誰よりも賢く、誰よりも───「あかんかったな」
「なぁ」
ボクの返事に、相方────カースケは羽根を震わせる。
秋の夜。天気予報いわく、11月上旬にしては暖かいらしい風が、羽毛に刺さる。すっかり陽が沈むのが早くなった街角には、ちらちらと街灯が揺れる。ボクらは同居するアパートへ続く道を歩いていた。
「今年も3回戦落ちや」
「な」
「数字つかんとこ行きたい」
「な」
ボクはたった一音で返し続ける。漫才の頂上を決めるその大会。優勝者、或いは功績を残した者には人生の転機が訪れるというその大会。
ボクらは、今日、今年分のその階段を切り落とされた。
カースケは天を仰ぐ。ボクもその雰囲気を感じ取って、ちら、と上空を見た。すっかり暗くなった夜空にはビリビリウオの放つ光がちりちりと揺れている。
カースケ「ー」と烏らしく鳴いたあと、ため息一つ、それから言葉を続けた。
「ホンマのとこ聞いてええ?」
「ええよ」
ボクは平坦に返す。
「行けると思ってた?」
「ボクはね、思ってた」
「ホンマ。実はオレも思っとってん」
カースケがこちらを見上げて、目が合った。知らぬうちにカースケは泣いていたらしく、その眼はやや赤みを帯びている。黒い羽に赤い瞳が映えて綺麗だと、場違い極まりないことを思った。
「……行けると思っとってん」
カースケはもう一度同じことを言う。そうして、ず、と喉の奥で涙を殺した。
「この季節、嫌いになりそうや」
「毎年落ち込むからか」
カースケは返事のかわりに頭を掻いてみせた。相当苛立ちも溜まっているらしく、はら、と羽根が二、三本抜け落ちた。
「自分傷つけるもんちゃうで」
「せやけど、分からんねんもん、何してええか」
カースケの声が濡れた。上ずったその声には、多分な悲しみ、悔しさ、無力感、羨望、嫉妬が混濁している。
「あー、くそ、嫌や。嫌や。おもんないと思われんのも嫌やし、上がったやつを羨ましく思ってまう自分も嫌や」
カースケはもはや涙を隠すこともなく吐き捨てる。
「オレはおもろいことやってるやんけ」
涙を拭ったその羽は、街頭を反射して黒曜石のように輝く。
「オレ、アカンのかなぁ。オレがコースケの脚引っ張ってんのかなぁ」
最後の言葉が酷く住宅街に響いた、気がした。
「ちゃうやろ」
だから反射で答えてしまった。カースケは、これまで殆ど黙りだったボクが口を開いたのに驚いたのか、赤みを帯びて濡れる目を丸くしてボクを見上げる。
「カースケが脚引っ張るなんか、有り得へん」
ボクの中で、何かの箍が外れるのを感じた。
それは多分、『お笑い芸人としてのコースケ』の箍だった。
「ボクなんかカースケがおらんかったらお笑い出来ひんよ。考えてまうボクと違って、カースケは勘でお笑い出来よるタイプやろ。
ボクは考えてまう、計算してまう。ボク、悪いけど賢いから。賢いけど芸人としては馬鹿やから。やから反射的な反応とかほんま苦手や。相方がカースケちゃうかったら、ボクのほうがお笑いの世界おられんわ。
それからな、カースケ。ボクはお笑い芸人しとるカースケのいちばんのファンなんやで。ファンの目の前でそないなこと言うもんちゃう。カースケってホンマ馬鹿やんか。馬鹿やけど芸人としてほんま賢いやん。そんなカースケのお笑いが好きなんや。カースケが好きなんや」
つらつらと饒舌に自分の言葉を紡いでいく姿、芸人仲間が見たら驚くだろうか。それとものんびり屋でぼうっとしたコースケは演技だったのかと笑うだろうか、幻滅するだろうか。
カースケはしばし眼を丸くしてから、困ったように笑った。
「貶すんか褒めるんか、どっちかにしぃや」
それから、ぐっ、と羽を伸ばして、肩の力を抜いてみせた。
「やっぱキミには敵わんなァ」
にへ、とカースケは笑う。悔しさと苛立ちに滲ませていた涙を忘れたようだ。
「いいえ、こっちこそ。カースケさんには敵いませんわ」
「おちょくりよる、こいつ」
カースケは左手でボクの胸元を小突く。
誰よりも賢く、誰よりも馬鹿。それでいい、と目を伏せる。
街灯に照らされて二重に重なった影は、すっかり濃くなっていた。
ボクらの家までは、あと3分くらいだ。