。何故マスターが同じデザインのソレを手にしているのかは知り得ないが、返すとはこういうことか、とクツクツ笑いが漏れてしまう。
しかし、突き立てられた筈の胸に多少の衝撃はあったものの伴う痛みは無く、不思議な心地のまま凶刃を瞳だけで見下ろす。柄はしっかりと胸に押し当てられ、その刃は己の胸の中ではなく柄の中に──しまわれている? 事実を理解し終えた瞬間に、カリオストロの口から「は、」と気の抜けた息が出ていった。
「──玩具?」
「正解。知らない? こんなオモチャ。デザインは覚えてたから、エミヤに強請ってどうにか投影して貰ったんだ」
「なんと、まあ。これだけの為に?」
「そう。どんな意図があれ、折角来てくれた貴方を傷つけるのは……何か違うと思ったからさ」
「……お人好し、と良く言われませんか?」
「あは、すんごい言われる。でも、嫌な気持ちになったのは確かだから、ちょっとの意趣返しだけでもってね! いやあ成功して良かった!」
ケラケラ笑いながら、カシャカシャと刃先を弄る藤丸をカリオストロは呆然と、何だか良く解らない感情のまま偽物の刃が突き立てられた箇所と藤丸を交互に見つめている。そんな彼を見た藤丸はにんまりとしつつ、「お返しはしたからね。これで恨みっこなし」と悪戯が成功した子供のように言ってのけた。
何事もなかった風に過ごす藤丸にますます混乱し、すっかり困ってしまって眉を下げているカリオストロに、彼は珍しい物を見たというような顔をした後、優しく目尻を緩めて口を開く。
「これからはゆっくりで良いから、色んな話をしていこうよ」
「……承知しました」
「このナイフどうしようかな、何にも出来ないオモチャだけど捨てるのも勿体無いよなあ」
「陛下に必要がないのなら、私に頂けませんか」
「ん? 良いけど……」
「本日の記念に、私の部屋に飾ろうと思います。この素晴らしき日を、忘れぬように」
怪訝そうに「飾る……?」と言いながら渡された軽い質量のソレを、カリオストロはゆっくりと握り込む。文字通り、“胸を貫く衝撃”を受けた物が、記念にならない筈はないだろう、と思いながら。
些細な痛みすらなかったというのに、未だに残るジクジクとした胸の疼きに疑問を抱きながらも、藤丸に悟られぬよう先ほどと全く同じ微笑みを貼り付ける。どんな額に入れて、どの位置に立て掛けようか、なんて己らしくもないことを考えながら、カリオストロはずっと玩具の刃を指先で弄り回していた。
⬛︎
折角マスター自ら強請られたのだから、と暫くの間自主的に彼の元に侍るような真似をし、部屋の中で二人、取り留めのない話をしてはどちらともなく笑う。そんな穏やかな時間ばかりを過ごすかと思えば、途端にハプニングが起こり言われるがまま彼の指揮で戦闘に入る事もあって。
バタバタ忙しなくなりつつも、共に居る時間が増す度にマスターの顔にはゆるりとした笑顔が浮かぶ回数も増え、此方を労るような言葉の量も同じくらいに増えていく。
随分と平和で酷く退屈な場所に居ることを自覚しながらもカリオストロは、そんなマスターの側に居ることが出来る権利を早々に手放してしまうのは如何なものか、と惜しむような感想を抱いていた。
だが、手放し難いと中々横柄な考えを持ちながらもその胸の内は、一つの懸念で満たされている。
彼の手によって傷つけられた胸に未だ残る疼き、その“傷”に寄り添うように塊となって、確かにその場所を埋めるように存在するその懸念とは──。
「うわ、カリオストロか。ビックリしたー……」 一回目。
「お、おぉ……。」 二回目。
「おあっ?! ……前見てなかった! ごめん!」 ……三回目。
「……左様で」
これである。マスターが己の前に立ち、見上げる度。
澄んだ空と見紛うような目をすっかり見開き、とても驚いた表情を見せるのだ。
確かに、彼よりは上背も厚みもある自分がいきなり正面に現れれば、幾ら知った顔であったとしても驚いてしまう、というのは多少なりとも理解出来る。彼の地で“前科”と呼ぶようなものがあるカリオストロは、その事について言及や追及をするつもりは微塵もなかった。──それについては。
カリオストロ唯一の懸念は、マスターである藤丸が“己にのみ”その様を見せることである。
許される範囲で閲覧したデータの中にあったプロファイルには、かつて彼の敵であった者やカリオストロよりも遥かに体格の良い者達が山ほど存在することがしっかり書かれてあった。
その面々に藤丸が怯えや恐れ、驚きを見せるかと言われればそんなことはない。カラカラと太陽のように笑い、実に楽しそうに会話を弾ませているのをカリオストロは自身の目で数度、目撃している。
では、廃棄孔の関係で召喚されたのが宜しくなかったのか。それも否、である。
同じ時期にカルデアに召喚された、あの場で全身全霊を持って藤丸を守ってみせた暗殺者や、黒き百合として招かれた麗しき女王陛下にそんな表情を見せた所を、少なくとも自分は見た覚えがないのだ。
最後の最後にだとしても、“彼の元で戦ったのだから当たり前だろう”と言われてしまえば、最期まで敵対していた己に言い返す言葉はないのだけれど。
そして、藤丸の心中を理解するという、ただでさえ悩ましいこの事態の渦中に一人のサーヴァントが加わったことで、解決への道が更に遠のいてしまったのを感じ取りながら、カリオストロは件のサーヴァントとマスターを微笑みつつ眺めていた。
アルターエゴ、キャスターリンボ。──真名、蘆屋道満。
かつての聖杯戦争で、己の霊器を散々に弄り回しその情報をすっかりと書き換えてしまった男。その因縁とも呼べぬ浅い関係についてはさて置くとしても、同じく異星の使徒“だった”同志であり、藤丸立香の命を狙った男が。
隣で見ている此方が驚愕するほどに気安く、されど元の調子はそのままで、最初から何事もなかったかのようにマスターと接してさえいなければ、何も悩むことなどなかったのだ。あるいは。
