夏の夜、まだ見えぬ、いずれ見える希望 森に殴り込んで、海に飛び込んで、買い込んだ同人誌を読み込んで、そうしてめいっぱい遊べば、いつの間にやら夜は来た。いつかのサバフェスと同じように、黒に流した蒼い波筋、埋め尽くさんという眩い星々。昼の溌剌な姿とは別の、静かな浜辺を堪能するのは、今日だけは自分達だけだった。
「あんだけ振り回しといて、寝る間も惜しんで夜に出歩く必要、なんかある?」
悪態ばかりで黙って歩かない精霊王を振り返り、藤丸立香はにこやかに微笑む。夜の暗闇はただでさえ全てを暗くするのだから、精一杯の明るさで。
「昼間は付き合ってもらったから、オベロンの行きたそうなとこ行こうと思って!」
「俺が今行きたいのは、君達が殴り込んでこないくらい深い穴の底だなあ」
「こらっオベロン! せっかく立香が誘ってくれたんだから、露骨に嬉しそうにしなよ!」
どん、と突き飛ばす勢いでオベロンの背中を叩くのは、誘い文句で二つ返事で頷いて、当然のようにオベロンを殴りに誘ったアルキャスだ(彼女がそう呼べと言うのだから、そうするのが良いのだろう)。来たばかりの時に着ていたアウターを羽織った様相で、潰れた悲鳴をあげたオベロンに胸を張っている。
藤丸立香も、大きくつんのめるオベロンの様子に声を出して笑ってやれば、立ち直る流れでそれぞれ睨まれた。
「バーサーカーが二人……」
「キャスターの経験しか無いもんねー」
「あっでも、立香がバーサーカーなら、キャスターでありバーサーカーなのは私と立香だけのお揃いってことに……?」
「あー、オベロンだけハブられるかあ」
「ほんっとに元気だな君達」
きゃあきゃあとはしゃぎあってオベロンを揶揄う二人は、歩みを止めず砂浜を進む。振り返らずとも、悪態と影法師は丁寧に二人を追ってきた。甲高い声と低い溜息が、明るい夜に響き渡る。
「楽しかったねえ」
その声の一つが、すっと声音を変えて微笑う。活発で自信のない少女の見本と、残骸の塵が集った役者は、殆ど同時に眉をひそめた。
「『また来年巡の夏、遊べたらいいね!』」
藤丸立香の望みと希望は確かに本音で、言うべき言葉を言っているのに、その場の空気は夜より深く鈍り陰った。カルデアで、レイシフト先で、今年の夏の騒ぎの中で何度か“眼にした”その声が、海や空の光を曇らせる。
アルキャスはオベロンをちらと見た。オベロンはいつかのしかめ面を返した。藤丸立香はそれを微笑みで見守った。
「……いや、別に今年も遊びたくて遊んでないんだけど」
一番に口を開いたのはオベロンだった。いつもの悪態より少し柔らかくなった言葉は、捻じ曲がっていないと良いと思う。顔は変わらずしかめ面で、さっきも今も、いつも通り気持ち悪いようだった。
アルキャスはその言葉にハッとして、慌てた様子でオベロンの背中をばんと叩いた。同じ所を的確に。
「アイス二本も食べてたオベロンが何を! というかアレ私のだったもんね? 私食べそびれたよね?」
「水遊びに夢中で、忘れ去られたアイスがかわいそうだったからね」
「せっかく立香とお揃いのアイスだったのに! 明日はおごってよね!」
「いいからその手やめろ、いった」
バンバン、と容赦なく痛めつけ痛めつけられる様子に、今度こそ藤丸立香は声をあげて笑った。それを合図にアルキャスの手が止まり、オベロンの制止も終わった。涙が出るほど笑い続ける藤丸立香に、アルキャスが近づきその手を取る。自分と同じ熱のある掌に、立香はゆっくりと声を納めた。
「ほら、行きましょう立香。浜辺の夜のお散歩って、どういうように楽しいのか、私にもっと教えてください」
「俺は遠慮するけど」
「こらあオベロン!」
アルキャスは振り返って怒鳴りつける。それでもその手は離れずに、藤丸立香に熱を教えた。目の前のものが、今は、今だけは、彼女とおおよそ近しいものかもしれないと。
藤丸立香がその手を握り返すと、アルキャスはすぐにこちらを向いて、少女らしからぬ眼で微笑んだ。
「じゃあ、オベロンには内緒で、波遊びでもしよっか」
「目の前にいるのに内緒って何?」
「いいね! 波際ならちょっと泳いでも大丈夫かな?」
「はー、夜の海は危ないって言われただろ。もう忘れたのか」
「溺れるとこまでは行かないもんねー」
「危なかったらオベロンを盾にして帰ろっか!」
「虫の王を塩水に入れるな」
「闇の精霊王なら平気じゃない?」
藤丸立香はアルキャスと手を繋いだまま、一際声を荒げるオベロンを背にして浜辺を走り始めた。アルキャスは引っ張られるままに、藤丸立香の先導に従い走る。そのまま二人、何かあるだろうと探すように走り回った。二人とも、後ろを疑いで振り返りはしなかった。
砂浜に硝子片を見つけたり、ホテルの灯りに人影を見たり、星座のような星を見上げたり——二人の足跡は曲がりくねって、正しさも筋書きもなかったものの、歩幅の狭い一回り大きな足跡が、嫌そうな足取りがわかる距離で、丁寧にふたつに着いてきていた。