道満と対するマスターが驚きも怯えもなく、呆れた様子ながらも眉を下げ優しく笑うその表情を見なければ良かった。そうすれば。
──この懸念を早々に放り出すことが出来た筈なのに。
「ンンン! ご機嫌は如何ですかな? 我が主♡」
「……お前がそんな上機嫌で来ると、嫌な予感しかしないなあ」
「なんと、そのようなことを思われていたとは。拙僧、悲しみのあまり涙が溢れてしまいそうに────まあ、出ませんが」
「はいはい。で、どうしたの? 何かあった?」
「いえ、普通に会いに来たのです。マイルームの担当をサラッと変えられたので、何事かと」
「あー、もしかして担当道満だった?」
やいのやいのと、部屋の扉のすぐ側で仲睦まじく会話をしている。とても楽しそうに。両者とも、恐れる要素など万に一つもないかのように振る舞っている。
マスターの私室で過ごすサーヴァントがランダムで決まるというのは耳にしていたが、よりにもよって己と交代したのが彼だとは。カリオストロは浮かべた笑みの下でこっそりと眉を顰める。ガンガンと頭の中に延々と鳴り響く『何故』の声を追い遣って、笑顔のまま藤丸の隣に立ち続けた。
「漸く拙僧の番になったかと思えば、交代だと言われ……。話の内容も解らず結果だけを聞かされた時、どうしてやろうかと」
ピン、と道満が指で藤丸の額を弾く。
サーヴァントからしてみれば柔らかい物に触るように力を緩めたものであるが、藤丸からすれば力いっぱい引いたゴムを放され勢い良く弾かれたような感覚である。「いてっ」と声を上げながら赤くなった額を摩り、道満の機嫌を損ねてはならぬ、と謝りつつも負けじと彼に言葉を返す。
「ごめんってば。でも、お前の時もそうだったんだからな? 確かあの時は頼光さんに代わって貰ってた筈だよ」
「ンン?! それは、大変失礼を致しました……。もしや拙僧、温情でもって生かされているのでは?」
「多分ね……。これは新人の、特にお前やラスプーチンとかみたいな奴の通過儀礼だから諦めてよ」
「む、そう言われてしまうと困りますなあ」
「今回が伯爵のターンてだけだから、終わったら直ぐにお前呼ぶし。カルデアスペシャル羊羹を賭けた変顔バトルはまた今度やろうな……」
「……なんと?」
意味を良く理解出来ない言葉が、藤丸の口から連なって出ていくのに耐えられず、反射的に聞き返すという愚行をカリオストロは犯してしまった。途端に向けられる四つの瞳に身動ぐも、「失礼」と一言だけの謝罪を述べてどうにか平静を取り繕う。
道満はそんなカリオストロの心情を知ってか知らずか、遣った瞳をすぐに逸らし如何にも気に入らない様子でフン、と鼻を鳴らした後不機嫌な顔を隠さないままマスターの前でしゃがみ込んだ。
突拍子もない道満の行動にも藤丸は慣れているのか、「またあ?」なんて笑いながら道満の短くなっている方の髪に指を差し入れて、くしゃくしゃと優しくかき混ぜている。
愛玩動物のように撫でられているのに止めることも起こることもせず、ただ黙ってその手を享受している道満をカリオストロは見ている事しか出来ずに、カチコチと時間だけがその場で過ぎていった。
過ぎる時に比例して道満の機嫌も回復しているようで何よりだが、「擽ったいですなあ」とコロコロ笑った後に感情が微塵も読み取れない瞳が此方をギョロ、と視認してくるのに思わず眉を寄せてしまう。一体何だというのか、解らないことだらけの邂逅にカリオストロは珍しく溜息を吐きそうな心地になった。
「はい、終わり」
藤丸の声と共に、その手にうっとりと顔を寄せていた道満が顔を上げる。唇は弧を描いているものの、物足りげな様でしゃがみ込んだまま藤丸を見つめていた。
「ンンー……。もう終わりなのですか? もっと時間をかけて可愛がって頂いても宜しいのですよ?」
「終わりおわり! 部屋に戻ってお話するからさ、また今度ね道満」
「……はあ、仕方なし。今回ばかりは其奴に譲ると致しましょう。全く、忌々しい」
ジトリとした視線でカリオストロを睨む道満だったが、藤丸が名を呼びながらくいくいと腕を引っ張ればすぐにその瞳は主人の元へと向けられる。
様々な感情を込めて一人を睨め付けていた瞳が、向ける対象から外れた瞬間にその色を収めるのを藤丸は若干引いた目で見つつ、非常に解りやすくカリオストロに敵意を見せる道満に、反省が見られないからと光の無い目で有罪を言い渡した。
「アそう。それはそうと、反省してなさそうだから後でなぎこさんに突撃申請出しておくね」
「は、はあ?! 一体何故!!」
「うるせー! 俺はまだあのマッチポンプ許してないからな! オラ早く部屋戻れオラ!」
ゴロゴロと喉を鳴らしている幻覚が見えそうなほど、髪やら頬やらを撫で回されていた男は終わりを宣言した藤丸の手によって雑に追い払われていた。「全く!」と言いながら溜息を吐く藤丸が、そのまま会話に入れず立ち尽くしていた男の方へと向き直る。
正面から見てしまったその表情の明るさに、カリオストロは無機質な廊下の床へと視線を落とした。自分が相手ではきっと出しはしないであろう表情を見てしまうのが、どうしてか気まずいと感じてしまったが故に。
「ごめんね、待たせちゃった。とりあえず部屋入ろうか、伯爵」
「……ええ、陛下」
私とアルターエゴの彼とでは、何が違うのだろうか。マスターの謝罪を聞きながらカリオストロは考える。
クラスの所為では?──確かに己が身はプリテンダーなれど、彼も一度名前とクラスを偽っている。関係はない、筈だ。
呼ばれてからの経った日数?──それなりに此処で過ごしているとは言えど、日数は彼に及ぶ訳もなく。
かつてマスターに対し行った非道の数か?──大差などないだろう。等しく外道の限りを尽くし、その命を狙ったのだから。
では、性格の違いか?──私もあの男を真似てペットのように蹲れば、その一欠片でも近づけるのか。
いっその事、直接問うてしまえば胸を占める“何故”の渦から逃れられるのではなかろうか。
グルグルと回ってしまう考えを抱えたまま、カリオストロは声に従い藤丸の私室へ入っていった。
⬛︎
「──と、いう訳なのですが」
「う、うん……?」
「陛下が、どんな思いでいらっしゃるのか。……私に教えては頂けないでしょうか」
「や、そういう話をするのはこっちとしても願ったり叶ったり何だけど。……あの、伯爵?」
「はい」
「その、顔……近くない?」
ずい、とベッドに座っている藤丸の前に、まるで西洋で作られた人形のように整った顔が勢い良く迫り来る。
表情こそ穏やかに笑っているが宝石に見間違うほどの輝きを放つ瞳も、恐らく彼が持つその心も笑ってなどいないのだろう、と藤丸が察することができるくらいに、今のカリオストロには謎の違和感があった。いや、それにしても。
「近いちかい、顔が近いってほんと!」
「おや」
彼が今の状態になるまでの経緯がどんななものであれ、整い過ぎた顔面が口付けでも出来るような距離にあるのは些か心臓に悪いだろう、と軽くの仰け反ることで少しだけでも距離を離す。カリオストロはそんなマスターの動きに目を丸くして、残念そうな声色で反応を返した。
男らしく太い眉がキュ、と悩まし気に寄せられ下がる。ともすれば相手に判断を間違えたと思わせるほどの、傷つけてしまったような、そんな表情をカリオストロはしていた。「あ、」と藤丸の口から殆ど吐息のような音が漏れる。
俺が、そんな顔をさせてしまったのだろうか。“俺のサーヴァント”となってくれた彼にそんな表情をさせてしまうのは嫌だ、と後悔染みた感情に襲われながら、カリオストロの顔に手を伸ばそうとして──寸での所で止められる。
彼が藤丸の手を取って、柔く握り込んだからだ。
手が届かぬのなら、せめて名を呼んでやりたいと藤丸が息を吸い込み言葉を発するよりも、カリオストロが笑みを模った唇を開く方が早かった。「私が恐ろしいですか?」と穏やかと思えるほどの速度で唇が動く。
「──っ、は……?」
「あの時のように、貴方に迫る私が恐ろしいかと聞きました」
「なに、何の話をしてる?」
「他の者と反応が違うのは当然だと、割り切ろうとはしていたのです。例え同じ異星の使徒であったコヤンスカヤ殿や、ラスプーチン殿と貴方が素晴らしい交友関係を築いていたとしても」
「伯爵。ねえ、ねえってば」
「ですが」
自らの声を届けるように、藤丸は動揺を織り交ぜなから彼を呼ぶ。それでもカリオストロは止まらない、止まれなかった。此処まで言ってしまったのなら後は同じだと、堰き止められていた言葉が疼いていた胸から溢れるように飛び出していく。
「ですが、あの男が。蘆屋道満が許されて、私が許されぬのは何故なのです? ……マスター」
「貴方の元で戦った年月か? それとも毎夜語り合った回数なのか。何方も彼に及ばない私は、どうすればあの者と同じだけの想いを貴方から与えられるのか」
「お答え下さい、マスター。貴方の意向で霊基を誂え拵えて、リソースもそれ以上の感情も注ぎ込まれて醜悪な亀裂すら継がれたこの身は……結局見向きもされずに朽ち果てるのでしょうか」
藤丸は固まったまま動けない。
取られた手は振り払えずただカリオストロの瞳を、表情を受け止めてその声に耳を傾ける事しか出来なかった。
この手を払えば、顔にある亀裂のように払った指から段々とひび割れていき、終いには砕けてしまうのではないか。そんな想像を、冗談ではなく本気でしてしまったから。
彼の言う“誂えた霊基”とは、今のカリオストロの再臨霊基そのものを指している。
藤丸が彼の為に掻き集め準備した、ありったけのリソース全てを注いだ為に、今の霊基の状態は上限と言える場所まで高まっている状態だ。初めて出会った時の霊基ではなく、その服装や装飾はより華美になり、顔に走る特徴的な亀裂は所々金に染められ継がれたような煌めきが散らばっていた。
その在り方はまるで、とても大切にされているアンティークドールと見紛うほどの出来だと言えるだろう。カリオストロが本当に人形ならば、ショーケースに入っているだけで道行く者達の視線を奪っていくのだろう、と思えるくらいに美麗を体現した霊基になっているのだから。
己をこんな形にしたのは、貴方だと言うのに。カリオストロはそう訴えているのだと、藤丸はこの時初めて彼の心情を思い知ったのだ。
酷く動揺した表情をしている藤丸を見下ろし、歪に口の端を歪めて笑むカリオストロはぺたん、と彼の前に座り込んでその太ももにしなだれかかる。
先ほどの道満を真似たような、けれどもそれよりも更に媚びているような体勢と声色でカリオストロは懇願を口にした。
「あの男がしたように、猫の如く擦り寄れば。貴方の心。愛玩の枠、その縁だけでも頂けるのでしょうか」
──“愛”と称される物ならば、例え玩具に与えられる物だとしても構わないのです。
藤丸の足に頬を擦り寄せ、息を吐く。そろり、と答えを聞く為に顔を上げて──ふと、表情を綻ばせた。己が主人が余りにも強張った顔をしていたもので。自らの胸の内その全てを諦めた、そんな風に足元に居る男の肩を藤丸は引っ掴み力いっぱい引き剥がす。
ギリ、と強く掴まれた肩に視線を向けながら、「触れられるのも、お嫌でしたか」とカリオストロは言う。平然とした様で言ってのける男の、ヘテロクロミアの瞳はすっかりと凪いでしまっていた。ぐう、と藤丸は低く唸り険しい顔のまま彼の名前を呟き呼び掛ける。
「カリオストロ」
「はい、陛下」
「……俺がなんで怒ってるか、解る?」
「私に触れられ、あまつさえいやしくも愛玩の枠に入れろ、などと懇願したからでは?」
「そんな訳ないだろ。まず前提から違ってるんだ」
「前提?」
「俺は貴方を嫌ってなんかない。そんなの、一片たりとも思ったことはないし、態度にしたつもりもない」
「……それは、うそ、でしょう? “貴方のような”人が得意な、優しい嘘だ」
「嘘なもんか」
はあ、と深く、そして大きな息が藤丸の口から長い時間をかけて吐き出されていく。
自分はどこから間違っていた? 彼はどうしてそんな風に考えていたんだ?
未だ床に座り込みながら、困惑しつつも此方を見上げる顔に手を添えて、目尻の辺りに生じている亀裂をそっとなぞる。揺れる瞳を覗き込み、穏やかな表情を保ったまま努めて優しく問いかけた。どうして嫌われているなんて思ったのか、と。
「私を見た時。貴方は一度、必ず驚いているでしょう。体格の所為かと思えば違い、異星の関係かと思えばそれも違う。そうなれば、残る原因は私にあるとしか考えられない」
「……あ、ぁーー……。なるほど……」
「ふふ、心当たりがあったようで何よりで御座います」
カリオストロに当てている右手はそのままに、ぐっと天を仰いで残る左手で顔を覆う。
藤丸は納得するしかなかったのだ。行動に身に覚えしかなかったのである。自分の表情の動きは、彼からそのように見えていたのか、とひたすら自責の念に駆られていた。
頬に寄せられている手に頭を預けながら、カリオストロは主人の顔の覆いが外れるのをじっと待ち続ける。彼の色が、見たかったのだ。
失望か、焦燥に彩られているのか。それともまた別の色に満ちているのか。
マスターから向けられるのであれば、大抵の物は甘美に感じるのだろうと思っていたが。出来ることなら良い感情を向けられたかった、などと不毛な願いを今更抱くようになるとは。──手遅れにも程があるというのに。
カリオストロはゆっくりと目を閉じる。マスターの手が、閉じた瞼を撫でたような感触がしたのは気のせいだろうか。
「カリオストロ」
「……何でしょう」
「俺の方に問題がある、とは思わなかったんだ?」
「貴方が抱える問題が、私が贈った物であると知っていたので」
「そっ、かあ……」
頬や顎をチロチロ撫でられ、ひびの入った細かい割れ目にそっと爪を立てられて。カリカリと此方がうっかり寝てしまいそうなほどの力加減で優しく引っ掻かれている。
これは確かに、あのアルターエゴも上機嫌になるのだろう、と納得するくらいには心地良い時間。「答え合わせしようか」と、静かな声が染み渡るように部屋に響き、この時間の終わりを告げる。その宣告に合わせて、カリオストロは閉じていた瞼を開いていった。
「まずね、さっきも言ったけど。俺は貴方を嫌ってない。これは誰か神霊に誓っても良いよ」
「……解りました。一先ず信じることに致しましょう」
「ムッ……まあ、うん。それで貴方を見た時に驚いていたってのは──カリオストロが怖い、とかじゃないんだ。これは俺だけの問題で、貴方がやったことは一切関係ない」
「私は、関係ない?」
「関係ないよ。ナイフを返した時、言っただろ? 『恨みっこなし』だって」
藤丸はにひ、と笑いながら以前に玩具で刺した胸の上をくっ、と指で押し込んだ。
ツクリツクリと未だに疼くその箇所を、カリオストロはするりと一度撫でてから、まるで鼓動のように脈打つ其処を静かに手で押さえつける。そうでもしないと、何かが弾けてしまうと思ったのだ。
そんなカリオストロを見た藤丸はふ、と表情を緩めてから先ほどまでの話を継いでまた語り出していく。
「ええと、そう。単純に俺の感性の問題なんだよなあ、何と言えば良いのかな……。いつもニコニコしていて、とっても綺麗だと思ってる人が、ピッタリ静かに寄り添って居たらびっくりしない?」
「……きれい? 何がでしょう」
「いや、貴方が。少なくとも俺はカリオストロの事を綺麗で美しいな、と思ってるから、ふと顔を上げた時に凄くびっくりするんだよね。うわ、綺麗だな……って」
驚いた時の出来事を思い返しているのか、少し上を見ている藤丸をカリオストロは何とも言えない表情で見つめている。容姿が整っているか、と問われればそこそこの物は持っていると答えられるだろう。けれどもその質問は、カリオストロにとって意味などありはしないのだ。
表情も顔立ちも、身分、存在だって偽れる。改竄できる。周りから持て囃され聞こえてくる言葉は全て、取り繕ったカリオストロに贈られた物で、何もかもを取り払った後に残る伽藍堂に贈られた物ではない。それをカリオストロは知っているし理解もしている。
故に、己が“どんな存在であるか”を知った上で、称揚する言葉を発する人間が居ることが信じられなかった。とは言え、まあ己の造形が誰かの琴線に触れることもあるのだな、と思考を止めてしまえばそれで終わり。
逆に何もしていない自分の何処がお気に召したのか、カリオストロは問いかける。
此処には多種多様のサーヴァントが居る。己が一番という訳でなく、きっと好みの系統があっての発言なのだろうと。
胸の疼きが、じんわり広がる気配がしたが気のせいだと思うことにした。
「マスターは、」
「ん?」
「マスターは私の顔立ちを好ましいと思うのですか? 此処には私よりも麗しく加護もあり、如何にも英雄というような素晴らしい方々が居るでしょう。文字通り、山ほど」
「まあ、そうだね。ディルムッドとか、蘭陵王とかはもう輝いてるもんね、物理的に」
「ええ、ええ。そうでしょうとも。理想の顔があるのであれば、私の顔を変えることも可能ですよ。より陛下の好ましい形になるように調整致しましょうか」
「……は? 要らないよそんなの」
ばさり、気持ちが良いくらいにあっさりと提案を切り捨てられる。
それほどに不快な気分になったのか、提案を耳にした彼の顔はとても解りやすく顰められていた。首を傾げるカリオストロをジロリと睨め付けて、絶対に自身が抱く感情を理解させてやらねばならぬ、と決意を改める。
がしりと今度は両の手で膝近くにある顔を挟んで、丸くなっているその瞳と己の目をしっかり合わせていく。赤と緑に輝く瞳。一見何も宿していないように見える、グラスアイに似た瞳に自分が映り込んでいるのが解って、藤丸はそれは綺麗に微笑んだ。
「俺は別に、カリオストロの顔だけが好きなんじゃない。長い髪がサラサラ靡くのも素敵だと思うし、左右で色の違う瞳も好きだ。身体だって、身長も高いし筋肉もしっかり付いていて羨ましいよ。俺にはないものだもん。声だって低くて格好良い。俺もいつか、そんな声に成れたりしないかな、なんて夢見たりする」
「は、ン、ンン……?」
戸惑う声が聞こえてくるも、止めてなんてやるもんか。心の中だけで舌を出す。
居心地が悪そうに口をモゴモゴと動かす様子が何処か可愛らしくて、藤丸は結われている所為で露わになっている額を、手背で軽くなぞってみた。途端に眉が下がり、如何にも困っているというサーヴァントがこんなにも可愛いと、とうとう声を上げて笑ってしまう。大層愉快気に笑う主人を、カリオストロは下から眺め続けていた。
「今、俺の目の前に居る貴方だから好ましいんだ。廃棄孔で出会った伯爵でも、誰かを羽織ったカリオストロでもない」
「“お前”がカリオストロでもジョゼッぺでも、アシャラだってこっちは構わないんだ。今此処にいるお前を形容する言葉が一つあるならそれで良い」
「ねえ答えて。今の貴方は“何者”なんだ?」
「わたくし、は」
強制的に見上げる形を取らされているカリオストロは、強い意志を宿し光る瞳からは逃げられずその唇をただ動かそうとする。
言葉の波に溺れてしまいそうだった。はくり、はくりと震える口を必死に動かして揺れる声で言葉を紡ぐ。
「貴方の、サーヴァントです。詐欺師であり、王子でもあった、ただ一人の。貴方のカリオストロです、マスター」
「……うん」
良く出来ました、と頭をゆったり撫でつけられる。
温かい体温と優しい動作は、カリオストロを落ち着かせる為だけに行われているのだと、彼の普段より回らない頭は漸くその思考に至った。温度を享受して動かない男をそのままに、藤丸は全ての懸念を取り払ってやろうと口を動かし続ける。
「因みにさ、俺と道満の事を大分気にしてるみたいだけど」
「はい」
「あれはね、定期的に構ってやらないと災害級の事をしでかすタイプだから。急に機嫌悪くなるし。猫ちゃんかよ……」
「ねこ……。やはり、猫のふりをすれば道満殿のように?」
「いやいや、アイツの真似なんてしないでよ。俺すっごい扱い雑になってる自信あるもの。本当、真似されても困っちゃうから」
「左様ですか」
うりうり、ぐりぐりともちゃもちゃに顔中の至る所を撫で回しながら、問題児の一人こと蘆屋道満について溜息を混えつつ話していく。
聞いて尚不満そうな様子のカリオストロを見遣るもそこには触れず、もう一つ話しついでにされては困る事柄を語ることにした。
「あとね、さっきの愛玩の──ってやつ。あれも、そう簡単に言っちゃ駄目だからね」
「……何故?」
欲しい物を得るのに、自らが差し出せる物を使って何が悪いのか。そんな言い分がしっかり聞こえそうなほど、カリオストロの表情は不貞腐れた子供のようになっていて、藤丸は苦く笑う。何故って貴方ね。
こつ、と磨かれた陶器のような額に自身の額を押し付けて、吐息が混じり合うくらいに互いの距離を近づけていく。詰まった距離を不思議に思ったのかぱち、ぱちと大きく開かれた目に、「綺麗だなあ」なんて呆れるほど抱いた筈の感想を呟いて。
する、と額を退かした藤丸は、二人の顔が離れきってしまう前にカリオストロの額に口付けた。冷たいかと思われた額はしっかり人の温度をしていて何処かホッとする、と唇だけで笑みを形作る。
最後にちゅ、と軽い音を立てて元の体勢に戻ってみれば、薄く口を開き些か間抜けに見えてしまう相貌で額を押さえているカリオストロが居た。
「……こんなことされても、文句言えなくなっちゃうからさ」
「…………こんなこと」
「好意を持つ相手の意向を聞かないで、手を出す奴なんて巨万と居るでしょ。……俺をそんな男にさせないでよ、カリオストロ」
自嘲しているようにも見える顔で言う藤丸を、カリオストロは何も言わずに見つめている。
今しがた耳にした言葉を読み込んで、噛み砕き、その真意に辿り着く。そして、起きた出来事をしっかりと噛み締めるように目を細めてから。ふわりと音がつきそうなほど柔和に、その相好を崩したのだった。
「陛下。……マスター」
「……なあに、カリオスト、ロ……?」
座り込んだままだったカリオストロは膝立ちになり、ベッドの縁に腰掛けていた藤丸と同じくらいの高さで彼を呼ぶ。それから、返事をしつつも急に動き出したカリオストロに驚いた藤丸の、その鼻先に唇を落とした。
青い瞳が溢れそうなくらいになっている目の近くにもキスをして、少し色づいた耳に声を潜めて囁いていく。
「言った筈ですよ。貴方から賜る“愛”ならば何でも良いのだと」
「や、でも、」
「親愛? 恋慕? どんな感情があったとしても、貴方がこの身を求めるのであれば──どうぞ、ご随意になさいませ」
それが、私の願いなれば。
甘い蜜のような言葉を小さくちいさく囁いた男の身体を、「──〜〜ッもう!」と言いながら、藤丸はがばりと抱き締めた。
それはとても強く、サーヴァントの身でなければ痛いと感じそうなほど。その抱擁を受けたカリオストロはとろりと幸せそうに表情を緩めていた。
「そこまで言うなら、本当に好きにするからな!」
「ええ、構いません」
「……カリオストロ!」
「はい、マスター」
「好きです!!」
「…………私も。同じ感情でありたいと、思っておりますよ」
好き、という音は唇に乗せることは出来ないまま、カリオストロは胸を押さえて笑んでいた。
⬛︎
お互いの要望を撚り合わせ整えている内に、より親密の度合いも上がった気がする、と藤丸は実感していた。
まず、嫌われてなどいないと知ったカリオストロがいつ如何なる時も、時間が出来た途端に側に侍るようになったことが理由にあげられる。
彼の表情が演技かどうか確かめる術を藤丸は持たないが、それでも好いた人がニコニコと嬉しそうに隣に居る状況を悪い、とは言えなかった。だって好きなんだもの、と青年期特有の青さが思考の回転を妨げるので。仕方ないだろう若いんだから、なんて頭の中で言い訳しながら拗ねたように唇を突き出せば、今日も側に居るカリオストロが藤丸の様子を見てこてり、と首を傾げていた。
隣に居れば勿論会話をするし、好きなようにしろと言われたので、それなりのスキンシップもする。しかし、あくまでそれなり。頬や額にキスをしたり、ハグをしたりするくらいの触れ合いであったが、そんなものでも藤丸の心はホクホクと満たされていた。
唯一不満をあげるとするならば──カリオストロが自らの話を出さないことだろうか。
俺は貴方のことを知りたいのであって、貴方の口から別の男の話題を聞きたい訳じゃあないんだが。
声を大にしてそう言いたくなるものの、これは以前のカリオストロが俺に常に思っていたことなのだろう、とキュ、と口に力を込めて外へ出すのを我慢している。
それでも。カリオストロ自身の話を、他でもない彼の口から聞きたいと思うのは決して悪いことではない筈だ。そんな風に覚悟を決めて、藤丸は隣に座るサーヴァントに向き直る。
「ねえ、カリオストロ」
「はい。何かございましたか? 何のトラブルもない素敵な午後なのですから、ゆっくり微睡むのも一興だと思いますよ」
「……昼寝も確かに素敵だけどさ。それよりも俺、貴方の話が聞きたいんだ。貴方から見た誰かや何かの話じゃなくて……カリオストロの話が聞きたい」
「私の、ですか……?」
駄目かな、と頬をコリコリ掻いて言う藤丸に、カリオストロはキョトンとしたとても不思議そうな顔を見せる。
私の話。はてさて己が身の内に話して面白き何かが──否、話しても良い何かがあっただろうか、と目を伏せ暫し思索に耽るものの。
頭の中を幾ら探ろうともマスターに聞かせては良くないもの、聞いても気を悪くするだろうと察せるようなものばかりで、大した話題は待てど暮らせどさっぱり出ては来ない。
カリオストロはふむ、と軽く息を吐いて、己の主人を盗み見る。
眉を下げ、申し訳なさそうに笑いながら肩を縮こめて座っている藤丸を確認してから、彼を真似たような同じ表情をして探った甲斐はなかった、と藤丸に告げるのだった。
「大変申し訳御座いません、陛下。私の出し得る全ての話題を探してはみたのですが……。私の口から語れるようなものは、何もありませんでした」
「ん? 何も?」
「ええ、何も。他者の事を隠匿するのであれば尚更に。……我が身の内は伽藍の堂なれば。面白きものなど、何一つありはしないのですよ」
「……ん。ーー……?」
「マスター?」
カリオストロの言い分を聞いた藤丸は、顔をくしゃくしゃに歪めてうんうん、と唸り続ける。
彼の言うことと言い、彼をそこそこに知る者が語ること言い、自分の知らぬどうにも解らない単語が出続けるのだから仕方もないだろう。しかし、他者に聞くより本人に問うのが絶対よかろ、とその言葉の意をカリオストロに直接聞き出すことにした。
「カリオストロとか道満が言うその、がらんどう、って結局何? 何のことを言ってるの? ラスプーチン──言峰神父みたいな感じでは、ないんだよね……?」
そう問えば、意外な様子で目を丸くしてから一寸待って、カリオストロはゆったりと微笑む。
最近すっかりと見慣れてしまった、良く知る柔らかい笑顔だ。
それから、コツリと己の胸の上、その中心へと指を置いて唄うように口を開き始めた。
「無論、この胸の内について話をしております。ここの中は虚──文字通りの空なのです、マスター」
自他ともに判断し、され続けていたのであろう“事実”でしかない話を、カリオストロは事もなげに言ってのける。
その声色も何処か寒々しく、耳に寂しく響くのをきゅ、と口を引き結んで藤丸は聞いていた。カリオストロの内側をより詳しく知りたいという思い一心で、問答紛いの会話を二人で少しずつ積み重ねていく。
「空……スカスカって事? 心が?」
「ええ、まあ恐らくは。きっと、心臓の形の空白になっているのでしょう」
「……ヒビとか、入ってるのかな」
「どうなのでしょうか? 私の中に器が有ったとして、その器には底が存在していないのかもしれません。与えられた物、得られた物は全て虚の底へ落ち行く運命にあるのやも」
ココロのカタチとやらを想像したのか、カリオストロはつらつら言葉を並べ、くつりと愉快気に喉を鳴らしている。
ずらっと並んだその言葉達の中に、“恐らく”やら“きっと”やら不確定の物が多くあるのも気に食わない、と藤丸はじっとり床を睨み続けた。
まるで、己が身すらどうなっても良いと言うかのようなカリオストロの話し方は、今まで進んできた藤丸の道に反するものだったから、それを勝手に否定された気になって不貞腐れるように床に視線を落としている。
これでは何も変わらない。伝わらないだろう、と膝の上で両の拳をぎゅうぎゅうに握りしめた。
諦めきったように喋る姿を自分は見たくないのだ、と。そのように話しているのが他のサーヴァントでもそう思うし、それがカリオストロならば余計に強く思ってしまう。これは俺のエゴでしかないのは解っていても考えずには居られないのだ。
だって。たとえ仮初の生だとしても、此処に存在している限りは。
「楽しんで欲しいじゃないか。その仮初を」
ポツリと心中を静かに呟く。
言葉の意味を汲み取れなかったのか、カリオストロは心配するように眉を寄せ、「……陛下?」と名を呼んでいる。その表情が本心からくるものでなくとも良いと思った。
彼が繕う感情の、その大元に成れるのならば。
何かを真似するように動く時に、真っ先に浮かぶ先が自分であるのならそれで良い。それがカリオストロにとっての“心に残る”という事になるのなら──俺はそれが良いのだ。
そんな思いで、感情に任せるがまま乾き切った口を開く。
「底がないならさ、ちゃんと手で抑えなきゃね。俺に任せてよ」
啖呵を切った。声が震えてみっともなくはなっていないだろうか、と些細なことばかりを気にしながら床ばかりを見つめていた視線を上げて、藤丸は件の人物をその視界に入れる。きっと、なるようになる!──などと多少投げやりなのは否めないが。
まるで茶化すような返答が来るとは思ってなかったのか、カリオストロはぱちりぱちりと瞬いてから、どうしようもない子供を見るような目で己が主人を見下ろした。
眩しい物を長く見つめてしまった時みたいに目を細めて、恐れながらなんて言いながらも主を諌める役目を担った従僕のような。そんな眼差しで見てから、その瞳と同じくらいに柔らかい声で彼は告げる。「……いけません」と。
「陛下の手では零れ落ちてしまうでしょう。それに、御身が汚れてしまいます」
「俺の手は……もうこんなんだし、別に汚れたって変わんないと思うけど。零れ落ちるって言うなら、ほら、それを掬ってまた注げば良いじゃん。ア、汚いか?」
「……いいえ、陛下。貴方から賜るのであれば、それがどんな物であれ有り難く頂戴致しますが」
困りきった声を出すカリオストロを見上げた藤丸は、「なら問題ないね」とだけ言ってにっこりと笑っている。
「カリオストロの中が空っぽだったとしても。その空洞の縁に、俺と過ごした中で得た“何か”が少しでも引っかかって残るなら──それはもう、空じゃないでしょ?」
問答の内容の割には、随分と穏やかな表情をしている藤丸にカリオストロは首を捻る。
彼がこのような話をする時に、全てを許すようなそんな顔をする男ではないと考えていた故に、常と変わらぬ藤丸を見て疑問を抱かずにはいられなかったのだ。
藤丸がサーヴァントに対して心を砕かない人間でないことは、カリオストロ自身が良くよく知っている。しかし、自らが知っているマスターと現状彼が浮かべている表情の所為で、カリオストロの胸の内にはほんの少しの齟齬が生じていた。
主人の姿に違和感を覚えた彼は顎に指を当て、思い当たる節を片っ端から脳内に映し出していく。ああでもない、こうでもないとそこまで多くはない藤丸との日々を思い返していくカリオストロの脳内に、一つ該当する出来事が引っかかった。
もしや、と無意識に軽く俯いていた顔を上げて、己が主人を見つめる。
カリオストロの表情はどこか引いたような、信じ難い何かを見つけたような。そんな感情がありありと浮かんでいた。
「あの、陛下?」
「うん?」
「以前、私に聖杯を下さいましたね。その、最後の再臨の時に纏めて」
「あげたね。えっと、七個」
「……それは、私が自らのことを“伽藍堂”と言ったことに関連はありますか」
「え。あーー……。うーん、そうとも言うし、そうじゃないとも……言う……?」
嫌なことほど当たるものだ。ひくり、とカリオストロの口の端が引き攣った。
自分から聖杯を遠ざけろとあれだけ諌めたにも関わらず、それでも聖杯をこの身体に入れた時は何か考えがあるのだろう、と考えていたことではあるが。
この目の前に居るお人好しは、“虚が少しでも埋まるかもしれない”という謎の可能性に賭けたが為に、大変貴重なリソースの塊をこの身にぶち込んだのだ。そりゃあ、繋がりが途切れつつあるあの巌窟王も怒り狂うと言うものだ。
何故もっと全力で止めなかったのか、と何処かの共犯者が聞けば怒髪天を衝きそうな事を考えながら、カリオストロは額を抑える。
確かに、霊基を強化された時に「与えられた分は、強化されたこの身の働きをもってお返しします」などと言った気はするが、まさかこんなちっぽけな動機だったとは思いもよらなんだ。
藤丸の前で初めて溜息を吐く。疲れたような、それはもう深い溜息だった。
「陛下、まさかそのような理由で七個もの聖杯を……?」
「ん? いや、それだけじゃないからね!? 一番先に浮かんだのがそれだったってだけで!」
「では、他の理由とやらを私の為に早急にお聞かせ下さい。……出来れば、与えられる前に聞きたかったものですが」
「カリオストロのそんな顔初めて見た……」
「──マスター?」
「ごめんて……」
ウロウロと視線をあっちこっちに飛ばしながら、そろそろと藤丸は理由を話しだす。
最初はカリオストロが辿り着いた理由の通りで、その内側に何か器のようなものがあれば空っぽではなくなるのでは? と考えたこと。
それだけの理由ならば、与える聖杯は一個で十分なのではないか。重用して貰えるのは喜ばしい事ではあるが、何故この身に聖杯を重ねていったのか。
再び問えば、藤丸はキョトンと目を丸くしてから、視線を彷徨わせていた時とは打って変わって、自信満々に「だって、見て欲しいじゃんか」とカリオストロに言ってのけた。
その藤丸の様子にカリオストロは面を食らってしまう。
「見る……?」
「うん。カリオストロ、どんどん強くなって綺麗になったじゃん」
「まあ、はい」
「だから見て欲しかったんだ、色んな人達に」
「俺のカリオストロの、すっごい所!」
ガツン、と頭を打ち付けられたような衝撃が抜けていった。
その衝撃は、頭の芯まで響いて落ちて、それからずっと疼きが広がっている胸の奥へと染み込んでいく。
可笑しな人間だと思った。
未だかつて、詐欺師を体現しているこの身をこれほどまでに信じた愚かな者が居ただろうか、という問いが頭をよぎる。答えはノー。自信を持って返すことが出来る、そんな存在は目にしたことがないと。
己が信じれば信じた分、同じものが返ってくるのだと願っているその心を踏み躙ろうとは思えずに。自分ではないような感覚を味わって──否、事実以前の自分とはかけ離れているのだろう。
人類最後のマスターに、この肉体も“心”とやらも作り替えられてしまったに違いない。この身は不老ではあるが、不死にあらず。不変でもないのだから。
この者は己を慈しみ、時に正して、鏡のように正面から見据えてくる。
その存在は、生前のカリオストロ伯爵が終ぞ得る事の出来なかったもの。
例え、彼から与えられる行為がいつか消えゆく身で行われる、人形を使った“一人遊び”だったとして。心無くも他者にそう揶揄われたとして。
それを行う者も受け入れる者も同じ想いを抱いていると──それが愛ではないと誰が証明できるのか!
「は、はは」
カリオストロは笑うしかなかった。何せ大層気分が宜しかったもので。
気分が良いついでに、とそのまま少し屈んでから藤丸の顔を覗き込むようにして見下ろす。
これだけ与えられたのだから、何か一つでも彼の望みを叶えてやりたい、彼だけの願望機になるのも悪くはない、なんてことを考えて目の前にある健康的な色をしている耳に口を寄せ囁いた。
「マスター。私は今、とても気分が良いのです」
「そうみたいだね、嬉しそう」
「ええ、ええ! 貴方様からこれだけのものを与えられていたとなれば、気分もそれは良くなると言うもの!」
「……カリオストロが嬉しいと、何だか俺も嬉しいよ」
「────私も同じ、ですよ。マスターが喜びを感じるのなら私も喜ばしく。貴方が何かに嘆くのなら、それもまた同様に」
「そして、与えられた分と同じ価値の物を贈りたい、とも思うのです。……陛下。何か、私に叶えて欲しい願いなどはないのですか?」
パチパチと、藤丸は瞬きながら「ねがい……」と小さく呟いている。
カリオストロに叶えて欲しい願い。見返りが欲しいからせっせとリソースなり想いなりを与えていた訳ではないけれど。
貰えるものは貰っておけ、と以前誰かから言われた気がしたので唸りながらも望みを絞り出し──「あ、」と声を上げ思い至ったような顔をした。
「あのさ、カリオストロ」
「おや、何か望みはございましたか?」
「うん。その、さ」
とても言い難そうにしている藤丸を、カリオストロは目を細めつつ眺め視線だけで、どうか口にして欲しい、と促している。
その瞳に映るのは、何を願うのかというほんの少しの好奇心と、とても大きな受容の色。彼の言うことであればどんな願いも頼みも聞き入れるという、受け入れる者の瞳を今のカリオストロは持っている。
その眼差しを見た藤丸は、勇気づけられたようにゆっくりと口を開き始めた。
「……俺の、旅の終わり。例えば、道半ばで力尽きたとしても、終わりは終わりじゃんか」
「はい」
「大分色んな所から勧誘みたいのを受けてはいるんだけど。その道中に、カリオストロが着いて来てくれないかなって」
「貴方の旅、その終わりの供を……私が?」
「そう。ええと、俺が貴方を人形みたいに綺麗だなって思った時に、ぼんやり考えてただけなんだけど。“一人で寂しくないように”って、棺に人形とかぬいぐるみを入れたりするって聞いたことがあってさ」
「俺が送られる時、一緒に棺に入って欲しい。それが、俺の願い……かなあ」
泣いているし笑っている、そんな顔をして藤丸は願いを口にする。
この長い旅が終わった時、また共に旅立ってはくれないか、そのようなことを人形のような男に希うのか、とカリオストロは蕩けた蝋みたいに微笑んでその場に跪いた。
「承知致しました。このカリオストロ、貴方の旅路の終わり──その先までも。ずっとお供させて頂きます」
「ふふ、ありがとう。……すっごい嬉しい」
「そして、陛下。もう一つお伝えしたいことが御座いまして」
「なあに?」
「あの時は返す物を持ってなかったので、何も言えずにいたのですが。……お慕いしております。どうか、この身が朽ちても貴方の傍らに居ることをお許し下さい」
カリオストロが同じく身に宿す願いと、自身の想いを言葉にした瞬間。
藤丸は大きく目を見開いて、輝く薄い青からボロボロと大粒の雫を落とし始めた。頬を伝い流れるそれを無視して、彼は目の前で跪いているカリオストロの頭をがばりと抱き締め、心底嬉しいのだろうと誰もが読み取れる顔で「──俺も好き!」と笑うから。
それを見たカリオストロも、涙の粒を受けながら同じように腕の中で笑っていた。
胸の疼きを奥底へと押し込んで、空洞の縁に何かが引っ掛かるのを確かめてから、カリオストロは今度こそ、と藤丸の弧を描いている口に陶器で出来たような色合いをした唇を押し付けた。
伽藍の堂の柔らかな縁
(あえ、)
(この間は目元と鼻先でしたので。ふふ、こんなキスも良いものですね)
(……ベーゼではないんだ)
(おや、フランス語がお望みでしたか?)
(貴方なら何でも良いけど……もう一回! 今度は俺から!)
(ははは、どうぞお好きなように)
以下後書きになります
この度はこの作品を読んでくださり誠にありがとう御座います。
カリオストロ伯爵を大変好きになってしまったが故の作品だったのですが、生憎彼の解像度が低すぎて段々と良くわからなくなって来ていたところであります。
彼の印象がビスクドールみたいだ、と言うのとひび割れのあたりが再臨で金継ぎみたいになっている、というのを目の当たりにしてできた作品です。
彼が藤丸によって再臨した(大切にされた故に)から、最終再臨の彼はあれほど美しくなっているのかなあ、なんて思いながら書きました。美しい人形ほど大切に丁寧に扱われるものでしょうし。しまわれるだけではなく、綺麗に着飾り外にも連れ出され愛された時、カリオストロはどれほど綺麗になるんでしょうね。今からイベントが楽しみです、個人的にはカルデアエンジョイ勢だと思っているので。
もしぐだカリ伯が始まるならこんな感じなのかな、という一心で書き上げました。
皆様に少しでもありだと思って頂ければ幸いです。
ありがとう御座いました。
ぐだカリ伯のすけべ文学はシリーズとして出す予定ですが、予定は未定です。